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こんな時だからこそ、求められる「哲学」

さて、皆さんに質問です。あなたの哲学を教えてください。

「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」でもあるまいし、初対面でいきなり聞いたら確実に相手に引かれそうなこの質問。

でも実は「哲学」ってとんでもなく重要では?と最近つくづく思うのです。

そう思うようになった理由はいくつかあります。

1. コロナが変えた「当たり前」

まずはコロナの影響です。コロナによってこれまで意識することすらなかった「当たり前」を見直さざるを得なくなりました。

例えば働き方、生活スタイル、買い物の仕方などなど・・・。
これまでの人生を通じて「え、〇〇? そんなのこうあるべきに決まってんじゃん」と無意識な「決めつけ」がねっとりと、自分の中にまとわりついていることに気がつきました。

そうなると、勝手に自分が思い込んでいた「常識」が総崩れし始めます。

「ん?ほんとにそうなのか?別の見方もあるんじゃないか?今のやり方にこだわる必要あるのか?」

こんな頭の体操を毎日のようにやっていると毎回必ずといっていいほど同じ場所に辿り着きます。

それは自分の哲学・ポリシー・信念は何か、ということです。
いわば、人としての軸・幹とも言えます。

「あれ、そもそも俺、何したいんだ? どんな人間でありたいんだ? 大切にしたい価値観って何だ?」こんな問いがグルグル頭をよぎります。

哲学者か。
(高校野球部の監督から「お前は修行僧か」と詰められた前科あり)

ええ、何と言われようと構いません。僕は思ったんです。
自分の「哲学」を細やかに、かつ自分の言葉で語れるということはそれだけ行動をシンプルにできるということなのだ、と。

有名な経営者も「あなたにとって経営とは?」と聞かれた時、皆さん想いが詰まった自分なりの言葉で鮮やかに表現されますよね? シンプルかもしれないけどわかりやすい言葉で表現しますよね?

表現できる=行動基準が明確であるとも言えます。決断が必要な時はその基準に沿って行動できるようになります。そして、そこからの学び・成長を通じて行動が更に強化され、「哲学」が色濃いものになっていく。

こんなサイクルを回すためには、大それたものでなくとも、自分なりの「哲学」を見つめ直すことが大切なんだと感じた次第です。

2. 正解がない場面での「哲学」の重要性

そして、コロナの影響以外にもう一つ、「哲学」の大切さを感じた場面があります。

僕は今、会社のある事業部の人事担当(人事界隈の言葉ではHRBPが近い)を務めています。今の組織でこの役割を担うのは僕一人だけです。当然、人事総務領域のことは全て僕が対応することになります。

そんな自分が今抱える最大のミッションは、担当事業部の戦略を達成するためのチーム作りです

僕が所属する事業部は昨年度に新設された組織です。かつ様々な部署に所属していた社員を集めて結成されたという背景があります。

社員のバックグランドも異なり、新設された組織ゆえに明確な事業方針はなく、自分達で創り出さなければならない、そんな状態です。
ある意味、いろんなスポーツやってきた運動神経良い人を集めてみたけど、さて何の種目で勝ちに行くか?といったイメージでしょうか。

事業方針が策定された後、常に「良いチームとは何か?」「稼げるチームとは何か?」を考え続けてきました。

あらゆる書籍を読み、WEBを漁り、人にお伺いを立て、寝ても覚めても考え続けました。
夢でも考え続け、寝言で「いや〜でもちょっと違うんだよな〜」なんて言っていたそうです。何が違うのでしょうか、謎です笑

そんなこんなで考え続けた結果、そう時間はかからず答えに辿り着きました。



「正解はない。以上。」



僕はアホなのでしょうか笑 

いえ、あらゆる視点から僕なりに考え尽くしましたが答えは変わりませんでした。(むしろどなたかぜひ違う意見があればご指摘くださいませ・・・)

もちろん、一般論として「良いチーム」や「業績の高いチーム」と言われる組織の共通項はあるし、それを各種人事施策とかコミュニケーションプランからデザインすることは可能です。

でもそれは一般的な「常識」であって、僕が所属する事業部に当てはまるかは別の話です。それこそ無意識に世の「常識」をチームメンバーに押しつけることになりかねない。

よって、過去の歴史や最新の潮流、関連知識のインプットは前提とした上で、一番大切なのは「良いチーム/稼げるチームとはどのような組織か?」に対する唯一解を探すことではなく、問いそのものをチームの中心において皆で議論し続けることだと悟ったわけです。

