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文学フリマ東京@作品感想 「泣けるかどうかはこっちが決める」

文学フリマ最初の感想は
福本カズヤさんの「泣けるかどうかはこっちが決める」だ。


あの日僕は、何ひとつ前情報を入れずに、勢いで文学フリマ東京へ行った。
その道中の移動時間
「さすがにこのまま行っても路頭に迷うだけになる」と思って
僕は公式サイトのブース紹介に目を通した。

移動時間は片道1時間半くらい。
出展者数が1800を超えているのを目にして
「あ、終わった」と思った。

それでも見れるだけ目を通そうと思って見ていたときに
「1000文字エッセイ」というワードが紹介文に書かれていたのを目にし
とても惹かれて「このブースに行こう」と決める。

それが、福本さんのブースに立ち寄ったキッカケだった。


無数の出展者さんがいらっしゃるあの会場で
最初に足を運ばせてもらえるキッカケを作ってくれたことは
いま思えば本当に救いだった。ありがとうございます。

本を読んだ後に思うのは
この作品に出会えてよかった。
文学フリマの最初に、福本さんのブースに行ってよかった。
ということ。

ブースに行ったときに
初めてブースに立ち寄ること自体
自分にとってとても勇気がいることだったけれど
福本さんと目が合って「立ち読みだけでも」と声をかけてもらったとき
あの時のちょっと不安そうな瞳にも
どこか共感していたのかもしれない。

あの時に交わした会話の瞬間、忘れない。


実際に読ませていただいた本の感想


なんかいい、が、詰まってる。

共感して笑えるものもあれば、スッと心に入ってくるメッセージもあって。
なにより自由律俳句という表現で創る世界観が、好き。
(初めて自由律俳句を知って触れました)

なんでこの書体なのかなとか
ちゃんと余白を表現してるのいいなぁとか
なんでノンブル上なのかなとか
どうしてこの順番で言葉を紡いでいるのかなとか、考えてしまう。

これはやっぱり、編集者としてどういう意図で創っているのかなって
めちゃくちゃ知りたいのと、その内側にある想いに触れたいなっていう
純粋な好奇心と、感動からくるモノ。


世界を切り取るチカラを感じた。
素敵な表現は
いったいどこを見ているのか、視ているのか。
創り手のことをあれこれと考える、その時間がすごく心地よい。


そして「制限を設けることで新しい表現を生む」という言葉には
とても共感したし、いいなぁと感じた。
昔からX(旧Twitter)でも140字という制限の中で
いろんな人がそれぞれの表現されてきたこともあるし
また「1000文字」という絶妙な長さが好き。
長すぎず、短すぎず、その枠の中で表現することは、すごい。


好きな本や気に入った本には、たくさん折り目をつけるクセがある。
これは知り合いの超読書家の先輩や、友人で尊敬する憧れの編集者さんが
気に入ったところや読み返したい箇所には折り目をつけているのを知ってから
自分もそのクセがついた。

今回はたくさんの折り目がついたので
自分にとって、とても素敵な作品だったということ。


そして痛切に感じた、羨ましさ。
ここまで表現ができることへの。

刺さった言葉、好きな言葉、たくさんあった。
「自分もこんなふうに書きたい」という焦がれ。
と同時に感じる不安。
「自分には無理だ」という不安。
たくさんを感じられたことが、素晴らしい。

僕も福本さんのように表現したい。
2000円するビジネス書やエッセイをいくつも買ってきたけれど
それらの本よりも、この素敵な本に出会えて良かった。
自分にはこの価値がとても大きい。

いつかゆっくり話してみたいし
いろいろ聞いてみたい。
あわよくばサインもらいたい。

お互い表現の違いはもちろんあるかもしれないけれど
繋がるところもちゃんあるような、気がしてる。

なによりこの作品が自分の内側にある感情とか言葉とか
いつかの人生における"瞬間"と再会させてくれたことに、感謝したい。

素敵な作品を、ありがとうございました。

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