乗り越えるよりも方向転換――開かない扉や壁が導く祝福――

困難を乗り越える! 問題解決する! そうやって奮闘しているとき、心の中はどんな風?
頑張っている私、偉い! 負けない! これが生きることなんだ! と、「何かと闘う」あり方に手ごたえを感じて、困難に立ち向かうことに充実感や生き甲斐に近いものを感じることもあるのかも。

でも、よーく見て……その頑張りの裏には、疲れ切って、本当は心を痛めている幼子のような自己がいないかい? その自己は、もはや「届かない」声を上げることすらあきらめて、じっとうずくまっているということはない?
「ほんとの声」は聞いてもらえない……「私がどうしたいか」という夢は、誰にも(私自身にも)重要ではない……だから、あきらめよう。

あなたが、あなたに、自分の心をそのまま「感じさせる」ことをあきらめると、人生はうつろになる。
「戦い、生き、頑張るヒーロー・ヒロイン」のような果敢な自分を維持するために、自己を鼓舞することはやめてほしいのだ。
世間は「頑張る」あなたを励まし、応援し、「私もそうだよ、同じだよ」と言うかもしれない。連帯感は心地いいものだ。みんなで、つらさを乗り越えようね! 生きるとは、誰にとってもつらく大変なことだものね。

いいえ! そんなゲームに乗ることは「この地球経験の中でマスト」なわけではないのだ。あなたは、あなた自身であることでずっと楽に、しかし情熱を持って生きられる。そう、自分自身という流れに逆らわなければ。

人間は、困難を避けようとしたり、真っ向から挑もうとしたり、とかく困難というものに重きを置く傾向がある。
でももし、困難というもの自体が「無い」としたら、どうなのだろうか。

のれんに腕押し、ぬかに釘、そんな「手ごたえのないこと」のたとえにも似て、破れやすい紙で作った背景を「堅牢でしっかりとしたものに見せかけるために」、わざわざ自らを強烈に騙して、そう思い込ませることで「奮闘」を現実にしているのだとしたら……。

開かない扉は、何を教えてくれているか

あなたの人生に登場する困難を、「開かない扉」にたとえてみよう。

叩いても、叩いても、応答がない。自分の力でこじ開けようにも開かない。押したり引いたり、けっ飛ばしたり、体ごとぶつかってみたりもした。
一体どんな複雑な「鍵」がかかっているのかと、鍵の研究や謎解きに没頭もした。

そうしてあなたが長い年月を費やした後で、疲れ切って座っていると、通りかかった人が話しかけてきた。
「あなたはとても疲れて見えますが、一体どうしたんです?」
「私は長いこと、この扉を開けるために全力を尽くしたのですが、とうとう開かずに絶望しているのです」
「この扉をですか?」
「そうです」
「これは簡単に開くはずですが」
「まさか、そんなはずはない! 私はあらゆる方法を、試したのですよ」

それでも、その人はほほえみながらこう言った。
「この扉には、どんな秘密も、かかっている厳重な鍵も、内側から押さえて抵抗するような力もありませんよ」

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