近道も綺麗なやり方もなく、ただひたすらに、泥臭く、真正面から事業部とチームメンバーと向き合い続けるしかない

人事界隈には常にバズワード(ティール、HRデータ活用、1on1等・・・)が飛び交っています。
「人」と向き合うことってとても難しいので、定量的にも効果を把握しづらい人事の仕事をやっていると、うっかりこういったバズワードにハマり、つい楽をしてわかった気になってしまうことがあります。

でも、そういった流行り廃りあるものは表面的なものでしかなく、結局根っこの部分である「経営陣/社員とどう向き合うか」を覚悟を決めて取り組み続けるかが重要なのだと思っています。

こういった正解がない問いを考える上で効果を発揮するのが「哲学」です。

3. 「哲学」が効果を発揮する理由

なぜか。

正解がない問いに対する答えって「誰が正しい、間違ってる」とかないんですよね。
そうなると「今の事業方針やチーム構成を踏まえるとこんなチームにしていくと良いと思う!」と自分なりの考えをチームメンバーとぶつけ合うことからスタートします。

ぶつけ合うことで互いの違いを知り、受け入れ、融和していく。そんな感覚でしょうか。
*「意見の対立」に対して「捉え方」が人によって違うのが中々チーム作りがうまくいかない面白いところなのだが後日別の投稿のテーマに譲る。

この「自分なりの考え」にはどっぷり自分の「哲学」が入ります。
「仕事は楽しいものだ」「誰しも成長できる環境であるべきだ」「心理的安全性が担保されて然るべきだ」などなど・・・。

こういった自分なりの「哲学」が明確な人の言葉には力がこもります。「哲学」がこれまでコツコツ小さな努力とトライ&エラーを積み重ねてきたからこそ生み出されるものだからかもしれません。

言葉に力がこもると人の共感を生みます。共感が共感を呼びチームが徐々に一つになっていきます。

やっぱり人間は非合理的な行動をする感情的な生き物なんでしょうね。
*もちろん、事業方針等の前提条件を全く無視した「哲学」はただの「暴論」であり、むしろ人の気持ちを遠ざけるので注意が必要。

4. 自分なりの「哲学」を見つける方法

さて、ここで改めて質問です。

「あなたの哲学を教えてください。」

意外と言葉にしようとすると難しいですよね・・・。
言えたら苦労しないですよね・・・。
「じゃあどうすれば哲学って見つかるんだい」ということかと。

「それは既にあなたの心の中にひっそりと眠っているのです」
なんて気持ち悪いセリフは言いたくありませんが、実はこれが的を得ていると思うのです。

人生経験の長短に関わらず、誰しも決断に迷った重大な局面があると思います。そんな時、僕たちは自分で決断を下しています。

いろんなことの影響を受けますが、それでも最終的には自分が決断しています。つまり、今までの人生における行動は全て自分が下した決断の結果です。(耳が痛い話ですが・・・)

そして毎回決断する際、多少なりとも迷いが生まれているはずであり「それぞれ何が自分を迷わせたのか」「その結果何を基準に決断したのか」そんなことを一つひとつのエピソード毎に丁寧に見返すことで「お、自分ってこんなこだわりあったんだ。こんな価値観大切にしたかったんだ」と見えてくるのではと思います。

見えてくればこっちのもんです。
頭の中にモヤモヤ見えてきたイメージを言葉に落とし込み、口にしてみる。違和感があればまた考えてみる。こんなプロセスを繰り返す内にしっくり来るようになるのではないでしょうか。

<番外編>
思い返すと、自社の魅力や自分の価値観・信念について毎日延々と学生に語り続ける「採用担当」という仕事を経験すると、自分が発した言葉を嫌でも見聞きすることになり、その過程を通じて自分なりの「哲学」が明確になりやすいのでは?と思った次第。これは多くの採用経験者の方も共感する部分なようで「採用担当になると哲学が明確になる」説。

時代の変化とともに益々世の中は不透明さを増しています。
唯一の正解は存在せず、何事も「正解にする」マインドが求められているのだと思います。

そんな時、自分なりの「哲学」が重要な局面における決断をサポートする、最も重要な拠り所(=北極星)になるのかもしれませんね。

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