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"DON'T CALL ME CRAZY"

熱しにくく冷めやすい性質で、熱中する対象が数年単位でコロコロ変わる。
自覚があるのも質が悪いとは思うけれど、それでもそんな自分の人生で唯一、十数年間変わらずに好きで追い続けている人達がいる。

彼らの名前はポルノグラフィティ。
ボーカルの岡野昭仁さん、ギターの新藤晴一さんというお二人から成るロックバンド。

出会うきっかけが何度かあった上に、決定的に心を掻っ攫われるまでに少しタイムラグがあるのがややこしいけれど。
1986年式のわたしは今年誕生日を迎えると34歳。
ポルノさんとの一番最初の出会いは13歳、中学1年生の秋まで遡る事になる。



「この歌聴いて。歌詞が面白い」

当時まだ仲が良かった妹からそんなふうに言われて、ついていたテレビを観ると知らないミュージシャンの歌が流れていた。

僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに
僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
変わらない愛のかたち探してる

聴いていて気持ちの良い歌声がそんなフレーズを歌い上げていて、テレビ画面に映っている字幕は今流れているこの歌がロングヒット中という事実を告げている。
当時の自分にアポロ11号に関する知識など全く無く、人類初の月面着陸を果たした時の宇宙船の名前だというぐらい。ただその程度の認識だったからこそ、そんなものを歌詞に使うだけでなくそれを愛と絡めるって凄いな、と中学生なりに感じる事が出来たんだろうと振り返ってみて思う。
その歌は曲名もそのまま『アポロ』と明快で、耳に心地良い歌声のイメージと合わせて印象に残った。
ポルノという単語の意味も知らないどころか考えようとした事すら無い田舎の13歳だったから、バンド名より簡潔な曲名が脳にインプットされたのも頷ける話だ。

それから数か月後。
自宅でたまたまついていたテレビを見ていたら、観たことのないアニメが始まってオープニング映像が流れ始めた。
軽快なメロディと爽快な歌声が心地良くて、アニメ映像との親和性も相まって聴き入っていたところ、画面上に表示された主題歌のクレジット『ヒトリノ夜/ポルノグラフィティ』を目にした瞬間『アポロ』の人達だ!という驚きとともに聴き覚えのある歌声だった事に納得した、その時だった。

言葉にできないことは無理にしないことにした

このフレーズを耳にした瞬間の感銘は今でもおぼろげに覚えている。
言葉で表現できる範囲に留まらない、大きかったり曖昧だったりする感情や行為を言葉に押し込める事は止める、という決意を言葉で表現するというスマートさが鮮烈に感じられたんだろうと思う。それも歌詞という、徹底的に削ぎ落とされた簡潔かつ的確な一文で。
しかし当時の自分はその感銘を表現するための言葉を持っていなくて、ただただ凄いと思うばかりだった。
だけどその凄さに触れられたおかげで、自分の中での認識が「アポロの人達」から「ポルノグラフィティ」という名前の存在へとアップデートされたのだ。
どちらもきっかけは偶然ついていたテレビなんだから、何が起こるか分からないものだと思う。

とはいえ最初に書いた「決定的に心を掻っ攫われる」までは、さらにそこから数年を経る事になる。
『ヒトリノ夜』との出会いから半年後の夏は『ミュージック・アワー』の季節。サビで書き割りめいた鮮やか過ぎる背景からだんだん引いていって現実の海と浜辺を一緒に映す、コミカルとシュールが共存したMVを目にする度に楽しくなった。
その後リリースされた『サウダージ』のMVもメンバーが特殊メイクで老人になる不思議な世界観で、目にする度に見入りつつ歌にも聴き入った。
当時はまだCDを買うという文化が自分の中に無かった。セカンドアルバム『foo?』発売からしばらく経った頃、自宅から車で1時間のところにある最寄りのTSUTAYAでレンタル出来る事を知って、早速レンタルしたアルバムをカセットテープに録音して繰り返し聴いた。その熱が落ち着いた頃にリリースされたシングル『アゲハ蝶』を当時の自分なりに名曲だと感じもした。

