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私鉄系ミュージアム:近鉄 大和文華館【吉田五十八2】奈良県奈良市

明治から昭和初期に源流を持つ実業界の創業家。彼らが事業で成した莫大な財産によって設立された大小さまざまなミュージアムたち。中でも私鉄系美術館は質・量ともに規模が大きく見応えがあります。
関東には東武鉄道系の根津美術館や東急鉄道系の五島美術館が、関西には阪急鉄道系の逸翁美術館があり、過去に触れてきました。いずれも所蔵品の核心は、個人の趣向により蒐集された美術品。
一方、関西最王手の近鉄系は、他とはチョット違った成り立ちのミュージアムです。
 


近鉄系のミュージアム、大和文華館があるのは奈良県奈良市。人口は意外と少なく、348,000人!どうした古き都という印象。
そして美術館は市の西部にあります。周囲には住宅街が広がっていて、バイクで行くと結構分かりにくい。地図で見るといくつもの戸建て住宅の団地が密集しています。間違ってこういう団地に入り込むと方向が全く分からなくなります(笑) 降りたICの問題かも?


大和文華館とは

当時の近畿鉄道株式会社の社長種田虎雄おいた とらお(1884-1948)は、会社の基盤がある近畿地方に、日本を含む東洋の文化を紹介する施設が必要だと考えます。1946年に財団法人大和文華館を設立し、美術史学者の矢代幸雄やしろ ゆきお(1890-1975)に美術館設立計画を委ねます。そして近鉄創立50周年にあたる1960年(14年後)に美術館は開館。設計は吉田五十八によるもの。
国宝4件に重要文化財31件を含む約2,000件の日本や東洋の美術品を所蔵しています。

つまり大和文華館のコレクションは、近鉄グループのトップの好みではなく、学問の人・矢代さんのお眼鏡に適うかどうかがベースにあります。
東洋と西洋の美術に精通し、個人の好みではなく美術を体系的に捉えている人によるコレクション。ズッシリとした責任を感じられていたかもしれませんが、メチャクチャ楽しそうな仕事です。


駐車場から本体は見えません
 

奈良県奈良市学園南1-11-6


敷地内でまず目に入るのが門の左側ある変わった建物、文華ホール(築1909年)。1985年に旧奈良ホテルのラウンジが移築されたものです。
説明書きには和洋折衷と記されています。設計は日本近代建築のパイオニアの1人辰野金吾たつの きんご(1854-1919)、もちろんコンドルチルドレン。
 

文華ホール
 

屋根には鴟尾しびがのっていて、なんだかとっても奈良。入口上部にはステンドグラス。築100年経過していますが妙に新しく見えます。

でも辰野金吾のイメージといえば、圧倒的にレンガ造りの人。

東京駅(東京都千代田区)


森の中をズンズン進みます。

アカマツの森を登っていきます。

何か見えてきます。
 

ナゼかのお城です。加賀前田家の居城、金沢城そっくりのナマコ壁。キレイですけど。


(参考) 金沢城三十三間長屋(1858年:重要文化財)

こちらが本物の金沢城の遺構です。大和文華館の入口は、文字通りの長屋門になっています。門番が着ているのはスーツ。


お城のようなミュージアムの設計者について

設計者:吉田五十八

吉田五十八よしだ いそや(1894-1974)、数寄屋建築をモダンにした人。父が58才の時に生まれたので五十八。昔にありがちな命名スタイル。
吉田さんは個人住宅を多く手掛けています。小林古径こばやし こけい(1883-1957:新潟県上越市)や山口蓬春やまぐち ほうしゅん(1893-1971:神奈川県三浦郡葉山町)といった日本画家の邸宅や、元内閣総理大臣岸信介きし のぶすけ(1896-1987)の東山旧邸(静岡県御殿場市)、北村邸(北村美術館:京都市上京区)等が現存しています。
 

そして五島美術館も吉田建築

五島美術館(東京都世田谷区)
庭園側

大和文華館は五島美術館同様に日本の伝統建築の文脈を引用したスタイル。設計も同じ時期。



大和文華館に戻ります。朝一番に着いたので開館までブラブラ。

三春滝桜

文華館の脇には福島県三春町から贈られた桜が。三春は伊達政宗の正室・愛姫の実家で、本家の桜は天然記念物。枝垂れ具合がスゴイ、春には映えるでしょう。
 

裏側には蛙股池 よく見えません


やっぱり金沢城


展示室内は撮影不可。

所蔵品には、益田鈍翁ますだ どんのう(孝:1848-1938)らによって断簡となった佐竹本三十六歌仙の1ピース小大君こだいのきみ像(重要文化財)があります。最初のオーナーは原三渓はら さんけい(富太郎:1868-1939)。残念ながらココでは見られず(泣)


追善の美術 展 チラシ
2023年7月-8月 大和文華館

調べずに行った展示は、ちょっと変わった切り口でした。
絵もコピーもちょっとヘヴィー。
 

パンフ 2023年版
 

展示品の中には見た事のある肖像画が。

(参考) 前田菊姫像(模本) トーハク像

前田菊姫像。展示されていたのは滋賀県の西教寺所蔵の原本(重要美術品)。武家の幼女が描かれるのは珍しいそうです。

菊姫は加賀の殿さま前田利家の娘で豊臣秀吉の養女となりますが、7才で夭折。左手に菊を握り、畳にはオモチャ類が。ここでも前田家が、合掌。


大和文華館で最も見たかったのはコチラの屏風でしたが、やっぱりの未展示。ある程度の下調べは必要です。次の機会に!

婦女遊楽図屏風(国宝)は平戸藩主松浦清まつら きよし(静山:1760-1841)が京都で入手したもの。通称「松浦屏風」と呼ばれています。こういった風俗図も珍しいそうです。
 
 

(参考) 彦根屏風(国宝) 彦根城博物館蔵

そして参考に、同じく国宝の紙本金字著色風俗図しほんきんじちゃくしょくふうぞくずです。いわゆる「彦根屏風」と呼ばれ、彦根藩主井伊家に伝わった風俗画。現在も彦根にあるひこにゃん系博物館所蔵。松浦屏風と似ています。華やかな雰囲気や大名家伝来という履歴も。

2019年の大和文華館での特別展では同時に展示されています。
実は大和文華館のコレクション収集期に、矢代さんは彦根屏風を手に入れようとしましたが果たせず、同じタイミングで売りに出されていた松浦屏風を入手したそうです。

やや消化不良の見学となりましたが、作品やミュージアムの関係等々学ぶコトの多かった展示でした。
 

紅白梅図屏風的な
  
なにかがいる

帰り道に何かがチョロチョロしてるような感じがして、ジーッと見ているとイタチのようなのが駆け抜けていきました。まあ確かに普通に森です。


関西を離れてから、奈良の面白そうな所をアレコレ見つけています。住んでる時にあまり近場を気にしないのは、いつでも行けると思っているからでしょうか。先の事はどう変わるか分からないので、行ける時には全部行っておくコトが大切。
 



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