人は外側にいないという話(自分もね)

この1、2ヶ月は不思議なほど諸々のこだわりが消えていく経験をしていた。その中には自分が仕事、もしくは仕事外の活動として焦点をあてていたものも含まれる。それらを私は、こだわりというより情熱として捉えていたのだが、向ける愛情はそのままに、関心のほとんどが消えてなくなった。
今月上旬の記事◆「薄らいでいくことと存在のよろこび、コミュニケーションの姿勢の変化」では、具体例を挙げながらこの変化を説明している。

こうした今の自分の感覚に沿う表現手段として、先週はこのnoteで音声配信を始めた(音声記事は★音声メッセージ★マガジンに収録)。書くこと以外の手段としてなぜ音声を選んだかは、第一回の◆「20210319のメッセージ」内で言及している。音声に適した内容は音声で、この記事のように文字にすることが適している内容は文章で、と使い分けていくつもりだ。このように色々と、その都度の自分に最も自然に感じられるあり方を実行しているところだ。

そんな中、日常で私がどういうことにフォーカスして生きているかというと、これは以前と変わらない。
真の自己、ひとつの私、森羅万象の源、創造主……などと呼ばれる「私」と今一体であることを自覚し、人生という「夢」の、夢の中の登場人物になることをやめて、夢を見ている自己のまま生きることに意識を向けている。

ちょうど夢の中で夢と自覚したまま活動する「明晰夢」と同じで、それでも自覚の状態、意識性は変動するので、気づくと「夢の中の人物」になり切って思考し、ものごとを感じている。その度に「思い出す」ことをする。

☆意識の訓練については★霊的な目覚めと創造★マガジン内の記事をどうぞ。あなたの基盤が確かになると、何が真実かという点への疑いはなくなり、上記の通り意識性の「揺れ」がある度にただ気づいて、焦点を元に戻すだけになる。

意識に据えているこの目的から離れるつもりは一切ないし、「ひとつの私」に心を合わせて人生を創造する楽しさは増している。

一方で、私がとても意外に思っているのは、自分の人生の根幹を成していた「夢(眠っている間に見る夢、意識の別次元での活動の現れ)」についての関心までもが薄れたことだ!
エクスクラメーションマークをつけてしまうくらい、これは個人的に驚き。

私の性質からして、夢を記憶している、想起できるという点は変わらないのだが、夢への向き合い方がとてもさらっとしたものになった。

これは、夢も(この現実と同様)自分の意識がつくったものの「結果」だと理解していることと、それと理由がかぶるのだが、起きている間のこの現実もまったくもって意識で作っている「夢」なのだとの理解が定着したことによって生じた変化だろうと思う。
起きている間と寝ている間の区別がなくなっていくというか。

この理解とともに最近特に集中的に実感を深めていたのは、今回の記事タイトルにしたこの気づき、「人は外側にいないという話(自分もね)」だ。

世界があなたの見ている夢ならば、「人」あるいは生きているものすべてはどこにいる?

人は外側にいないが、あなたも外側にはいない【極めて大切なポイント】

スピリチュアルな教えを学んで、「他者は自分の鏡」「外の世界は自分の内の反映」ということを理解している人は多い。

途中までは、その理解を持っていても「都合よく例外を作りたがる」という段階を経るが、そうしたいときこそあなたの内にある「見たくない、知りたくないと思っていた自分自身」を見る機会だ。
あなたはそれを見るのも避けたい、何か恐ろしいものだと思い込んでいるに違いないのだが、実際はそうではない。
そうではないからこそ、正しく見ると癒しが起こる。すべての関係は癒しの機会
なのだ。

この世界に生きている間、私たちは「癒しの道」を歩んでいる。
自己を癒すことによって、自己の外にあると見ている世界を癒すのだ。

けれども、スピリチュアリティーの学びが「とても進んだ」と思っている人であればあるほど、「癒し」という言葉に抵抗を感じる可能性もある。
自分にはもう癒すべきものなどないし、癒す必要もない! と、考えるかもしれない。

そして、外に見える苦しみを、自分とは別のものとして見るかもしれない。そのとき、自己内に隙間を作っていることに気がつかずに。

どんなときでも、私たちは思い出す必要がある。
外に見えるものは、本当は外には全く存在していないのだと。

内と外という言い方もこの世界での便宜上のものだが、要は「物理的実体があって、あなたという存在の境界の外側にあるもの」など、何も無いということだ。

全部があなたの中にある。あなたの意識の創造である。

だからこそ、正しく見つめ直す必要がある。
あなたが見ていると思っている世界、人々、そしてあなたが自分だと思っている「体を持った個人の私」。それらはどこにある?

スピリチュアリティーを学んでいても、「私」という感覚をまだ自己の「体」に置いていることがある。
他者と離れた「境界」のある自己を想定していることがある。

これが極めて重要な違いを生んでしまう。
なぜなら、

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