誰も、あなたから何も、奪えない

人間の不安や動揺、怒りや悲しみに色々な名をつけて分類することはできるけれど、その根源を辿ると、全部繋がっていることがわかる。

スピリチュアリティーに「目覚める」ということは、「正気になる」ということで、私たちの真の自己に沿ったものの見方を取り戻すことだ。

様々な理由をつけて不安を正当化することではない。怒りや悲しみを感じることを「もっともですとも!」とヨシヨシして慰めることでもない。

本当に「目を覚ましたまま」生きたい人は、これから語る以下のことを思い出そう。

エゴの思考回路はこう働く

ここで言う「エゴ」とは、万物の源からの分離を信じたあなたによって作られた「分離を信じている部分」を表す。あなた自身の内にある信念がエゴにエネルギーを供給し続ける結果、私たちは「外」にも分離を見る。その視点を通すと、個々がバラバラで、別々のものとして体験されるのだ。

エゴのフィルターを使用している状態のあなたは、「独立した肉体・自己」を生存させることが重要なミッションに思える。
自分が、自分の、生存の面倒をみる。生存といったって、現代社会ではそれは「自然界に分け入って、食糧を得ること」などではない。もっと他に……あなたが人生を歩みながら学んできた「生きるためにしなければならない」と信じていることが色々あるはずだ。

そして、あなたはそれらのルール(信じてきたこと)を守り、時に取り替えながら、自分なりの世界を築き上げてきた。生活を続けてきた。
その中での安定や安楽をなんとか得よう、得たなら維持しようとしてきた。

それは言い換えれば、どんなに「潮流」が読めなくたって、生きている限りはもがき続けなければならないような、「大きなものを相手に、何とか自分の世界だけはコントロールしようとする」つつましい努力だ。

エゴは、そんな大変な世界の中で戦っている。
気を抜けない。いつ、どのように裏をかかれるか、期待を裏切られるか、何もかもを奪われるかもわからない。
だから、束の間の幸福を感じたとしても、油断してはいられないぞ、という一抹の不安がすぐに戻ってくる。良いことの後には必ず、悪いことがやってくる。それは交互に来るんだ。山があれば、谷があるように……と、信じている人もいるかもしれない。
すると、幸福恐怖症になる。大きな幸せの後には、どんな災厄に見舞われるかわからないのだから。

(そんなセット販売、断りたくない?)

いつ終わるともしれないランニングのようなエゴ視点の人生、景色を楽しむ余裕もあまりなく、自分の「ささやかな宝物」すら奪われないようにと目を光らせていなければならない。

エゴから生まれるネガティブな感情の正体と、それを根本から解除すること

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