ガラケー家族がスマホにしたら。スピリチュアル視点をまじえて語る【最終話 意識と未来、あなたの選択】

はじめはしぶしぶだったスマホ転向が、なんと、喜びのうちに終結した前回(第2話)
私の決意と同時に予定通り、家族全員がスマホへ乗り換えることに。
実はこれまでも何度か、皆でスマホに変えようと考えたタイミングはあったのだが、誰も本当にはガラケーに不便を感じておらず、愛着もあったため、その度に計画はいつの間にか流れていったものだった。

すでに書いたように、家族の半数が仕事ではスマホを使ったことがあった。でも、プライベートで常用するとなると話は別だ。
中でも両親は、各キャリアが専用プランも用意している「オーバー60才」に余裕で該当する。スムーズにスマホを使う生活に慣れるだろうか。特に気がかりなのはスマホにふれたことがない父だったが、本人は、いつかスマホにするんだから今でいいよ、と受け入れていた。

さてさて、想像と現実にはどんなギャップがあっただろうか。
ガラケー家族のスマホ乗り換え体験は、果たして……?

用語の日本語化に思いを馳せる

私と違って両親はAndroidスマホを使うことになった。いつからか、自然と我が家のコンピューター部門担当に着任していた私は、そのためにAndroidについても勉強することになった。二人をサポートすべく操作を教えたり、仕組みをわかりやすく説明したりを心がけたのだが、そうしながらつくづく思ったことがある。
それは以前からパソコン、特にネット上の作業について両親に教えるときに感じていたことだった。

もし、これらの用語が全て、日本語だったらどうなんだろう?
日本語由来の言葉だったら、両親はこんなに理解に時間がかからなくてすむのではないか。

コンピューターを使うときの用語は、英語由来の言葉がとても多い。
「アカウント」「パスワード」「モバイル」「タブ」「ブラウザ」「アップデート」「アプリ」「アイコン」「タップ」「スワイプ」「SMS」「SNS」……
各用語の意味を伝え、言葉を補足しながら説明するのだが、両親に定着するまでに時間がかかる。すべて英語が元なので気の毒になる。繰り返し伝えても、意味がスッと入っていっていないのがわかるのだ。
だから、たとえばパスワードを「鍵」と教えるなど、ところどころ私独自の日本語訳を入れる工夫をすると、それで納得してもらえることが多かった。

英語圏で生まれ育った人でももちろん、時代とともに新しく使われる語彙に対応したり、専門分野の用語を習い覚えたりはするだろう。
それでも、慣れ親しんだ母国語が元になっている言葉であれば、意味の察しは大体つくし、意図が把握しやすいのではないだろうか。

私自身はアメリカへの留学経験や、英語を使う仕事をしていた背景があるので、それらになじみのない人からすれば、言語の「英語領域」が今も自分の中に存在している。しかもパソコンをよく使ってきたために用語への抵抗はないのだが、他者に一から説明する、しかも自分の親世代に説明するとなると該当する日本語名称がもう少しあってもいいのにと痛感するのだ。

ビジネス用語などについてもそうだ。英語をカタカナにして定着させる形はあんまり増え過ぎてほしくないなという気持ちがうっすらある。

そんな私は昨年のM-1で、「すゑひろがりず」という芸人さんのネタに好感を持った。王様ゲームを「関白遊び」と言い、すべて昔言葉風にして興じてみせたり、お菓子のハッピーターンを「寿返し」、サッポロポテトBBQ味を「蝦夷芋焚火飯味」と言ったりする。
もちろんそれらは時代の違う古い言葉すぎて面白い部分はあるのだが、日本語のみで表現することが異世界のように新鮮に感じられるくらいに、私たちはその姿勢から遠ざかってしまったのだなとも思う。

私は英語も好きだし、時と場合、文脈によって英語の方がしっくりくる言葉はある。文章を書くときもそうだ。英語が元になる表現を排除したいわけではない。
利便性においても、世界中の人が共通して使っている用語をあえて自国語に一旦翻訳し、語呂のいい日本語名称まで考えるという手間が望まれない時代になっているのだろうし、グローバル化という点でも適さないのだろう。

けれども……やはり、こう思わずにはいられない。
物心ついた頃からコンピューターを使っている世代とは違って、上の世代になればなるほど、
日本語の用語がもっとあった方が新しい経験に対して親しみやすく、理解も浸透しやすいのではないだろうかと。
そして仮にそんな現実だったら……と、数々の用語をたわむれに日本語のみで想像してみたりもしたのだった。

両親のスマホをケアしたら【データ通信量を大量消費するキャリア提供アプリに思ったこと】

ところで、とりあえずガラケーからスマホにしたばかりということで、両親は月ごとのデータ通信量が最小のプランに入った。
ところが、である。
両親のAndroidスマホには、契約しているキャリア(携帯電話会社)の提供するアプリが沢山入っており、知らぬ間にそれらが作動して、データ通信量をかなり消費していたのである。

一度に二人のスマホの面倒をみていた私は忙しく、スマホの契約をしてきたその日は、帰宅後にまず父の設定を手伝った。そのとき、自宅のWi-Fiに繋ぐ設定もしたのだ。それからたぶん、十分から数十分程度遅れて母のスマホの設定をしたのだったが、その順序が仇となってしまったのだろうか。
翌日見ると、父のスマホのデータ通信量はたいしたことがないのに、同じ日に同じ機種にした母のデータ通信量はなんと、一ヶ月分の容量の半分以上を消費していた。二人とも、モバイルデータ通信で何か作業するということは一切していない。
母のデータ通信量の内訳を見ると、原因はキャリアの提供する、使う予定もないとあるアプリのせいだった。さらに調べると、そのアプリは動作を停止することはできても、アンインストールはできないことがわかった。

たった一日で、自分が使ったわけでもないのに月のデータ通信量が半分以下しか残っていないと知った母は、しょげていた。
これはいくらなんでも、店頭で説明する必要があると私は思った。
Androidの設定のためのデータ通信量だったのではない。キャリアが自社サービスを販売するために入れているアプリなのだ。
気づいたときには、ひとつのアプリがそれだけ多くのデータ通信量を使っていることに対する警告メッセージが母のスマホに表示されていたくらいだ。
キャリアが初期設定でそれを入れているのならせめて、Wi-Fiに繋ぐまでそのアプリが作動しないよう設定する方法を教えるとか、注意事項を伝えておくとか、何か工夫が必要だろう。

そもそも、初めてスマホを使う人の中には、データ通信量の詳細をチェックすることすらせず、一体何が起きているのかわからないままに後日支払いの金額だけを見て、「スマホって多くのデータ通信量が必要なものなんだな」と、より大きな通信量のプランへと変更する人もいるのではないだろうか。
誰かに教えてもらわなければ、使わないアプリが作動していること、設定を自分で変更できることについて、思いつかない人もいるだろう。
たとえば年配の方で、わけもわからず多めのデータ通信量の代金を「スマホには必要だから」と信じて支払っている人もいるかもしれないと思うと、私は気になる。

両親には必須であるキャリアメールを使うためのアプリの中にも、そうした自社サービス購入のためのシステムと通知が織り込まれていた。母がメールを使うとき、毎回アプリがなかなか起動しない、動作が重いというので見せてもらうと、そのことがわかったのだ。
ガラケーでは煩わしさは全くなかったメールというシンプルな機能が、そんな風に使い勝手が悪くなっていることに驚いた。
ただしこれらはいずれも、Androidを選んだ場合の話である。

スマホ使用を練習する両親の、我流の解釈にほのぼの

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