エネルギーヒーリングの豆知識、見え方感じ方など+セミの音

梅雨が明けたか明けないかという頃からセミが元気に鳴き出して、えっもうそんな時期? と驚きながら聞いていた。うちの方では今は朝にミンミン、夕方にニイニイ。もうじきセミの数がもっと増えて大合唱になるだろうけど、現時点ではまだ個別の鳴き声をじっくり聴ける。
☆参考に……●ニイニイゼミ(Wikipedia) ●ミンミンゼミ(Wikipedia)

この記事はエネルギーヒーリングについて語る内容なのだけど、セミの話題は単に時候のあいさつ代わりというわけではなくって、私にとっては明らかにヒーリングに関連している導入なのだ。

前回の記事◆「ヒーリングはチャネリング【ヒーラーでありたい方へ】」の中で周波数について説明し、音や光を例に挙げた。音も光も、エネルギーを私たちが知覚し経験する形態のひとつだ。癒しの手段としても、音のヒーリングや光・色を用いたヒーリングを受けたことがある方、興味を持っている方がいるのではないだろうか。

この観点からもセミの鳴き声は音として、エネルギーとして注目に値すると私は感じている。そのことは昨年のnoteでもふれている。
☆2020年7月と8月の以下の記事でセミのことを書いている。
「虫 led me to a new world. 自分のことをわかってなんかない。」
「鳥のおと(音)、セミのおと(音)」
2つめの記事が音の話に該当するのだが、それは長年を通しての私の感想で、やはり今年聞いてもセミの音のすばらしさとヒーリング作用は個人の好みを超えており、エネルギーとしてアラインメント(alignment)の効果をもたらすものだなと感じている。

セミの音の効果、身近にあふれる癒しのエネルギー

今日も至近距離で鳴くニイニイゼミの音に耳を澄ましていた……というか、大ボリュームで聞こえているのでおのずとそうなったんだけど、この一匹のセミの奏でる音にたちまち引き込まれ、感動してしまった。

システマチックにも感じられる規則的なリズムと音の構造、安定した音量、カチッと乱れのない機械的な音ながらもビーンと倍音重なる多重のハーモニー。この音、エネルギー振動の独特のアラインメント感は、他の生物のエネルギーをも整列した状態に誘引する。
また、遠くから聞こえるセミの音はシュイーッと、涼やかな滝が流れるように感じる。この音の波はエネルギーの浄化になる。

知覚には各々のフィルターがかかるので、たとえばセミが苦手で怖いとか、セミの鳴き声にいやな思い出があるなどの人にはヒーリング効果が感じられないかもしれない。だが、純粋にセミの音のエネルギーだけをキャッチしていると、そのよくできたバランスと整列したエネルギーに私は感謝の気持ちや驚異の念があふれてくる。
毎夏当たり前のようにこの声が聞ける私たち、セミの音のシャワーを浴びている私たちは幸せなのだ。彼らのもたらしている音の効果に気づいていてもいなくても、そのエネルギーの恩恵には浴しているものだ。

同じように、私たちの身の回りにはセミの例以外にも、ごく自然に、惜しげなく、癒しの効果を持つエネルギーがふんだんにあふれているのである。

私のエネルギーの見え方を一部紹介

ところで、一般に言うところの「見えないものが見える人」にはエネルギーがどう体験されているのだろうかと、興味がある方がいるかもしれない。
「見る」という言葉は視覚に限定してしまうが、体の五官同様にエネルギーも様々に知覚できる。私の体験の一部を紹介しよう。

まず視覚の面から言うと、私の場合、肉眼で見ているエネルギーと、心眼で見ているエネルギーがあるが、肉眼で見ているエネルギーにも色々あって、ヒーリング中は特にそれらが際立ってくっきり見える。

くっきり見えてしまうのは、ヒーリングをしている意識状態では自分自身のエネルギー周波数が変わるからだろう。物質世界も見えてはいるが、周囲が非物質世界寄りの景色になるのだ。
この風景を具体的に描写すると、すべてのものが発光しており、その光自体がものすごい速さときめ細かさで踊っており、明滅するパルスなのである。私たちはまるで光の海の、常に動いている波の中にいるようなのだ。

