見出し画像

Ⅰ章 彼の場合③


  彼、木嶋聡が起きた時には3連休1日目の朝11時を回ろうとしていた。昨日は退社後に会社近くのカフェで仮眠をとり、その後は呼ばれるまま「この部屋の家主」の元へ転がり込んだのだった。先日の女性とは別の女性の部屋だ。

「起きたんだ。コーヒー飲む?」
「ありがとう。でもいらないや」

 不思議な顔をした相手は、まだあどけなさの残る顔で自分の分だけ用意する。耳や臍にピアスを着け、一回り大きいパーカーを来た金髪の少女は、マグカップをテーブルに置いてからベッドに腰を下ろし、木嶋にもたれながら右手の薬指にはめたリングを眺めながら言う。

「彼氏にバレたら大変だけど、こういう関係はやめられないなぁ……」
「……慣れると良くないよ」
「そんなこと言って、連絡したら来てくれたじゃん」
「暇だったから。それに寂しいと思ったからだよ」

 彼は、自分の発言が的を得ていないとは自覚しつつも、穏やかな口調でその程度の言葉しか返せなかった。相手は女子大生とはいえ、やはり女性は鋭い。そして逃げるように時計を見やり、腰を上げる。

「そろそろ次の予定あるから悪いけどシャワー借りるね」
「うわ。逃げた。まぁ別にいいけど。その辺のタオル適当に使って」

シャワーを浴びて身支度をする。この辺りは手慣れたもので20分と掛からない。携帯で確認してから軽く家主に挨拶をして家を後にする。

 彼には、「身体だけの関係」を持つ女性が3人いる。
先日の年上の女性、先ほどの女子大生。 
そして3連休で彼に連絡が来たのは、最後の一人だった。

 豊崎かなえ。26歳。木嶋より4歳下で、彼女とは、行きつけのバー「Sails」で知り合った。木嶋は大概「Sails」で「そうした関係」を作る。
常連たちは彼の悪癖を知っているため、あまり関わりを持とうとしない。
たいていは一見さんとして訪れた女性が彼と「そうした関係」になるのだった。

「そうした関係」になるのは、木嶋が特段話術が上手いわけでも、顔立ちの整った人間だからでもない。
妖艶ともいえる危うさと色気、その独特の雰囲気を纏っていたからだった。
彼自身から話しかけることはなく、その妖艶さに相手が引きずり込まれてく。

 彼自身は、近付いてきた女性に求められていると感じていたし、そのことが嬉しくもあった。言ってしまえば、必要とされたかった。
だから拒むことをせず、求められるままに相手の欲求を満たそうとした。

木嶋の引力に引き込まれた女性達とのすれ違いは当然絶えることはなく、「そうした関係」に落ち着いたのが、今の3人だった。

豊崎かなえとは夕方に会うことになっていた。
自宅へ戻り、着替えてからベランダに出て煙草に火を付ける。
BGMのつもりで流しているテレビからは、コメンテーターが熱心に現実性のない井戸端会議を繰り広げているのが聞こえてくる。

 陽が街並みを朱に染め始めた頃、部屋の影は一層深くなっていった。
彼は時刻を確認して影の一層深いところから必要最低限の荷物を取り出してショルダーバッグに詰め込み、家を後にした。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?