だけどその頃は好きなゲームに熱中していたし好きな女性アイドルもいたから、ポルノさんに対して100%の好きを向ける事はまだ無かった。特にゲームの方はシリーズ物だった事もあって、ストーリーを進める程に面白さを増す展開に没頭する日々を重ねるうち、自然とそちらの比重が大きくなっていったのを覚えている。
(結果的にはキャラクターが歌うテーマソングやゲーム内BGMが充実していたそのゲームのおかげで、CDを買い集める事を覚えるようにもなるのだけど。)
休日などにまとまった時間があれば好きなゲームに没頭する、そんな中でも偶然目にする音楽番組などで、ポルノグラフィティの歌を耳にする機会はあった。

限り無くは無限 夢幻が無限

文字で読むと「むげんがむげん」だけれど歌で聴くと「ゆめまぼろしがむげん」となるワンフレーズに、音楽番組で歌詞字幕付きで出会った時の心の動き。
アニメ『鋼の錬金術師』の第一話を観ていて、初回のみの変則的な構成ゆえ最後に流れたオープニング映像で「君の手で」という最初のフレーズを聞いた瞬間の「主題歌ポルノグラフィティなんだ!」と気付いた時の驚き。
「友達から借りたポルノグラフィティのアルバムにすごい歌があった」と言い出した妹に付き合って聴いたのがきっかけで知った『カルマの坂』という歌で、物語調の歌詞と哀切に満ちた展開に対して感じた動揺。
きっかけたり得るタイミングは幾つもあった。だけど「その時」までは、まだもう少し時間を必要とする。

高校3年生、18歳の夏。
気まぐれに入ったCDショップの店頭で、赤林檎と青林檎を人間の顔に描いた奇抜なジャケットのCDが目にとまった。
気になって近付いてみて初めて、それがポルノグラフィティが2枚同時リリースした初のベストアルバムである事を知った。
収録曲を見比べてみると、赤林檎『BEST RED'S』の方には『ミュージック・アワー』や『サウダージ』が入っている事に対して、青林檎『BEST BLUE'S』は『アポロ』『ヒトリノ夜』『アゲハ蝶』に鋼の錬金術師の主題歌である『メリッサ』、それに『カルマの坂』や昔何度も聴いたセカンドアルバムで好きだった『オレ、天使』まで収録されている。
どちらか選ぶなら青林檎だ。
そう思い立って『BEST BLUE'S』を買って帰って聴いた。知っている歌はもちろん初めて聴くものも良い歌ばかりで、これなら赤林檎の方も満足できる一枚に違いない、そう思い至って数日後に『BEST RED'S』を買いに行ってすぐに聴いた。
そこで「決定的に心を掻っ攫われる」きっかけがようやく訪れる。

次の千年の恋人達に 誰も解いたことない謎を残そう

2曲目に収録されている『Century Lovers』という歌のサビの冒頭。
一番最初の「つ」部分の高音を聴いた瞬間の高揚感と後半部分のメロディ展開、そして何よりそのメロディにのった歌声に対して感じた心地良さの衝撃。
この歌声が好きだと思った。
一目惚れに際して動いた心の詳細な言語化ほど野暮なことも無いからもう率直に、ただただどうしようもなくその歌声に惚れてしまった。
そうやって心を奪われた上で通して聴いた赤林檎のアルバムが特別な存在にならないわけがない。ハードロックからバラードまで振り幅が多彩な楽曲と、曲調に寄り添うように様々な表情を見せる歌声と歌詞の世界観まで、そのすべてに一気に魅了された。
かつてセカンドアルバムに聴き入った頃と同じように繰り返し、しかし当時とは比べものにならない程の熱量でもって赤林檎のベストアルバムを何度も聴いた。
それから数日後に新しいシングルがリリースされる事を知って、初めてCDを発売日に買うという行動を起こした。
15枚目のシングル『シスター』。
青い時間帯を切り取ったジャケット写真の美しさに、綺麗なものを手許に置いておく喜びを教えてもらった。
そしてこのベストアルバム2枚同時発売から15枚目のシングル発売までの間は、メンバーの脱退という重要な局面を迎えていたタイミングだったのだけど、個人的に率直なことを言ってしまうとベストアルバムを聴いた時点では歌の魅力にばかり興味が向いていて、メンバー個人個人に対してはそれほど思い入れは持っていなかった。
歌だけでなくメンバーに対しても興味を抱くようになったのは初めてCDを発売日に買った『シスター』からで、それはやはり線と線として別々に存在していた自分の人生とポルノグラフィティの活動がただ交差するだけでは終わらず、自分の人生の方がポルノグラフィティへと重なってそこから今に至るまでずっと続いていく、その一番最初だったからだと推測している。
あるいは鴨が初めて目にしたものを親だと認識するすり込みに近いとも言えるかもしれない。歌だけにとどまらずメンバーに対しても興味を持った最初のきっかけを思い起こそうとすると、真っ先に目に浮かぶのがシングル『シスター』の裏ジャケット写真に使用されている、昭仁さんと晴一さんの二人が並んで立つ姿なのだから。