普段からこの景色は見えるのだが、通常の過ごし方では物質的な認識により焦点を合わせて過ごしている。そうしていれば「前景」が物の輪郭や物質になり、エネルギーの様子は「後景」となるので、不必要に気を取られることはない。

一方で、あなたが「自分の手を見て」と言われたら何の苦もなく手に目線を移すことができるように、肉眼で見ているエネルギーは、私には常に、ただそこにあって「見えるもの」として存在している。
自然に見えるし、視界に入る。なので、見えない世界という呼び方は本当は不適切だと感じる。何が見えているかは人によって違うからだ。
また、人によっては何もない空間というものがあると思っているかもしれないが、本当に何もない空間というのはない。どこにでもエネルギーが見える。しかも、こうして見るエネルギーに境界はない。切れ目がないのだ。

ここでひとつ差し挟んで伝えておきたいのは、知覚と定義についてだ。非物質の経験においても私たちは自分の知覚を使う。

<知覚することと信念、エネルギー体の定義など>
だからこそ、念頭に置きたいことがある。
たとえば非物質の領域やエネルギー体の「層」について、呼び名を含め多種多様な解釈と定義があるが、私は自分の経験を理解する目的で後から本を読んだり勉強したりと参考にすることはあったものの、自分が自然に・自発的に経験して知っていること以外は断定しないよう気をつけている。
なぜなら、意識が知覚を作るからだ。自分が強く信じると、それを現実に創造し経験する。特定の定義を採用して合意するならば、それがあなたの経験になるということだ。

さて、エネルギーの見え方は説明しようとするとたくさんありすぎるので、ひとつ的を絞り、最後の「自分の飲む水にエネルギーをチャージ」のセクションで具体的な描写を例に挙げることにする。次はエネルギーの感じ方を先に紹介しよう。

エネルギーの感じ方、私の最近のバージョンとともに紹介

私にとってエネルギーは物質世界のものに触れるのと変わらないくらいはっきりと感触があり、決して曖昧模糊ではない。
前の記事で書いたように、どの周波数のエネルギーを感じ取るかでその感触も変わるものだが、ここではヒーリングでエネルギーを意識的に流しているときを例に挙げてみよう。
★追記……私のヒーリングのやり方だが、基本、体にはふれない。手を使ってエネルギーを扱う場合にも体から離している。そのことを書くのを忘れていた。以下、その際の描写として読んでほしい。

最近の私は、かつて以上にエネルギーを感じるセンサーも鋭敏になったようなのだが(◆「ヒーリングはチャネリング【ヒーラーでありたい方へ】」を参照)、エネルギーを流しているときの手の平の感覚がどんなものかを描写すると、弱い感覚から強い感覚の順に、次のような感触を体験している。
(弱)
■微炭酸
■炭酸
■ドンパッチやわたパチのようなパチパチ弾けるキャンディーの刺激
■ピリピリ、ヒリヒリした痛み
■ビリビリ焼ける痛み
(強)
微炭酸から始まり、強い感覚では痛みと形容するレベルになる。ただし痛みといっても、必要なところにエネルギーを必要なだけ流し終われば消えるので大丈夫なのだが……強烈さで言えば、相当な程度になることはあるのだ。
ちなみにドンパッチやわたパチのパチパチはじける感じ、ぴったりなたとえなので出したけどわかるかな?(笑)
もちろんヒーリングは手を使わなくても行えるので、他の部位に鮮明な感覚が起こることもあるが、この例は手に意識を置いた場合の話だ。
あとは、エネルギーを流していると不思議だなと思う感触のひとつに「小雨が降っている感じ」というのがある。これは体中、または体の一部に感じるものだ。

この描写ほどに強烈なものではなくても、エネルギーに意識を向けたことがある方、感じ取る練習をしたことがある方なら、エネルギーを感じる様子を表す以下の表現にピンとくるだろう(自分では実感がないと思っている方も「これがそうか!」とわかるきっかけになるから参考にしてね)。

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