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夏に遺した記憶の欠片〜神社と死体と木漏れ日の母

※ヘッダーの写真は記事内容とは直接関係はありません。
※文中に暴力の表現を含みます。



今年もこの季節に苦しんでいる。
私は夏……というより7月から8月前半にかけての時期がとても苦手だ。
この季節の間は、外に出れば大概ひどいフラッシュバックに襲われることになる。




少し前に、解離についての記事を書いた。

この記事の中で、「解凍できずにそのまま置いておくことにした記憶がある」と書いたが、それがおそらく、今の季節にあった出来事なのだ。
今回はその内容について、書き留めておく。
何ぶん客観視な証拠が一切ないため、痛い女のひどい妄想と思って読んで頂くくらいでちょうど良いかもしれない。


* 


私は幼稚園の時分、関東ののどかな郊外、A市に住んでいた。
家は床板も傾いた古い借家だったが、昆虫や植物が好きな私には広い芝庭(荒れていたが)が嬉しかったのを覚えている。
周囲には果樹園や畑が多く、家の裏を水路が走り、徒歩圏内に牛を飼っている農家も何軒かある田舎。
駅は遠く、最寄りのスーパーも幼稚園も車で行かなければならないような場所だが、家のすぐそばをバイパスが通っており、車さえあればそこまで暮らしにも困らない……そんな場所だった。


幼稚園は楽しかったが、当時は毎日の母のバイオリン指導が苛烈になり、体罰という名の虐待が日常と化していたこともあり、痛覚がひどく鈍いという異常も抱え始めていた。
たとえば、幼稚園で画鋲を踏んで足裏に根元まで刺さっているにも関わらず、痛みをほとんど感じず、「なんだかチクチクするな〜」と足を見て画鋲を見つけ、それを手で引き抜いて血まみれでそのまま生活する……そんなレベルのことがよくあるくらい、感覚がおかしくなり、解離が日常的に起き始めていた。
事件はそんな夏の日のことだった。と思う。


そもそもこの事件に関しては、始めから一部を除いて、記憶が割合よく残っていた。ただ、その記憶にあまりに実感が伴わないので、体験ではなく、映画か何かの記憶だと思い込んでいたのだ。
カウンセリングの過程で、それが自分の体験だと気付き、一部詳細やストーリー的な流れも思い出した……ものの、実感は未だ戻っていない。そんな感じだ。

覚えていた記憶は、
緑に包まれた無人の小さな神社、
畑の中を通る細い未舗装の道、
神社の前の石段、
覆い被さってくる男、
男が倒れたことで間近で合ってしまった目、
見開かれた目の燻し銀のような暗さ、
道路にぼんやりと立ったままの母の横顔、
母の白いブラウスとペイズリー柄のロングキュロット……最後に「ママ」と呼ぶ私。


暑かった。とても蒸し暑くて、熱中症になってもおかしくなかった。と思う。
これは身体が覚えている感覚だ。
せみがうるさかった。
母が、私の幼稚園が早終わりだった日の昼過ぎに迎えに来て、そしてたぶん、車でどこかへ連れて行ってくれたのだと思う。
当時よく遊んでいた市民公園の近く、農家の多い川端の、小さな神社だったのだと思う。
あたりは畑ばかりで人影はなく、牛舎ではハエにまとわりつかれた牛が、だるそうに首を振っていた。
神社の入り口には数段の石段があり、境内を囲む木はよく繁って、境内の中だけ数度も涼しかったはずだ。

母が少し離れている隙に、境内にいた私に、奥の方から男が近付いてきた、のだと思う。
近所の者なのか、素性は知らない。
若くはなかった。肌の質感でそう言える。
顔はわからない。暗かったし、私は相貌を覚えるのが(今も)苦手だ。
解離していると、やたらとミクロな、どうでもいい詳細ばかりを見て覚えてしまう。
男は、どこか障害があるのか、動きがおかしかったように思う。
しゃがんでいた私と距離を詰めてきて、覆い被さるように触られた、のだと思う。
力は強かった。障害のせいか、何をしようとしているのか意図のわからない動作だった。
砂利の上に横向きにされた私は、助けを求めて母を呼んだ。
母は私を見て、確かに目が合ったのに、何も言わずに境内を出て行った。

視界から母が消えて、おそらく男は何も言わなくて、いよいよ恐怖に駆られた私が(この時の膨大な恐怖だけは記憶がある)、それでも喉が締まったように何も叫べないでいたところに、突然目の前に男の顔が降ってきた。
目の焦点も合わないくらい近くに、どさりと男の倒れる音がして、おそらく足くらいには乗られていて、そして目の前に見開いた目があった。

目が合った。

その目は暗く、でも真っ黒ではなかった。
鈍色の、どこかマットな質感の穴。
それは後に、母が何かの検査の折に、瞳孔散乱の薬を使った時に見せてくれた、開いた瞳孔と同じ色だった。
それだけは、恐怖と共にずっと「覚えて」いた。