それからは新曲が待ち遠しくなって、情報をこまめにチェックするようになった。
高校を卒業後、実家から通える会社に就職して慌ただしく過ごしていたさなか、5枚目のオリジナルアルバム『THUMPx』を購入した時だったと思う。それから約2か月後にある自分の19歳の誕生日に、ポルノグラフィティが香川県高松市でライブを行う事を知った。
当時は高知県の中でも田舎のエリアに住んでいて、一人で県外に出た事もまだ無い頃だった。だけどライブの日と誕生日が重なる上にそれが同じ四国内という偶然が、そう何度も起こるものでもないだろう事は容易に想像がついた。高松市が家族旅行で過去に訪れたことがある街だった事や、自宅最寄りのJRの駅まで行って汽車に乗ってさえしまえば複雑な乗り換えも無く着ける場所であった事も背中を押してくれた。
しかし手許にチケットが無い。
(今思えばきっとツアー日程と同じ場所にチケット購入に関する詳細も書いてあったのだろう。けれどそういったものを確認する事すら思いつかなかった当時の自分を叱りたい。)
どうすればチケットを購入できるのかが分からないままダメ元でオークションサイトを覗いてみると、目当ての高松公演のチケットが1枚だけ出品されていた。結局ほぼ定価に等しい額で出品されていたそのチケットを落札する事で、チケットが無い問題はひとまず解決した。
翌日、入社間もない新人ゆえ恐縮しながら上司に休みの申請をしたら快く受け入れてもらえて、休めるかどうか問題もあっさり解決した。
相変わらず仕事で慌ただしい日々が続いたけれど、それからは「もうすぐポルノグラフィティのライブに行ける!」という喜びをモチベーションに日々を過ごす事ができた。

待ちわびる気持ちで迎えた19歳の誕生日。
朝自宅を出発して、午後2時だか3時だかの時刻に高松駅に着いた。
今となっては微笑ましいけれど、当時の自分には高松駅周辺の光景が、地元とは比べものにならない程の大都市として目に映った。ホテルにチェックインして荷物を置くという何気ない体験まで、一人きりで行う何もかもが新鮮でワクワクした。
予め調べておいたので、会場が駅から歩いてすぐのところにある事は把握していた。とはいえ方向音痴の自覚がある上に大きな街で一人きり、迷わずに着けるだろうかという不安を抱きながら駅前に向かうと、その時のポルノグラフィティのツアーグッズのTシャツを着ている沢山の人達が同じ方向に向かって歩いていたおかげでものすごく安心した。そのまま人の流れについて行ったおかげで会場にもすぐに着けた。
そうして迎えた初参戦のライブ。
暗転せず明るいままのステージ上に、いきなりメンバーが袖から歩いて出てくる演出だったから、心の準備が追いつかないまま1曲目『Ouch!!』が始まったように記憶している。
メンバーが歌う姿やギターを弾く姿を1階席の後ろの方から眺めながら、本当に実在するんだ、という実感と高揚に呑まれつつ時間はあっという間に過ぎた。
発売して間もないアルバム『THUMPx』を引っ下げたツアーだったので、繰り返し聴いて予習しておいたアルバム曲を生歌生演奏で聴ける喜びも勿論あった。だけどその日一番の驚きと喜びは、赤林檎のベストアルバム『BEST RED'S』で存在を知って大好きな一曲となっていた『ヴィンテージ』を聴けた事だった。ツアーのためのアルバムに収録されている訳ではない歌が、それもシングル曲ではない歌がセットリストに入るなど予想すらしなかったのだ。特徴的なイントロが鳴り響いて次に始まる歌が『ヴィンテージ』だと理解した瞬間に、これまで自分の人生で一度も出した事の無いような驚愕の叫び声が出た。そして歌を聴いて万感の想いが溢れて涙になって流れるという体験をしたのも、この時が初めての事だった。
そこに行って同じ時を過ごして自分自身で目撃する事で初めて得られる高揚を知った、人生最高の誕生日になった。
終演後、夢心地のまま駅近くにあったフレッシュネスバーガーで美味しいハンバーガーを食べた。一緒に頼んだ柑橘系の生搾りジュースが凄まじく美味しくて、都会はすごいなと思った事まで覚えている。
ホテルに戻って余韻に浸りながら入場時にもらったチラシを眺めていると、その中にオフィシャルファンクラブ『love up!(ラバップ)』の案内が入っているのを見つけた。会員特典としてライブチケットの優先販売という項目もある。
またあの楽しい時間を過ごしたい、そう思って翌日帰宅してから早速入会申込の手続きを行った。月末近くだったので翌月の反映となり、2005年7月から晴れてラバッパー(ポルノグラフィティのファンクラブ会員の呼称)になって今に至っている。

