どっちを信じる?リアリティー【ヒーリングや奇跡】

ヒーリングといってもやり方は色々あって、その本質は変わらないにしても主にこの世での表現の面で、どんな形式を用いるかには選択の余地がある。
私は9月から新しいヒーリングメニューを扱いながら、自分がどんなやり方でヒーリングを実施したいのかを追究していた。
「目的」というところは普遍でぶれないにしても、効果、そして当日の流れを含むセッションとしての、ご依頼者の方と自分双方のやりやすさなど、考えていたポイントは複数ある。

でも、一番は、いかにヒーリングの本質を阻害せず、この世にそのまま表現するか? というところで、これはすでにあるものをなるべく変えずに「持ってくる(bring)」作業と似ている。

私自身に、内からのヒーリングの実体験がなければこういうことをやろうとは思わなかっただろうし、人生を通してこんなにも、このことに情熱を持ち続けることもなかっただろう。
ヒーリングの「源」は今も私を日々呼んでおり、その存在を示し続けるので、私はこれが確かな作業だということがわかっている。

しかし、自分が「この世のリアリティー」に眠り込んでしまうとき。
つまり、私たちの言う覚醒状態、起きて活動している状態のときには、この効果を最小限に減じてしまうのを実感している。
私たちは不死身でなく、朽ちていく存在で、ものごとは失われたり衰えたりするという考えのもと、現象を受け入れる世界。

それが実は「間違っている」ということが信じられなくなる状態を私たちは体験していて、まるで考えが逆立ちをしているように、その逆の現象の方が信じられない。奇跡だといって、驚いてしまう。

けれども私は、奇跡は奇跡でないのを知っている。
だから、それをどう「持ってきたら」いいか? 具体的には、それをどのように「阻害しないでいられるか」を考えている。

見失ってしまいそうになるときも、私の中で「覚えている者」が袖を引っ張るので、何とか元の源のあるところに視点を移すことができる。


もうひとつのリアリティー

端的に言って、この世に心を傾けすぎると私たちは疲れる。
無理な幻想を保つというのは疲労するものなのだ。

幻想という言葉は、幻想でない何かがあるから意味を成すので、幻想でない何かこそが土台だ。

どんなに幻想に意識を注いでも、土台をなくすことはできない。
私にとってはその土台を、

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