自然の使者たち(ハチ、ヤモリ、樹木)、精霊を見る目

あなたは自然が好き? 今よりも自然界の様々な側面と生き物が尊重され、「人間も含めて」調和した世界になったらいいなと思う?

その願いを実現する手段には、よろこびの道と戦いの道があるように見える。
地球の自然環境を考える、生物たちのことを考える、というときに、人間のもたらした残酷な現実を非難したり、危機への恐れを動機にしたりすると、結果として調和がもたらされない。
なぜなら、外観や意図はどうであれ、その活動から発せられるエネルギーがすでに不調和だからだ。

どんなに善意や自然への愛からそうした啓蒙活動が行われていても、人間は「攻撃」のエネルギーと「調和」のエネルギーの違いを感じ取る。
(関連記事◆「神に仕えようとする人が闇堕ちする理由と、真の自己を生きることとの違い」

そう、自分を「正義」の側に置き、外に見えている「悪」を指摘するなら、それは二極化した中で行う「攻撃」なのだ。このことは、私たち誰もがよく陥りがちな罠なので、◆「対立概念は幻想(反対するよりも真の因を見る)」という記事をはじめ、色々な切り口から度々説明している。
果たして、攻撃によって戦いが解決するだろうか? 形を変えた戦いを継続させるだけではないだろうか。

大切なのは、あなたがあなた自身の心の調和を「今生きる」ことだ。
それは、あなたが生きたい世界を、自分で今生きるということだ。
生きたくないと思うような世界と戦うのではなくて! 世界を自分の外部にあるのだと信じるのでもなくて。
差し迫った問題に対してですら、これが唯一の有効な手段なのだ。
(関連記事◆「自分の心を修正し、住みたい地球へ移行しよう」

しかも私たちの身近には、調和のお手本、地球に住む教師であり仲間である存在たちがいる。
人間が自然界を本当に見つめると、ただそうするだけで「正気に返る」ことができる。
自然界は、調和の法則から外れていないからだ。
個々の別々な存在に見える私たちが、ひとつであることを思い出させる。

一方であなたがもし、他の生物に目を向けず、何の関心も持たなかったら、彼らの姿は目に映っても素通りしていく。生物たちの営みは、あなたの生活にとって「自分を脅かさない限り」意味を持たなくなるし、虫の音も鳥の声も、そういえば聞こえるなという程度の雑多な背景音になってしまう。

人間は、自分の意識フォーカスの向け方によって、様々な世界を見ることができる。
あなたがある存在のことを知りたいと思い、愛をもって眺めたら、それまでは見えていなかった新しい世界が見えるだろう。

私自身も私の道の途上で、変化を現在進行形で経験している者の一人だ。
最近では、◆「生物を精霊と見る・アニマルコミュニケーションの新段階」で語った通り、野生生物の多次元的な表現に心を開くようにしている。

それは身近な自然の使者たちを、物理的視点に制限せず見つめるということで――今月に入ってから言及したキアシナガバチの新しい話題と、ヤモリ、そして家にある樹木との体験を、これに沿ってお話ししよう。

キアシナガバチが庭を訪れていたのは

以下の2つの記事で登場した「キアシナガバチ」だが、家の庭を訪れていた物理的な目的がわかった。
「アシナガバチのプチ予知夢、奇妙な植物合宿【夢と現実はひとつ】」
「生物を精霊とみる・アニマルコミュニケーションの新段階」

このキアシナガバチと私とは、上記記事で紹介した通り、こちらの現実では直には顔を合わせていない。夢でしか対面していないのだが(!)、家族は数日連続で見ており、先週のある日に、こんな報告を受けた。

キアシナガバチは、家の庭にある、メダカの稚魚がいる入れ物の水を飲みに来ている。
他の魚を飼育している入れ物にはやや細かい網目のフタをしているのだが、メダカの稚魚の入れ物にはもっと粗い格子状のフタをしてある。キアシナガバチの体の大きさだと、その格子ならくぐることができるのだ。
そして、水面にほとんど降りるようにして、上手に水を飲む。
しかも一度だけでなく、しばらくするとまだ戻ってきては水を飲む。これを何度も繰り返すが、一度に訪れるハチは一匹のみ。まったく同じ場所を再訪して、水を飲んでは飛び去るのだと。

両親が目撃したというこの様子を詳しく聞いて、私は、アシナガバチは水を飲んでいるわけではないのだろうと思った。
そこで、アシナガバチについて調べると、暑い日には吸水して、巣にかけて冷やすために運ぶことを知った。

詳しく知りたい方はこちらのリンク先を参考にどうぞ。
「ハチの巣の暑さ対策(「都市のスズメバチ」サイト様内のページ)」

ここ数日ぐっと気温が下がったのを感じるが、その頃はまだ暑かった。
近年の猛暑は、冷房を使用して涼んでいる人間と違い、野生生物たちに酷なのではと気になっていたが、川などの天然の水場がない住宅地であっても、アシナガバチは水のありかをしっかり見つけ、せっせと巣へ水を運んでいたのだ。なんて偉い……。

家族にもこの情報を教えながら、以後もうちでは誰も何もしないに違いないけれど、人間が危害を加えなければ刺さないからそっとしておこうねと念のためコメントしたのだった。

社会性昆虫の「私」という意識からわかること、生物ごとに異なる意識の自由度の配分

そしてさらに私が気になったのは、同じハチが往復しているのか、それとも実は途中で入れ替わって、別の個体も同じ場所に来て吸水しているのか、ということだった。

続きをみるには

残り 3,273字

¥ 1,200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?