見出し画像

目が光る⑸

(1)はこちら

前の話はこちら

医者が指示した場所は東北の山奥だった。

彼は速やかに病休の手続きをすませ、翌日には目的地に向けて車を走らせた。

高速を走りながら、彼は一抹の不安を抱えていた。果たして、本当に専門医などいるのだろうか。仮にそれが本当だとして、自分はたどり着けるのだろうか。

彼が不安に思うのも無理はなかった。

頼りは手元にある下手な手書きの地図と、紹介された専門医の名前だけなのである。

あまりに簡素で頼りないこの地図を慎重な彼が便りにせざるを得ないのには、或る理由があった。

目的地には住所がないのである。

もっと分かりやすく言えば、そこは地図に載っていない地であった。

そのため、カーナビは使えず、市販の地図も役に立たない。今はただ、この裏紙に雑に書かれた絵地図のみが彼の命綱なのだった。

彼は何とか地図で示されているであろう山までたどり着いた。時刻はもう17時を回っており、少し日が落ち始めていた。

急がねば。ただでさえ分かりにくい地図で動いているのに、その上日まで暮れてしまったらいよいよ分からなくなってしまう。

はやる気持ちそのままに道なき道を走っていくと、案外早く目的地に続く最後の小径が見えた。

そこから先は車が通れないくらいに道が狭くなっており、車を置いて歩かざるを得ない。

歩き始めて十数分ほど経ち、彼はようやくめぼしい建物を見つけた。

薄暗い山道の突き当たりに、それはひっそりと佇んでいた。

今時珍しい茅葺のボロ家である。

どこか不気味なその雰囲気に疑心暗鬼になり、彼は何度も地図を確かめた。

どうやらここで間違いないらしい。が、しかし、こんなところに本当に病気の治療をしてくれる専門医がいるのだろうか。こんな辺境に。

そんなことを考えているうちに、目の前が明るくなり始めた。まずい、また症状が出ている。

彼は怪訝に思う気持ちを何とか鎮めながら、頂上から吹き下ろす山風に今にも飛ばされそうな腐りかけの木造の扉を叩いた。

すると、静かに戸が引かれ、中から艶やかな着物を見にまとった女性が気怠そうに出てきた。

「あんた、誰?」

その女性は目を擦りながらぶっきらぼうにそう言った。彼は明らかに訪問を喜んでいない相手に少し怯みながら、手短に要件を伝えた。

「突然すみません。ある医者の紹介でお尋ねしたのですが、『ここ』はこちらであっていらっしゃいますか?」

彼は医者の地図に書かれた目的地を指差しながら、丁寧な口調で伺った。すると、女性は地図を手に取りじろっとみた後、目を見開いたと思うと、先ほどとは打って変わってパッと笑顔になった。

「うわっ、キンちゃんじゃん!懐かしいわ〜あんたキンちゃんの知り合いなのね?なによー、そんならそうと早く言いなさいよー。それなら話が早いわ。とりあえず、中に入りましょ。」

途端に饒舌になる女性を見て、戸惑っていると、そんな彼に構うことなくその人はさっさと中に入ってしまった。その後を追うようにして扉をくぐると、中は思いの外綺麗に保たれていた。

床は畳が敷かれ、内装も新しく壁紙が貼られている。照明は蛍光のLEDライトで室内は明るく保たれていた。その様は、都内の新興住宅の一室とあまり遜色がなかった。

「ほら、こっちおいで!お茶用意したから。」

声のする方を見やると、テーブルの上るにお茶と茶菓子が用意されており、そのまわりには座布団が引かれていた。

彼が遠慮を見せながら慎ましい様子でそこに座るやないなや、女性は火がついたように話し始めた。

「キンちゃん元気してた??ほら、あたしこんなところに住んでるじゃない。だからね、なかなか会いに行けないのよー。みんなも会いにきてくれないしさ。少し寂しいのよねー。ま、あたし好きでここにいるからいいんだけど。センスいいでしょ?ここ。そうそう、ここもキンちゃんが選んでくれたのよ。まあ、ほとんど私の趣味だけど。いつだったかなー。夏だった気がする。あ、春かな?ね、どっちだと思う?」