そうやって、2004年9月にポルノグラフィティの活動のリアルタイムと自分の人生が重なったあの日から、ポルノグラフィティのお二人を応援する事が日常の一部になった。
その中で嬉しい事や感激する事も沢山あった。

2006年6月28日、ポルノグラフィティが20枚目のシングル『ハネウマライダー』をリリースした。
その日は私の20歳の誕生日で、初めてポルノグラフィティのライブに参戦した日からちょうど1年後の事だった。誕生日というだけでなく20という数字の合致も嬉しくて、ポルノさんからの誕生日プレゼントみたいだと思える偶然をとても嬉しく思った。
その後『ハネウマライダー』はライブの定番曲へと進化する事で様々な思い出をくれる一曲になり、自分自身が歳を重ねる事で歌詞の深みを理解出来るようになった事もあって、今でも他の好きな歌とは別格の特別な存在であり続けている。

2007年4月、人生2度目のポルノグラフィティのライブに参戦する機会が訪れた。
場所は愛媛県武道館。
もともと私よりも先にポルノグラフィティに興味を持っていた妹が一緒に行きたいと言い始めた事に加え、当時の最新アルバム『m-CABI』を車の中でエンドレスリピートしていた影響で歌をよく知っていた母も興味を示した事で、ファンクラブ先行でチケットを3枚取り久々の家族旅行が出来た。
そのライブで当たったチケットはアリーナ19列目。そして会場に着いて着席してみると、そこはギタリスト・新藤晴一さんの定位置がほぼ真正面に来る席だった。
オリジナルアルバム『m-CABI』のツアーなので、その収録曲が多数披露されるセットリストだった。そしてその中でも一番、十数年経った今でも鮮明な写真のように記憶に焼きついているのが、シングルA面曲にしてアルバム収録曲でもあるにもかかわらず、CDで聴いた時にはそれ程印象に残らなかった筈の歌『DON'T CALL ME CRAZY』のイントロだった。
ハードロック寄りの音色で冒頭からギターのフレーズが強烈に響くその歌のイントロを、暗転からのピンスポットを浴びながら弾く晴一さんの姿が激烈に素敵だったのだ。
赤林檎のベストアルバムで『Century Lovers』を聴いた瞬間が歌を好きになった決定的なきっかけなら、こちらはライブを好きになった決定的なきっかけと言ってもいい。「心を撃ち抜かれる」という表現の取り返しのつかなさが相応しいぐらい、ギタリスト・新藤晴一さんの姿と奏でられる音色に惚れてしまった。
終演後に回収されるアンケートに「あの瞬間の晴一さんは世界で一番カッコ良かった」などと若気の至りめいた事を書き殴って提出した事もおぼろげに覚えていて、それに関しては思い起こすだけで赤面しきりなのだけど。
とにかくそんな事があったおかげで、それまで特に印象に残っていなかった筈の『DON'T CALL ME CRAZY』という歌が大好きになった。ライブの思い出がCD音源の印象を上回って特別な存在へと引き上げてくれた体験はその後も何度か起こるのだけど、その最初の体験がこの時だった。

