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京都出張旅行(3) エナジーフローに思い馳せる。

充実したひとり旅とは、日常の疲れから解き放たれるべく美味しいものを腹いっぱい食べ、十分すぎる睡眠を取るものである。そんな旅からは程遠いのは、日常が疲れてないからであり、また、ゆえに非日常に価値を見出さなければならないとせっかちになるからである。

早朝の清水寺でも見て回ろうかと思ったがチェックアウトぎりぎりに目覚める。いつもそうだ。せめてもう10分早く起きることができないのだろうか。もしチェックアウト時間が決まっていなければ、永遠に目覚めることがないのかもしれない。朝食を食べる時間すらないのである。

京都から嵯峨野線、舞鶴線を乗り継いで舞鶴市まで。なぜ急いでいるのか?忘れてはならない。これはただのひとり旅ではなく、出張旅行なのである。腹が減りながら見知らぬ土地を放浪し、目的地に辿りつく。

そのおじさんはピアノを弾いていた。名刺を差し出すと、よく来ましたね、と驚かれる。昨日と同じだ。べつに来る必要性などないのに、遠出したいがゆえに訪れているのだから。仕事の話などものの5分で終わり、せっかくなので続きを弾いてもらうことにした。

坂本龍一の「エナジー・フロー」だ。けっしてうまいわけではない。譜面はなく暗譜しているようだがところどころ忘れていたり、ミスタッチも見られる。しかし心に響くものであった。たぶんこの楽曲を20年近く弾き続けているのではないだろうか。京都府で5番目の人口を誇りながらも例外なく時代から取り残されている、ここ”海の京都”で。

時間もなければとくに近場で見るべきものもなく、さっさと駅に戻る。腹が減ったが店がない。駅中で地元のおばさんが作ってそうな手作りのおにぎりがある。買ってみる。サランラップに包まれており、「ハムエッグ」との付箋が貼ってある。うん、ぬるい。

来た道を折り返して福知山へ。降りたつとどこを見ても「明智光秀」の旗がはためいている。16世紀、ここは明智光秀が築いた福知山城のもと城下町として栄えたが後継者不足につき伝統産業はほぼ消滅したという。歴史が好きでなければ用がないような場所だ。惹かれるものがなく、ただ駅と目的地を往復した。

仕事を終えたころ、あたりはもう暗くなっていた。

京都市内に戻り友人と飯を食べる。街に賑わいがあると安心する。この賑わいが当たり前になっている。だけど、都市部なんてのは国土のほんの一部にすぎない。

今回訪れたような、よそ者からすると魅力を感じられない誰かにとっての日常が、故郷が、まだたくさんあるのだと思うと、自分の身を置く環境をより客観的に見られるような気がした。学びとはそういうことだと思った。

なにか特別なことがあったわけではないけれど、これからも、その地を訪れたことのあるという忘れるかもしれない経験を積みかさねていきたいと思った。

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