急に飛んできた質問に彼は面食らった。

「そんなこと、分かるはずないじゃないですか。」

「なによ、冗談じゃない。別に外したってどうってことないんだし、適当に答えればいいのよこんなもん。ま、あたしならもっと上手く返すけど。キンちゃんの寂しい頭がのぼせちゃうから夏じゃなくて春じゃないですか?なんてね。流石。やっぱりあたしって面白いわー。」

勝手に話を振ってきて随分な言い草である。大して上手くも面白くもない返しだなという感想が喉元まででかかったが、彼は必死にそれを押しとどめた。

なんと自分勝手な女だろう。当然のように、自分の知っていることはみんな知っているものと思って話をしてくる。彼はこの手の女がすこぶる苦手だった。

第一、キンちゃんとは誰だろう?医者のことだろうか。確か名札に坂下金一と書いてあった気がするが、はたして、下の名前が合っているかどうかは定かではない。彼は念のため確認してみることにした。

「あの、すみません。私はそのキンちゃん?を知らないのですが、坂下金一先生のことでよろしいでしょうか?」

彼女は眉を潜めて、斜め上を見上げ、少し考えてから答えた。

「坂下?そんな名前だったかな?キンちゃんとしか覚えてないわ。キンちゃんはキンちゃんだしね。多分そうなんじゃない?知らんけど。」

そう言って女は豪快に笑った。適当な人である。彼はそれにとりあわず、淡々と質問した。

「そうですか。私は坂下先生に診ていただいた患者なのですが、坂下先生からあなたをご紹介いただきました。つかぬことをお伺いしますが、あなたは天宮狗子先生でお間違いないでしょうか?」

女性は唇を尖らせ、肩をすぼませて、あからさまに不機嫌そうに答えた。

「あんた、つまらないってよく言われない?ま、いいけどさ。そうよ。それ、私。思ったより可愛いでしょ?」

女は頬杖をついて首を45°斜めに傾げながらそう言った。確かに、顔は整っているかもしれない。色も白く、人気のあるタイプだろう。あくまで顔だけの話だが。

「なによ。じろじろ見て。気色悪い。ま、仕方ないか。こんな美人目の前にしたら見ちゃうわよねー。ほらとくと見なさい。遠慮しなくていいから。」

うるさい。どうして俺がお前なんぞに興味を持たなければならないんだ。図々しいにもほどがある。

苛立つ彼の事などまるで視界に入っていないかのように、女は話を続けた。

「それで?私に何の用?まあ、大方分かってるんだけど。あんた、慣用句病でしょ?」

慣用句病?慣用句症候群のことだろうか。

「恐らくそうです。坂下先生は慣用句症候群とおっしゃってましたが。」

「あー、都ではそういうんだっけ。あたし、嫌いなのよね。症候群って。なんか気取ってるみたいじゃない?普通に〜〜病って言えばいいのに。」

「しかし、先生。どうして私が慣用句病だとお分かりに?」

彼が一向に余談に乗ってこないので、女はつまらなそうにため息を吐きながら答えた。

「だって、私それしか診ないもの。」

なるほど、専門医というのは間違ってないようだ。

「そうなんですね。安心しました。それで、お聞きしたいのですが———」

すると、女が遮って言った。

「治るかって?当然でしょ。そのために私がいるんじゃない。」

たいそうな自信である。急に目の前の女が頼もしく見えてきた。言われてみると、確かに先生という威厳がある気がする。

「それはよかった。できれば、すぐに治していただきたいのですが、治療法をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

天宮の二本の指が彼の顔に向けられる。その目はどこか興醒めたような、冷えた感じがした。

「ほんと、せっかちなのね。慎重なその目とは大違い。」

忘れていた。彼の警戒は目の状態で丸わかりだったのだ。部屋が明るかったから気がつかなかった。

天宮は呆れた顔をして続ける。

「この際だから言っておくけど、あんたずっと光ってたわよ。随分とまあ疑ってくれちゃって。慣用句病になるのもうなずけるわ。あんたには口で言うより、体験してもらった方が早そう。ついてきな。」

そう言って立ち上がると、天宮は居間の奥にある裏口を開け、手をこまねいた。

それに従うように裏口まで行くと、そこはトンネルだった。

天宮は扉にかけてあった懐中電灯を手にし、顎をクイッとトンネルへ向けた。それを合図に2人は、天宮を先頭にして暗闇を行った。

トンネルを抜けた先は、寺院だった。

次の話はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?