心の杖を外して、まっさら化する【偽りの夢から覚める】
夢を持つこと! それは前向きな姿勢に感じられるかもしれないが、私たちが思い描く夢の性質は、よく確かめると二種類あることに気づいているだろうか。
ひとつは、あなたがあなたである限り継続するもので、自分が自分を生きているだけで自然と、内にある情熱の炎として維持されるもの。
これは未来のいつかになって初めて叶う夢ではない。形は変われどいつでもあなたはその要素に関わっているため、現在と夢との間に分離がないのだ。「たった今も、その一環を生きている」と認めることができる。
もうひとつは、「もしこれが叶ったなら、何かが変わるんじゃないか」との期待を前提とした夢だ。
あなたにとって「今はそれがない・実現していない」と感じているからこそ望み、抱いている夢であって、「マイナスからの発想」になっている。
具体例を挙げると、
自分にこんな能力があれば、この仕事に就ければ、もっとお金があったら、良いチャンスに恵まれていたら、パートナーがいれば、結婚(または離婚)できていたら、子どもがいれば・いなければ、ペットがいれば、どこか別の場所に住んでいたら、容姿がこうだったら、病気や症状がなければ、〇〇があったら・なかったら、こんな体でなければ……など。
自分自身のことのみならず、「世界情勢がこうだったら」「誰々がこうならば」など、あなたを取り巻く環境や他者を対象にしていることもある。
この「不足感から発生している夢」には、あなたがその気になれば変えられそうだと感じていることも、どうしてもままならないと感じていることも、両方が含まれ得る。
ここで説明した二種類の夢のうち、注意が必要なのは後者だ。
「にせものの夢。たとえ叶っても結局は同じ不足感が自分の中にあることに気づくオチが待っており、錯覚が礎になっている夢」だからだ。
実際それは長い努力を要しても実現しないか、実現してもあなたにとっては束の間の満足、一時しのぎとなるだろう。
それでも真の原因に気づかずに、次から次と形を変えただけの同質の夢――あなたを支えてくれるはずだと信じている「心の杖」を、作り続けることがある。それで一生を費やす可能性もある。
心の杖は、あなたが自分自身を生きるには必要がないものだ。
澄み渡ったまなざしで眺めれば、心の杖は余分であり、助けになるどころかかえってあなた自身の動きを妨げていると気づく。
私たちは、人生の中で多かれ少なかれ、幻想の杖を作り出してしまう。
「これさえ叶えば、違っているはずだ」という「無の杖」を、実在するかのように心の中で扱い、「でも、今はそれがないんだよな」と、手に入らないという欠乏感、むなしさを味わうのだ。
思いの強弱は移り変わるだろうが、「ないから、欲しい」との本質的に同じ願いがくすぶっている。
そんな「不足のメリーゴーランド」から、そろそろ降りない?
心の杖を外し、心を「まっさら化」する
これから伝えるいくつかのポイントを理解しよう。
これを理解してからでなければ、幻想ではあるが「自分の心を支えてくれるはずだと信じてきた杖」を自ら本気で手放す気にはならないだろうからだ。
メリットがあると信じているからこそ、あなたはその幻想を握りしめ、執着してきた。その「思い込み」をまず解かなければならない。
理解してほしいひとつめは、あなたが「今、ない」と感じているものを未来に先送りして「叶えよう」とすることは、実現不可能な状況を積極的に生み出すことになるということだ。
山頂に大岩を運ぶという苦行を命じられるが、山頂に届く寸前で重みで岩が転がり落ち、また底から運ぶことを繰り返すギリシャ神話の「シーシュポスの岩」のような気分を味わうことになるだろう。
●シーシュポス - Wikipedia
心の中を「見える化」すると、一体あなたはそのとき自分の意識エネルギーを用いてどんな作業をしているのだろうか。
矛盾するエネルギーによって、解決不可能な板挟み状態を現実にするための指令を出しているのである。
私たちが望みを持つとき、苦しい状態や、何かが足りないと感じる状態から「今は苦しい。でも、これを乗り越えたら……!」と、それが解決した未来を考えることはごく当然のように受け止められている。
苦しい今と、苦しみが去っているはずの未来を同一線上に繋げて考えているが、それは本当に可能だろうか。
この二種類の波長は、そのままでは相容れない。
では、どうするか。
今、ただ苦しみを忘れてハッピーになろうよ! で済むものではない。
苦しみについて明瞭に、こう理解してほしいのだ。
ここからが、ふたつめのポイント。
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