受け取ることの大切さ。存在の豊かさと調和した世界

この1年くらいだろうか、自分の変化とともに、自然と「受け取ること」の大切さへ重きが置かれるようになり、その実感も深めている。
すると、生きる姿勢は大きく変わる。

それまでは、受け取るという概念についてもっと複雑なイメージを抱いていた。たとえば、入ってくるもの・与えられたものを「拒絶しないで受け取る」というように、受け取るにあたっての「能動的動き」を想定していた。
そのように意識して「受け取ろう」とすることや、拒絶を「しない」というのも、積極的、能動的な動きだ。

でも今は、そうした「受け取る」のイメージは持っていない。
もっと自然で、簡単なことだった。この後説明する、あることに気づけば。

私たちは物事を二極に分けて考える習慣があって、「give and take」の発想のように、「与えること」と対にして初めて「受け取ること」も実現すると考えていることが多いのではないだろうか。たとえ、意識的にそうは思っていなくても、無意識的に採用している方程式(あなたの観念)がそうなっている可能性はある。

自分が何かを「一生懸命与えて」初めて、ふさわしい対価が得られる。何事も等価交換だと考えれば、果たして自分は一体何を与えられるのだろう? 望んでいるものを受け取れるほど十分に、自分が「与えられるのかどうか」をまず、心のどこかで吟味しているかもしれない。
その結果、「私には釣り合わない」と思ったものは「受け取る」ことが不可であるとあなたによって判断され、あらかじめ、はじかれる。
するとそれが表層的には、あなたに縁のない、手の届かないものであるかのごとくに見える。

価値あるものを自分から懸命に与えなければ、十分受け取ることもできない――この姿勢をこそ正論と信じ続け、むしろ奨励する人もいるだろう。
けれども、そのような二極的発想と「受け取ること」を結びつけることが、人間をとても苦しめていることに気づいているだろうか。

今年私は「生存と働くこと、豊かさ」のテーマについて講座をする代わりに、noteでその内容を記事に織り込むとお知らせしてきた。
たとえば先月なら、◆「生存と働くこと、豊かさへの根本姿勢」で特にそのテーマにフォーカスしたが、この記事もまた、該当している。
「受け取ること」への誤解、余計な条件設定をとくことが、「私たち本来の豊かさによって自然に生きる」ためには必須だからである。

豊かさの真の源は、外にはない。
あなたの内に「今」あり、それをあなたの現実として顕現させるかどうかはあなた次第だ。

「与える」ことへの誤解

私たちの思考の中で、受け取ることと与えることはセットで考えられていることをすでにお話しした。
まずはここで、与えることに付随する思い込み・誤解をとこう。

逆に言えば、これがとけなければ、受け取ることへの観念も保持したままになる。

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