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乱読とアウトプットとスマホ依存


最初に雑談。

本を読むのってわたしの場合、だいたい電車に乗ってる時か、出先でカフェとかに入ったりした時、もしくはおうちから出ないと決めて過ごす休日、そのいずれかなんですけれども。
電車内のようなスキマ時間に読みたい本と、休日におうちでのんびりしていてそれなりにまとまった時間を取れる時に読みたい本って、同じものとは限らなかったりしませんか。
(わたしはスキマ時間に手応えのある実用書かノンフィクション、おうちでのんびりだと小説を一冊まるっと読了するかさらっと読める実用書を手に取る事が多いです)

そこに加えて乱読を心がけるようにしているので、読みかけの本をいったん置いておいて、全然関係ない本に手を出してそっちを先に読みきってしまったり、という事も多々あります。

ただ面白いのが、そうやって全然関係ないジャンルの本を読んでいるにもかかわらず、

この一文いま読んでるあっちの本にも繋がる内容だ!
このくだりさっき読んだあの本の結論にも当てはまる!

というような「不思議な巡り合わせ」とでも呼びたくなる連想がしょっちゅう発生すること。
(外山滋比古さんの著作『乱読のセレンディピティ』って素晴らしいタイトルだと思います)

今回同時進行で読んだのはこの2冊。

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左:こないだ読んだ『学びを結果に変える アウトプット大全/樺沢紫苑
右:今読み終わった『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた/アダム・オルター
それぞれに面白かったです。


・学びを結果に変える アウトプット大全

アウトプットに関する方法80種類&アウトプットのための実践トレーニング7種類が取り上げられています。
80種の中には『謝る』『眠る』『運動する』といった、単語だけ見たらこれのどこがアウトプットなのかと思わずにいられない章もあるんですが、実際に解説を読むと「なるほどそういう事か」と素直に受け止められるものばかり。
自分に欠けていた視点や情報をくれる、という意味でも読んで良かった一冊です。

買ったきっかけはnoteにアップする文章を書くにあたって、何か参考になればいいなと思ったからだったりします。
でも実際に読んでみたら、文章術以外にもビジネス面での資料の作成方法や、後輩のマネジメント術といったものまで取り上げられていて得した気分。
80種と多量な分どうしても広く浅くになってしまう感は否めないとはいえ、感動は予想や想像を超えたところで初めて生まれるもの。
今回で言えばビジネス書に期待する情報を思いがけず得られた事が、もともと抱いていた期待を上回ってくれたわけです。ありがたい。

それ以外で響いたのは、やっぱり『スマホをアウトプットのツールとして使う』という提案。
そうなんですよね、スマホってSNSでの発信のようにアウトプットとして使える場面もあるものの、それを圧倒的に上回る勢いでインプットのために使用される事が多い道具なんですよね。

この辺りでちょうど同時進行で読んでいた『僕らはそれに抵抗できない〜』の内容がとても響いてきた。
操作性の快適さと見た目に華やかな演出や効果音といった、見事なまでに随所に駆使される「もっと使いたい」を煽る仕組みが脳裏に過って思わず我が身を振り返る。
SNSを眺めて時間を溶かす、19時になったらやめようと思ってそのまま19時半になっていたり、、、という事が実際あるんです。恐ろしいことに。

それに加えてわたし自身、何かを書く時にはiPhoneのメモアプリを使う人間なので誘惑の多さもよく分かる。
一点集中で全力で書く事を続けられている間はいいけれど、LINEの新着メッセージ通知が視界に入って集中力が途切れるだとか、そのままSNSをチェックしたくなって延々と眺めちゃってあの集中力よ帰ってきてくれ……という気持ちになる虚しさ。
(手書きやPCのキーボード入力で書くよりiPhoneのフリック入力で書く方が思考に近い速度で書ける、という理由でずっとiPhoneで書いてるんですけど、PCで書く事を習慣付けるようにした方がいいのかもしれないね)

本書によるとインプット:アウトプットの理想の比率は3:7とのこと。
インプットした情報は活用する(取り出す)事でようやく定着する。
本やスマホの画面に書かれた文字を読むだけ、つまりインプットするだけでは記憶になど残らずただ漫然と時間を消費しただけ…という悲惨なことになりかねない。
加えてインプットに特化したスマホという道具を毎日使っているのだから、この3:7という比率を意識するだけでも行動が違ってくるんじゃないかな。

実践トレーニング7種の中に「日記を書く」という項目があります。
去年は書いた日記をはてなブログにアップする事を1年間毎日続けていたんですよ。その頃と比べると、アウトプットのために必要な回路が錆び付いてきてるなって実感が何となくあるんです。経験的に。
思った事を瞬間的につぶやく事はツイッターで毎日のようにやっているけど、つぶやきの構成と日記のための文章構成って頭のそれぞれ違うところを使って行う実感があるから、つぶやくより書き綴ることを意識できるようになれたらいい。

「現実世界」は、アウトプットでしか変わらない。

……胸に刻みます。


・僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた

テクノロジー自体は道徳的に善でも悪でもない。問題は、そのテクノロジーを生み出す企業が、大衆に積極的に消費させることを意図的に狙って開発し、運用していることだ。
アプリや各種プラットフォームは、充実したソーシャル体験を追い求めたくなるようにデザインされる。(中略)すべてがそうだというわけではないが、残念なことに現在では多くのテクノロジー系プロダクトができるだけ常習させるように作られている。