他にも沢山の思い出がある。
愛媛県武道館のライブの思い出話をブログに書いたら、当時の憧れの人がポルノグラフィティのアルバムを買って聴いたと言ってくれて嬉しかった事。
2007年12月に高知県で開催されたライブハウスツアーに参戦した事。
昭仁さんがパーソナリティを務めるニッポン放送のラジオ番組・オールナイトニッポンをリアルタイムで聴くために深夜まで頑張って起きていた事。
2008年にリリースされた24枚目のシングル『痛い立ち位置』を初めて聴いた時の、韻を踏んだ独特な歌詞の面白さに思わず笑みが溢れて、高揚が最高潮に達した時の人間は笑ってしまうものなんだなと知った事。
それらのどれもが嬉しさや喜びを伴うものだった。

そんなふうにポルノグラフィティの音楽が常にそばにある日々を過ごす中で、人生の転機となる出来事が起きた。
デビュー10周年を迎えたポルノグラフィティが、2009年11月28日の土曜日に初の東京ドームライブを行なう、という情報が発表された。
一日限りと銘打たれたそのライブは映像収録も無く、従ってライブDVDのリリース予定も無いという。参戦した人だけが目撃出来る10周年記念ライブを、ポルノグラフィティ史上最大のキャパとなる会場で行うのだ。
もちろん行きたかった。
だけど会場である東京ドームは、県内唯一の空港まで4時間以上かかる田舎に住んでいた当時の自分には遠すぎた。それに東京という大都市も当時はまだ行った事の無い未知の場所だった。加えて開催日が土曜だから、行くとすれば最低でも土曜と日曜で連休を取らなければならない。当時の職場環境と自分の立場では、土日に連休を取るなど絶望的な事だった。
結局、諦めきれない気持ちをなんとか押さえ込んで参戦を見送った。
11月30日、月曜日の朝。寝ていたところを母に起こされ「ワイドショーでポルノグラフィティの事をやっている」と教えてもらえたので、一日限りだったそのライブの様子を少しだけ目にする事が出来た。
テレビ画面の中に広がる光景がとても楽しそうで眩しく見えた。
観る機会は無いものだと諦めていたから少し嬉しかったけれど、大好きな人達の周年記念をお祝いできるライブを諦める、という選択をした苦い事実が自分の中に残った。
田舎とはいえこの町は好きだし実家で過ごす日々にも満足している。
休みが固定である事はさておき仕事内容自体には不満など全く無い。
だけどこのままこの場所に留まり続ければ、これから先に同じような機会が訪れた時もまた諦める事を選択せざるを得ない。
それで本当にいいのだろうか。
母を置いて遠くに行くつもりなど全く無く、変わらずにずっと続いていく日々を疑いもせずに生きてきた。だからその自問自答は、このまま同じように続いていく自分の人生に対して初めて生じた迷いだった。

数か月考えた後に「今の仕事を辞めて、県外に出て一人暮らしをしてみたい」という意志を母に告げた。
その後職場の上司にも話をして、さらに上の人とも面談をした結果、2010年の年度末での退職と、それまでに新入社員さんに仕事の引き継ぎを出来る限り行うという事が決まった。服にばかりお金を使っていてまとまった貯金も無かったから、ある程度の期間を設けてもらえたのはありがたい事でもあった。
いきなり四国から出るのはハードルが高かったので、愛媛県松山市か香川県高松市のどちらかに住みたいと考えた。熟考の末に高松なら汽車で乗り換え無しで行けるから便利だと結論を出して、香川県高松市で暮らす事を決めた。当時は意識しなかったけれど、その選択にはきっと19歳の誕生日の思い出が無意識に反映されていたんだろう。
これからの事を少しずつ決めて、新入社員さんへの仕事の引継ぎも始まった。しかし私自身弱いもので、決意してから実行までの期間が長く設けられている事もあり、先が見えない未来に対して不意に気持ちが揺らいだり不安に挫けそうになる瞬間が訪れる事もあった。
だからそんな時にはポルノグラフィティの歌を聴いた。
当時一番沢山聴いたのは『DON'T CALL ME CRAZY』だ。時間をかけて築き上げてきた何もかもを手放して旅立とうとしている自分を、曲名に重ね合わせて発奮したい気持ちもあったのかもしれない。