何が起きたかわからないながら、男の力が緩んだのを感じた私は、男の下から這い出して、膝を砂利で擦りむきながら走った。はずだ。
神社の外に駆け降りると、森から出て明順応が追いつかない視界に、少し離れた道でぼんやり立ち尽くす母の姿が見えた。
いつものように白い帽子を被り、白いブラウスに、グレーのペイズリーのキュロット。カールしたセミロングの髪が揺れている。
母は全く動じていなかった。誰かに助けを求めに行ったわけでもなく、ただ私を待っていたように見えた。
ぼんやりと、何も考えていないようだった。

母に駆け寄ろうとした私は躊躇した。
今起きた出来事を、確かに見ていた、見て、私の助けを求める声を聞いて、そして背を向けたはずなのに、何事もなかったように佇む母が、異界の何者かのように思われた。
裏切られた、と怒ることも、怖かった、と泣くことも、できなかった。

ためらいながら「ママ……」と呼びかけると、母は目を上げて私を見て、「ああ……」と応えた。
そして「そろそろ帰ろうか」と言った。


我々は家に帰った。
普通に家に帰って、おそらく庭の草むしりや夕飯の支度やお絵描きをした。のだろう。
私は振り返らなかったし、母は何も言わなかったし、男に何が起き、私は何から逃れ、そしてその後どうなったかもわからなかった。


私の幼かった脳味噌は完全に容量をオーバーし、身近な"例"に倣った。
すなわち、「何もなかった」ことにした。
情景は断片的に覚えている。だがそれはどうやっても私の日常に連なるモノではなかった。
映画や小説のイメージのように、「出来事」ではなく「絵」として私の中に残った。残っている。

男が何をしたのか。
母は私に何をしたのか。

今でも頭ではわかっても、ピンときていない。



この「絵」がカウンセリングによって、自分の体験した記憶であると認識できるようになるまでも、(今思えば)身体は断続的にサインを出し続けていた。


幼稚園を卒園して、引っ越してからも、夏になると言いようのない恐怖に襲われるようになった。
小学校の時の私は、夏になると冷房のきいた部屋で布団にくるまって、理由もわからずガタガタ震えるようになった。
神社に住む友人の家に泊まりに行った時は、激しい恐怖に襲われ、夜中に友人のお母さんに縋りついて号泣した。

小学校高学年になって関西に引っ越してからは、まさにこの時期に高熱を出して大病を患った。

※病気についてはこちらの記事に詳しく書いてます。

この高熱の間に見た夢で、あの時の母が峠の祠の横に立っている姿を見て、「ママ!」と叫んで目覚めたこともあった。

中学に上がってからは、夏に汗をかかなくなった。真夏でもニーハイにパーカーが必須で、厚着なのに汗染みもできない。友人には心配され、親戚には気味悪がられた。
夏休みには、お盆を過ぎるまで3〜4週間便秘が続く。ダイエットもしていないのに生理が止まる、あるいは出血量が倍くらいになる。が、内科でも婦人科でも異常は見つからない。

高校3年で自律神経が壊れてからは、真夏に外に出ると、常に頭を殴られているような、暴力に晒されるような苦痛を感じ、夏の眩しさにも暑さにも耐えられなくなった。
あまりの苦痛に耐えかねて、カウンセリングで何年かかけてほぐしていくうちに、やっと、神社での出来事を遠因と理解することができた。
こうやって書けばそれ以外あり得ないはずなのだが、自分では何年も気付くことができなかった。

ここまで詳しく書いてきて本当に変な話なのだが、この事件については、今も感覚が遠い。
薄膜を何枚も張ったスクリーンの向こうの感覚。
この「実感のなさ」こそが、解離の最も難しいところのひとつなのだ。
そして他人事として考えても、当時の感情はおそらく耐え難い激しさのものであろうから、これから先、どうにかして「実感」できたとしても、その荒れ狂う感情を処理できる自信もない。

この事件を「思い出し」てから、当時の事件や何かの情報がないかと、何度かネットで調べてみたが、該当しそうな記事は見当たらなかった。
当地に行って過去の地域新聞でも調べれば、なんらかの客観的裏付けがあるのかもしれないが……真相は今も不明だし、正直なところ、知るのが怖くもある。
そしてまた、外枠的な事実を知ったところで、あの時男が、母が何を考えていたかなど、おそらくわかることはないのだろうとも思う。
母も精神障害は無意識に根深いタイプだったから……おそらく私以上に激しい解離が起きて、心身喪失の忘我状態だったのだろう、と想像はつくけれど。
そういった第三者的な分析が、今現在の私にできる関の山で。

その引き換えとして、夏の初めは今でも漠然とつらい。
真夏の日差しの下、暑さの中、暴力の幻覚の向こう側に、死の予感や恐怖や自責、母への失望などが渦巻いているのはうっすらと感じる。
うっすらとでも十分につらいが、それでも実感するよりはずっと「マシ」なのだろう。

この先この実感が戻ることがあるとすれば、また記事にするかもしれない。
今年もお盆が過ぎるのを心待ちにして、なんとか耐え忍んでいこうと思う。

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