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読書日記#2 どうしても生きてる/朝井リョウ

どうしても生きてる/朝井リョウ レビュー

最近、一番読みたかった本であると同時に、手が出なかった小説。だって朝井リョウだし・・・きっと今回もきつい、重い作品なんだろうなあ、と。なんたってタイトルが「どうしても生きてる」です。

 前作の「死にがいを求めて生きているの」(以前の記事)はどちらかというと平成生まれ特有の生きづらさ、若者の本音や不安を凝縮したような作品でした。

 今回はサラリーマン、派遣社員、主婦など、大人にターゲットが向いていると思いました。より現実味の帯びた重い話が6編詰め込まれています。

 現在幻冬舎の公式noteで試し読みが出来ますので、まずは下のリンクからご覧になっていただいてもいいかと思います。

どうしても生きてる|七分二十四秒めへ 1|朝井リョウ 幻冬舎 電子書籍


短編6編のうち、特に私が印象に残った1編をご紹介したいと思います。



ネタバレ注意



「七分二六秒後へ」

1.あらすじ

 雇用を打ち切られることになった派遣社員の谷沢依里子は、以前同様に派遣切りにあった先輩の木之下佳恵のことを思い出していた。どこへ行ってもあだ名がお母さんとなってしまう、人の好さそうな佳恵も、派遣社員として不安定な生活の中生きていた。そんな佳恵を支えていたのは、何のためにもならない馬鹿な企画を繰り返すユーチューバー集団の動画だった。

 現代社会の生きづらさや不安を抱えた人々をそのままのぞき込むような、また自分がのぞき込まれているような、そんな短編。体調が悪い人は少し落ち着いてから読むべし。

2.人間についているラベル

 依里子が昔、自動車学校の卒業試験で不合格になったことを思い出すシーンがある。免許を持っている人間、持っていない人間、というように道歩く人々を振り分けていく。

 同じように無意識に私たちは、雇用形態や性別、既婚者かどうか、そんなラベルで人々を振り分ける。そしてそれは自己評価についても同様だ。正社員でない自分、結婚していない自分、左利きである自分。結局それは相自分の価値を他者と比べることで測っているのであって、比較対象がいくらでも見つかる、情報の洪水の中に生きる我々には逃れようがない。

3.死ぬのも怖いが生きるのも怖い

 どんな目にあっても、人生は終わらない。よく「人生終わった」という発言をする人がいる。無職になって、学校を辞めて、失敗を犯して。漠然と人々が思っている幸せから離れることに対して、きっと「人生終わった」と表現されるのだと思う。

 しかし本当の意味で人生が終わるのは死ぬとき以外にない。派遣切りにあおうが、その時点で生命が絶たれるわけではない。だからといって死ぬこと以外かすり傷だと割り切れる人間はどれほどいるのか。大抵の人間はやはり世間や社会との相対的な価値観で物事をとらえてしまうし、それは刷り込みや洗脳とほぼ同義であるがゆえに振りほどくのは非常に困難だ。

 仕事をなくすことで人生終わることが出来たらどんなに楽だろうか。それでも人生は終わらせてくれない。自ら命を絶つのは怖い。だからといってこれから味わうかもしれない屈辱や苦労を考えると、生きていくことが怖い。

 そんなシリアスな悩み事、自分の人生に向き合い続けるのは大変な精神的負担だ。現在多くの人がユーチューブに、何の勉強にもならない馬鹿馬鹿しい動画を日々アップロードし続けている。そしてその動画を何千何万の人たちが視聴する。その瞬間だけは、自分の人生にも、社会の問題にも関わることなく存在することが出来る。そこに逃げ込むことでしか救われない多くの人間が存在すること、労働問題とユーチューバーの流行という現代的な視点から生きることを考えさせられる作品だと思う。

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