俺が忘れてしまうこと・覚えている鍵・人生の解体

<これは「分離を信じるエゴ」との訣別の実行と、その後をテーマに描いた短編小説です>

 覚えていたいと切に願い、何度も何度も心に決めても、信じられないほどあっという間に忘れてしまうとしたら、つらいよな。その上、忘れていることによって自分に甚大な苦しみを味わわせているんだってわかっていたら。なんとしてでも「覚えていたい」って思わねぇ?

 「思い出す」っていうことに何もロックがかけられてるわけじゃなく、隠された秘密でも秘儀があるわけでもなく、それはただそこにある。にも関わらず、俺は根気よく忘れる。色々なことを考え感じてるまに、ほら、また抜けていく。
 お、楽しそう。あ、おいしそう。体のどこどこの調子が悪いぞ。うーん、こんな情報要らねぇわ。おお、きれいだなぁ。そういえばあいつはあのとき確か……あれって何だったっけ。これはなかなか興味深い。ああ、〇〇するのめんどくせぇなあ。
 くだらなくなったり崇高になったり、変幻自在の内面劇場。自己も世界も批判してみたり、なだめてみたり、省みたり、思いやり深くなってみたり。
 俺は自分の経験してきた人間の正常な「ライフ」っていうものが、完全に異常なんだと気づいた。考えも感情もコロコロ変わり、昨日の友は今日の敵なんて考えすらどこかあり得ることとして受け入れられちまう。正直になれば俺自身、心の中で自分も他人も裁いていて、表に出してない分「まし」なのか? というと、ちっともましじゃねぇ。やってることはおんなじ。心の世界をそのまんま現実として冷静に眺めると、これは気が狂った状態だということに気づいた。

 気が狂ってるは大げさ? いやいや、考えてみろよ。ある人が、ある瞬間はとびきりの愛情をお前に注いでいたと思ったら、それからたいして時間が経たないうちに今度は失望したり怒ったりしてお前を責め、非難し攻撃してくる。こんな相手が自分の「中」にいたら?
 たとえあからさまな行為で示していないにせよ、お前自身もたぶん心の中で似たようなことをしたことがあると気づくだろう。よく眺めれば、少なくとも自分に対してそうしている心当たりがあるはずだ。
 お前は、ある瞬間は自分をそう悪くないと思い、気に入り、愛情をかけることすらするが、別の瞬間には自分をひどく憎んでいる。どうしてこうなのかと叱責し、お前の何かが気に入らないと通告し、不十分さを埋める努力をするよう促し、今より価値ある存在になるためには何をすればいいかを義務のように「考えろ」とせきたてる。これは何だ?

 お前自身を持ち上げたり落としたりする「敵」と同居している人生。
 そいつはお前の心の中にいるので、お前には逃げ場がない。そいつはときにははしゃぎ、愛らしくなり、褒美をくれるが、自分の思い通りにならないと容赦なくお前の失敗をなじり、奈落へ突き落す。そんな状態から逃れたいお前は、束の間の喜びや満足、充実感を味わったときのことを思い出し、それらをもたらす状況を外側に再現せよという命令に従って走り回る。それらの感覚を得たいばかりに。けれどもシーソーゲームのように、気づけばまた苦しみの中でひざをついている。

 俺はこれが「異常であること」をはっきりと自覚したので、そんなあり方に終止符を打つことにした。そのために、あることを「覚えている」ことに決めたが、固い決意をもってしても自分が簡単に、頻繁に「忘れる」ことに驚いたというわけ。

 覚えていたい「真実」が俺を近づけないんじゃない。さっきも言ったが、それはそこにそのままある。じゃ、俺があまりにも気が散りやすいのか? というとそうでもない。集中力の問題でも、不注意でも、意志の甘さでもなかった、俺がそうも忘れてしまうのは。

 しかしあるとき、俺はついに「覚えている」ための鍵を手にした。
真実にロックがかかっているわけじゃないんで、俺自身が「覚えているための鍵」という意味だ。

〇〇の力を行使する

 あるとき、俺は明白な事実を直視したんだよ。お前が毛布を頭からかぶっていて、そのせいで周りが見えず、息苦しく、暗く、何をするにも重たいのだとしたらどうする。原理としてはそれと同じだ。
 誰が自分に毛布をかぶせたのかと調査する? 毛布をかぶってしまった「原因」を探す? ははっ、そうじゃねぇだろ、お前のしたいことは。

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