複雑さを手放すと【創造者の自然なあり方】

複雑さと単純さ、どちらを受け入れやすいかというと、すっかり「この世界の住人」としての自己になじんでしまった状態からであれば、複雑さの方が受け入れやすいんじゃない? と私は思う。

単純な真実、あまりにシンプルな説明、それらはかえって疑いや抵抗を引き起こすことがある。「そんな簡単なはずないって」と。

葛藤したい。苦労を乗り越えたい。難しさに取り組みたい。
それが望みであるならいいけれど、自分が何を選び得るかを知らずに「それしかないんだ」と思って複雑さを選ぶのには、ちょっと待った。

「複雑さ」に入り込んで疲弊しているときには、何かしら幻想の中で答えを探している。「単純、シンプル」な真実があるということを忘れている。

つまり、複雑さを自分で作り出すことや、あたかも複雑そうに見える事柄に意識を注いで自分の考えを忙しくすることで、単純な真実に「辿り着こうとしない」ことを積極的にしている可能性があるのだ。

複雑さを好んでいないか

ここにはもちろんあなたの信じていること、「観念」が関わっている。
難しくなければならない、複雑でなければならないことを前提として信じているのなら、その道筋から外れようとはしない。自分の信じた通りの流儀を「求めているものに近づくための方法」として守るだろう。実際は、それが遠ざかる方法だとしても。

また、真実そのものを恐れているということもある。
それを求めているようでありながら、直面するのは怖い。自分が真実と一体になってしまうのは恐ろしい。
だから難しくする。複雑さの迷路の中にいる。そうすれば延々と迷い続け、探し続け、真実に到達しないで済むから。

しかし、真実を避けていると、疲れるのだ。
真実は常にそこにあり、消せないものだから真実なのであって、なくすことができるなら真実ではない。
それを「避ける」というのは、よっぽどのエネルギーを使う。

努力しても何かがうまくいかない。
充実を感じない。
絶望している。
複雑さに圧倒され、押しつぶされそうになり、自分の力がいかに及ばないかや無力さを感じる。
……など、「真実を見ていない」ときの表れは色々あるが、そのどれもが、あなたがよろこびや安らぎの状態にないことを教えてくれている。
答えのないところに答えを探していたら、遅かれ早かれそうなるだろう。

では、答えのないところとは、どこだろう?

――この世界だ。
あなたが「自分の外」に見ていると思っている世界のことだ。

複雑さを手放し、答えを受け入れる【創造者の自然なあり方】

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