周辺の自然、全然捨てたもんじゃなかった!

最近、今、目の前にある身近な自然をもっと知る! と真剣に決心した私(参照◆「大自然が先生」)が、その後すぐ、思いがけない機会によって、家の付近にこれまで知らなかった自然観察スポットを発見したり、長年気になっていた謎がとけたりするという経験をした。

うーん、何が福に転じるかわからないものだ。
決して遠出したとか、目的意識を持って特別な活動に邁進したとかではないのだ。
この記事では、そのきっかけから始めて、
■続・ミツバチニュース。セイヨウさん、こんにちは
■大好きなバリ島まで行かなくとも……未発掘だった近隣の癒し風景
■鳥たちの激しい攻防戦を目撃! 初めて見る野鳥、更新。
■顔見知りの猫の謎、とける。

……などのトピックを語り、最後は、精神世界やスピリチュアル、自己啓発の分野で語られることのある、「NeedとWantの違い」と、「Needはなぜ簡単にもたらされるのか」についてお話しする。

自粛がもたらした福

私が今回の楽しい経験をする、元のきっかけを辿れば、ウィルス感染防止のための「自粛」によってもたらされたのだった。
母が通っていたスポーツ施設が休止になり、彼女は毎日、運動のために近隣のエリアを歩くようになったのだ。

私自身は、「体のために」と意識して何かをする習慣を持たない。
これは昔からそうだったわけではなく、むしろ昔はそういうことに配慮していた。けれども「体」とは何か、本当に気づいてからは「体のために○○をする」という目的を持つことはない。

これは体の中立性を理解すると言ってもよく、なぜそうなのかを腑に落とすには実体験を伴う真剣さでもって、ある種の「悟り」や「意識のシフト」が必要なのかもしれない(私はそういう体験をいくつかしている)。
それゆえ、短く簡単に説明できる話ではないので、詳しい内容に興味がある方は先月の記事◆「今年の春は花粉症にならなかった【健康と、体】」を、お読みいただきたい。

そういうわけで、自分が心からそうしたいときに何かをすることはあるけれど、たとえば運動不足なのではないかという心配だとか、家にいたら健康が脅かされるのではないかなどの不安を動機に、私が何かを行うことはない。

一方で、母は私とは異なる信念や個性を持つ。
しかし、母は母で活発な性質なのにもかかわらず、近隣を「ただ散歩する」ということをこれまでほとんどしない人だった。

それが、この機会に歩くようになって意外な楽しさを覚えた様子だ。
毎日散歩から帰ってくると、
「こんな場所があったよ!」
「車じゃないと行けないと思っていたあそこも、すぐそばだね!」
などと発見を報告してくれるのだった。

少し背景を説明しよう。
私たち家族にとって、この地に住まいを移してからだいぶ長い年月が経っているのだが、子供たちが生まれて育って大人になるまで、という家族全員が密に一緒に生活した期間を過ごした場所は別にあった。
つまり、ここをふるさとと思う気持ちは芽生えづらく、私たち子はそれぞれ大人になってからは都内で暮らすようにもなったため、地元という意識も低くなってしまいがちだったのだ。
ある時期から地域内での活動と友人が増えた父はまた別として、母は、近年まで都心へ通勤する仕事で忙しく、時間をかけてほうぼう歩いてわかるような周辺の環境には精通していなかった。

私はといえば、昔、それこそまだ「健康への観念」もあった頃、この周囲のあちこちを独自に歩き回ってみた経験があった。運動のための散歩として、せっせと歩いていた時期もあったのだ(そしてその頃、特に自然豊かな場所でもなく、かといって都内の街ほど便利でもないこの地域を私は好きだとは思えなかった)。
だから、母が今新鮮に思って伝えてくる情報の八割くらいは、私はとっくの昔に知っていることなのだった。

それもあって、まれに母に誘われることがあっても、私は一緒に歩きに行きたい気持ちは芽生えなかったのだ。
その上、散歩には瞑想的な魅力もあって、ひとりだからこそ良い場合もあると感じている。母も、友達と歩く日も挟みつつ、ひとりの日はひとりの日で楽しんでいた。

な・の・に。
どういう風の吹き回しか、この日私は突然、「今日は母を誘って歩くのだ」と思った。
もちろん、元々歩くつもりだった母は快諾。
夕方が近づく頃、私たちは連れ立って歩くことにしたのだった。

目的地はどこでもいいという母。私はふと、近隣に「素敵な自然がある場所があった」と母が最近言っていたのを思い出し、どうやら私は訪れたことがなさそうなその場所へ向かうことを提案した。

庭の日本ミツバチに次ぐ、道端のミツバチチェック。

今月上旬、◆「日本ミツバチが庭に来ていた【アニマルコミュニケーションと虫】」の記事で、家の庭に来ていたのが日本ミツバチだったことを書いたが、そこでも説明したように、花を訪れている日本ミツバチと西洋ミツバチの違いを目視だけで判断するなら、両者を比較して初めて明確になる部分もある。

目的地へ向かう道すがら、私は蜜を吸っているミツバチに気づくと、歩みを止めてじっと見てみた。すると、その植物の蜜を吸うミツバチは、明らかに西洋ミツバチだったのだ。
私が家の庭で見たミツバチよりもやや大ぶりで、オレンジ色がかっている。そして一匹ではなく数匹が、同じ植物の蜜を吸っていた。

日本ミツバチと西洋ミツバチの生息をこうして「両者コンプリート」で確認できた私は満足だった。
なるほど、家からそう遠い場所ではないが、少しエリアが違うだけで活動している生物たちも異なる。見かける鳥たちも、じょじょにムクドリとスズメが多いゾーンに入っている(これまでの家の近隣の鳥一覧はこの記事内)。

鳥に大きな関心を抱いている今となっては私は、地上のみならず空を見るのにも忙しいのだった。歩きながら、アンテナのように鳥の鳴き声に耳を澄まし、声のする方角へ目を配る。

意外な場所に現れた、心癒される田園風景

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