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悲しみとの向きあいかた。|おじいちゃんとレコード#3

おじいちゃんが死んでから4日目は仕事場に。

*はじめて読むかたは書き出しに驚くと思うので、興味があればこちらから。
https://note.com/s_a_k_u_/n/nc638b48a4591

メンバーの顔見て泣いちゃったらどうしようと思っていたけど、案外、冷静に言葉を交わしていた。(と、思う。笑)

それでも、やっぱり心ここにあらずで
度々ぼーっとしてしまい

打ち合わせの最中に「レコード」と、
自分でも無意識に言葉が出てきて
びっくりする。なんてことがあった。

とはいえ、普段からちょいちょいトリップしがちだったので、あんまりいつもと変わらない感じだった気がするものの
(それはそれそれで、少し考えものだ。笑)

幸い、打ち合わせの予定も何個かあったので
嫌でも仕事モードにならざる終えなかったが

夕方ごろから、いよいよ耐えられなくなった。

おじいちゃんのことは気にかかるし
仕事のことも気がかりが多いし
加えて3日間の疲労も相まって

極度的な頭痛と気持ち悪さで
心も体も完全にオーバーヒート。。

メンバーにヘルプを出し仕事を切り上げ
させてもらい、東京駅に向かう道すがら

悲しい。というより、苦しさで涙が出た。

とにかく苦しかった。

仕事が回せてない自分も
余裕がない自分も
放り投げたくなってる自分も

全部自分だけど、どうしてあげれば良いのか分からず、ただただ、苦しかった。

東海道線で優先席に座り、
本来であれば譲りたいところだけど、

本当に無理、ごめん!と思いながら
優先席に座り、小さく丸まった。

次第に頭の痛さも和らぎ、辻堂につく頃には、さっきまでの吐き気もおさまり、ゆっくりゆっくり家路へとついた。

日中に状況を知り、気にかけてくれた友から連絡があり、おしゃべりをしようと電話。

それこそ、感情が溢れて出て一気に泣いてしまうかもしれないと思った心配はよそに

その優しさと、冷静さとユーモアのおかげで、ただただ出てくる言葉を伝え、そして聴いてもらった。

なかでも、悲しみをコントロールしている自分がいる。という話をした時に、

それは脳科学的?に自然なことであると
言われて、自分の状態がおかしいことではないのだと安堵した。

人間はとても強烈な出来事があった時に
いきなり全部を受け止めてしまうと衝撃が強すぎるから

ダメージを軽減するために、ぽけーっとしたり、頭が働かないようにしたりする制御が発動するらしい

(勝手にそう解釈して聞いてたので、脳科学の話なのか、心理学の話なのか、そもそも理解が全く異なってたらご容赦を)

その話を聞いて、そうか私は私なりに自分の心を守ろうとしていたんだなあと思うと
悲しみを上手く扱えてないことに対して、なんだか肯定することができる気がした。

そして、貰ったアドバイスは2つ。

1.思考してしまうからこそ、最低限の仕事はしておいたほうがいい。

これは、おじいちゃんのことを考えすぎてしまうと、そのことだけで頭が支配されちゃうので、気にになるかもしれないけど、適宜、別のことをすることで意識を逸らすことが良いのではないか、ということ。

私の場合、性格的に、沼に入ってしまうと沼に浸かってしまうので、考えすぎない時間を作ることは確かに必要なことであった。

2.悲しむ時間を決めること。

これも内省してしまうと、とめどなく内省してしまう私だからこそ、

明確に時間で区切るとスイッチが切り替えやすくなるということだと理解した。

この時間は悲しむ。けど、その時間が終わったら仕事に集中する。

という、至ってシンプルな決め事を自分と確認することで、心の置き所のわからなさへの対処に繋がっていると思えた。

これら2つのことは、おそらくネットでいくらでも出てくるような内容だと思う。

けど、恐らく読んだところで
ピンと来なかったと思うし

他の誰かに言われても上手く飲み込めなかったと思う。

私にとっては、その友だったから
スッと腑に落ちて受け止めることが出来たのだ。

それを早々に体感できたことは大きく、そういった存在が身近にいたことには、感謝でしかない。

話が終わった後は、早々に寝床に入り、
久しぶりに12時を超える前に眠りにつくことができた。

そして、翌日はいよいよ、湯灌の儀式である。

Continue ….


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