人間は物質に対してだけではなく行動に対しても依存症になる(行動嗜癖)という実例を、帯にある文言"スマホ・フェイスブック・インスタ・ネットフリックス・ゲーム・メール……"にさり気なく取り入れられているテクニックひとつひとつから解説。
豊富な体験談と軽めの文体のおかげもあって、一貫して面白く読めました。

ベトナム戦争で戦地にいた10万人のアメリカ兵がヘロイン依存症になったものの、依存症から回復して帰還した兵士のうち再発者がたった5%だったという驚きのエピソードも紹介されています。
昔読んだ薬物依存を題材にした漫画では、一度依存症になったら一生誘惑と戦い続けるという描写を目にする事が多くてですね。そういうものだとずっと思ってきたんです。
でもその「そういうもの」は半分ぐらいは当たりだったみたい。
再発率5%の真相は、ベトナムからの帰還によって「ヘロインを使用した環境」から離れた事が大きく影響していました。戦地とは全く違う環境で新しい生活を始めたおかげで、ヘロイン摂取体験の合図から縁が切れた事だそうで。
言われてみれば確かに依存症とまで行かずとも、3時のおやつを食べる習慣が身についていても仕事が慌ただしすぎてそんな暇が無い時は全く食べなくても平気だしな……という比較にもならないような当てはめ方で納得したりしつつ。

それで言うとスマホ依存を断ち切りたいと思っても、自分の部屋でリラックスしながらゲームアプリで延々と遊んだりSNSで他人の意見をぼんやり眺めて数時間を費やす、、、という体験が習慣になっているなら、自分の部屋に戻る事がその「習慣」への合図になってしまうって事でもあるのでは…??
と少しばかり恐ろしくなりました。
自分の部屋でなくても出先でもどこでも、スマホを触れるだけの時間さえあればすぐに見てしまう事が習慣になっているような人、歩きスマホの例を出すまでもなく沢山いそうだし。

とはいえこれだけ日常に根付いているデバイス、完全に断ち切るのも難しいので欲求をコントロールする事が重要になってきます。
その上で役立つテクニックのひとつが「自分の行動を表現する言葉を変える」こと。
本書に登場する例えがフェイスブックなのでそのまま取り上げますが、フェイスブックを使いたくなる度に「私はフェイスブックを使えない」と自分に言い聞かせる人と「私はフェイスブックを使わない」と言い聞かせる人の違いについて書かれています。

「私にはできない」という言葉は、主導権を手放して他人に渡してしまう言葉だ。自分を無力化するという意味である。自分は無力な子どもで、誰か知らない人に命令されていることになる。そして、本物の子どもがそうであるように、人は他人に禁じられたことに心を惹かれやすい。
それとは反対に「私はしない」という言葉は、自分自身がそれをしないのだと強く宣言している。主導権は自分にあり、私は主義としてフェイスブックを使わない人間である」と表明する意味になる。

ささやかな違いだけれど、絶大な言葉の威力。
スマホゲームで遊んだりSNSを使う事が楽しくて、欲求を自分でコントロール出来てるなら良いんです。
ただ、他にもやりたい事、やらなければならない事があるのについつい没頭してしまう、やめられなくて困っている……という事が日常的に頻発している場合。
スマホに関してはベトナムからの帰還兵の回復のように、依存症の原因となり得る合図を取り除く事は現実的に難しいので、こういった気の持ちようひとつで良い影響を自分に与える事ができる、そう知っておくのも必要なことなんじゃないかな。

とはいえ「抑圧は短期的に失敗するだけでなく、あとから反動を招く」のも確かなので、最も有効なのは何か他に紛らわせる手段を持つことなのも確か。
そういった方法も紹介されているので、もし興味が湧いたらぜひ実際に読んでみてください。
(関係ないけれど、この「抑圧は短期的に〜」のくだり読んで、香川県のあの条例って全くもって無意味なのでは……と連想したりもしました。どうなんだろうね?)

最後にひとつ関係ない話。
『アウトプット大全』読了後に読んだページにて出会った文章。

のめりこませるゲームにするためには、初心者とマニアの両方に何かを提供できるものでなくてはならないのだ。初心者のためだけにデザインされたゲームでは、すぐにつまらなくなってしまう。マニアのためだけにデザインされたゲームでは、まだ遊び慣れない初心者が入ってこられない。

任天堂のゲームに関する章で読んだのでゲームと書かれてはいますが、これゲームを記事とかに変えたらそのままnoteで文章を書くことにあてはめられる…!と少なからず高揚しました。
こればかりだと退屈なので、時には極端に振り切る事が有効に働く場合もあるとはいえ。はからずも文章術のように受け止められる一文との出会い、結構本気で発奮したのです。


最後に。

今回は2冊の本を交互に読んだことがきっかけでしたが、その影響で普段は働かないような連想が作用して、1冊だけを読んでいる時とはまた違う感銘が得られたんだと思っています。
これだから乱読はやめられない。
ジャンルが全く違うほどに驚異的な飛距離を堪能できるという場合も多々あるので、これからも読みたいと思ったものを読みたい時に読んでいきたいです。



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