もう一つの情熱・驚きはアニマルコミュニケーション【進捗状況パート2】

何度も何度も浮かんできてしまって、向き合うことになる課題がある。
「課題」と言うと重く感じる人がいるかもしれないが、それは言い換えると「情熱」で、生きているだけで自分の心の中に存在し、どうしても消えないもの。

そういう何かに気づく度、私は繰り返し「Surrender」しては、その内容に従って生きてきたつもりではある。それでも、あっ、これもそうだったか! と思いがけず「古くて、新しい情熱を」自覚することになるのが面白い。
先週の記事◇「新しいヒーリングスタートと進捗状況をシェア!」に書いた通り、ヒーリングを実施することもそのひとつだった。

あれから着々と準備を進めており、これといって障害はないと思っていたのだが、物理的な準備をしている段階で何かが自分を押しとどめているような不思議な感じがした。
考えはまとまっているのに、なんだろう?

イメージができていたのに、なぜかその時点で具体的なウェブページなどの作成に入れなかったのだ。
「進めない」というほどではないのだが、何かまだ、見るべきところがあるような変な感じ。しかし、心当たりはなかった。

こんなときはものごとを押し進めず、しばらく観察してみるのがいい。私は数日、自分の直観や内の様子に気をつけながら過ごした。
するとその間、明らかに度々心に浮かんできた問いがあったのだ。

「動物のことを、どうしよう?」
ほとんど無意識に、私はそう考えていた。

私がこれから開始するヒーリングは、スピリチュアルカウンセリングをしていた頃と同様に、ご依頼者さん本人だけを対象にすると決めていた。
つまり、「この人へのヒーリングを」などの、本人以外を対象にしたご依頼は受けない。
その理由の主要な点を言えば、ある人の人間関係や周囲の状況すべて(現実全体)が体験者であるその人自身のエネルギーによってできているからで、ほかに焦点を当てることに本質的な意義がないからだ。

ご依頼者さんと関わっている動物についても同じことが言える。
たとえ家族の一員になっている動物(コンパニオンアニマル、一般の呼び方だとペット)がご依頼者さんの元にいたとして、ヒーリングが必要に見える状況があったとしても、ご依頼者さん本人のヒーリングをすることで十分という考えだ。

その一方で、動物はエネルギーへの感受性に富んでおり、ヒーリングによく反応するという事実もある。それは人間に属さない野生生物が相手でも同じで、一時的なケアの一環としてヒーリングを行うことは可能だ。
と同時に、真逆のことを言うようだが、究極的には人間以外の生き物にヒーリングは要らない。
人間以外の生き物たちは、大きなひとつの調和から外れているという幻想を持たずに生きているからだ。

……こうしたことを、私は内で振り返っては吟味していた。
これらを踏まえた上で、それでも動物のことが心に浮かぶのはなぜだろう。
今から始める活動は、人間だけを対象にするのでいいのだろうか?

答えが出る前に、まずは自分が決めていた内容通りのヒーリングだけは準備を済ませようとしていたのに、どうもそれでは志気が下がるのだ。

「動物のことを、どうしよう?」
置き去りにできないらしいこの問いかけに沿って私の心に現れたのは、アニマル・コミュニケーションだった。
私は2019年に開催した自分の講座「テレパシー講座上級」の中でアニマル・コミュニケーションを扱ったり、その時期と重なる約1年数ヶ月間、アニマル・コミュニケーションの個人のご依頼を受けたりしていた。
(当時の講座・セッションの内容は旧ブログで見ることができる)

なぜ、もっと長くそれを続けなかったかというと、私のより多くの関心が、人間と暮らす動物に対する以上に野生生物に向かっていったことがひとつ。それから、私たち人間と暮らす動物には、結局のところ人間自身のエネルギーが反映されるということがもうひとつ。
このふたつをあわせて考え、アニマル・コミュニケーションの有益さは認めながらも、
「自然界や生き物たちに最も貢献できるのは、人間の意識を変化させること(人間の意識の調和を実現すること)」
と、ここに焦点を当てた方が目的を達成する近道だと結論づけていたのだ。

今でもこの理解は変わらないが、だからといって自然や動物についての思いが私の中から消えることはなかった。ふとしたときにそれはばーっと膨れて広がってしまう。
――自分の情熱にただ従うなら、私は何をするのだろう?

アニマル・コミュニケーションについてはさらにもうひとつ、他の生き物の想念や表現を人間の言葉に翻訳して説明するという点で「人間寄りの解釈」「人間界仕様の理解の仕方」になることが気がかりで、一旦手放してみたというのがある。
でも、もしそのような誤差が避けられないとしても、メリットがデメリットを上回ることを思えば、これは単に私の恐れによる「理由付け」だったかもしれない。

興味深いことに私は今、
人間を対象に「主に言葉を用いないヒーリングを」
他の生き物との間では「人間の言葉に翻訳して、異種間コミュニケーションの架け橋を」
、行おうとしている。
これは日常とは逆の方法の実施だ。日常では人間同士は言葉を使い、異種間では言葉を用いないのだから!

自分で思っていたよりも不思議な展開になってきた。
私が知っていて知らないシナリオ。
今後どんな体験が待っているのだろうか。


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