まだ息を殺して 今に見てろ

サビのこの短いフレーズに、どれだけ沢山の勇気をもらった事だろう。停滞のように感じられてもどかしかった日々も必要なものだと肯定してくれるようで、自分の中に芽生えそうになる不安や心配や何もかもを「今に見てろ」と睨みつけるつもりで何度となく聴いた。
それにこの歌を聴けば、何度でもあの瞬間を眼前に思い描けた。
2007年の4月に目にした、ステージに立つ最愛のギタリストの姿。
焦燥めいた切実さを伴って奏でられるギターソロに聴き入る度に、ポルノグラフィティのライブにこれからも沢山行きたいから、蔑ろにしたくないから決めたんだ、という当初の目的へと立ち返る事が出来た。
そうやって背中を押してもらった。
何度となく。


……長々と書き綴った今になってようやく、この記事を書き始めたのが「私のイチオシ」タグをつけるためだった事を思い出した。
自分の思い出話を延々と書いてどうする、と率直に感じたけれど、境界線が見分けられないぐらい人生の一部として存在してくれている事で今があるのも確かなのだ。
不器用で申し訳ない。
実家を出た後は香川県高松市に3年2か月住んだ。その時にいろいろな事があって上京を決意して、東京都内に住み始めて今に至っている。
そんな中でもポルノグラフィティの音楽がずっとそばにあった。歌やライブに纏わる思い出を書こうと思えば、きっとこれまで書いてきたのと同じだけの字数を必要とする。
だけど2011年以降に出来た、ポルノグラフィティに関する掛け替えのない思い出や出会いに想いを馳せる時、考えずにいられないのはその全てが実家を出た事で得られたものだという事実だ。あの時とどまる事を選んでいたらこの幸せは無かったんだな、と振り返る機会が増えたのは、歳を重ねた事とずっと一緒に生きていきたい人が出来た事がもたらした変化でもあると思う。
いつも新しく素晴らしい景色を見せてくれてありがとう。
心が折れそうな時に支えてくれてありがとう。
何度言っても足りないほどの感謝がいつだって溢れている。

デビュー20周年を迎えた2019年9月、ポルノグラフィティは10年ぶりに東京ドームでのライブを実現させた。
参戦を諦めるしか無かった10年前と違い、今回は2daysの両日ともを会場で目撃する事が出来た。
2階スタンドから見下ろした満員の東京ドーム内の光景と、その真ん中で最高の笑顔で歌いギターを弾くお二人の姿は私にとって2019年いちばんの宝物だ。

気付けばあと数年で、ポルノグラフィティを好きになってからの日々が人生の半分を超える事になる。
進み続ける事をお二人が選択される限り、その背中をずっと応援していく。
これからもよろしくお願いします。


最後に「私のイチオシ」へと軌道修正。
ファン歴16年の私が、今一番好きなポルノグラフィティのシングルA面曲を紹介します。

『真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ』
2016年11月9日に、両A面シングルとして発売されたうちの1曲。
(※映像に光の世界と炎の世界が登場するのは、両A面のうちの片割れの歌『LiAR』のMVと対になった構成のため)
作詞作曲がボーカルの岡野昭仁さんだという前情報があったから、初めて聴いた時の「こんな言葉数詰め込みまくりで生歌難易度史上最高峰の歌をボーカリストが作詞作曲したのか!?」という驚きと、そこから滲む飽くなき挑戦への姿勢に打ち震えて思わず感極まった事がいまだ記憶に新しい。

道なき道で頼るべきは己から聞こえる声

この歌詞を羅針盤のように胸に抱いている。
己から聞こえる声を聞き逃さないよう、常に耳を澄ましていられる自分でありたい。
そして語彙の限界は思考の限界でもあるので、沢山の本を読んで興味の赴くことに挑戦して、世界を広げる努力を惜しまずにいたい。そう思う。

「今に見てろ」に支えられていた時から10年が経ったけれど、胸を張って自信持って行く事を変わらず大切に想っている。
本当にありがとうございます。




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