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【夢日記】<後編>願望夢と現実が行ったり来たりする不思議な夢を見た

※前編

※中編


【現実②】

僕は、大学のバスケサークルで、大学2年の冬合宿に参加していた。

「願望夢②」で触れたように「大学3年の夏合宿」で引退することになっているため「大学2年の冬合宿」とは、自分たちの代になって初めての合宿が行われる、ということになる。

おそらく、多くの人が「俺らの時代がやって来たぜ~!」と言わんばかりに、堂々と合宿を満喫するのではないかな、と思うのだけれど、僕は、むしろ逆で、これまでの合宿と比べると、全然、楽しめていなかった。

「(あの子のハシャぎ方や笑い方、見たことないな・・・。)」
「(あの子はちょっかいの掛け方が過激になったな・・・。)」
「(あの子とか『ウザ絡み』レベルで後輩に絡むな・・・。)」

僕は、自分が、我が物顔で合宿を楽しむことよりも、同じ代のサークル仲間が、これまでの合宿の立ち居振る舞いとは全く異なって、思い切り楽しんでいる様子ばかりが目に付いて、代替わりするとこうも人は変わるものなのか、と物思いに耽ってしまい、自分もその流れに合わせて楽しむどころの騒ぎではない、と感じてしまったわけである。

この表現で合っているのか、僕自身、あまり自信が無いのだけれど、”人間の浅ましさ”、みたいなものを感じたのは、確かだ。

無論、自分が知っているサークル仲間は、一面的な部分に過ぎない。僕が知らない顔が各々にあっただけ、と軽く受け流してしまえば、それでしまいだ。自分達が最上級生になればこれぐらいの変化はあっても当然だ、と言われれば、その通りなのかもしれない。

だが、事実として、僕は、受け入れることが難しかった。先輩にペコペコしていた”可愛がられキャラ”が、後輩に横柄な態度でムチャ振りをして、困る姿を見て、悦に入る人(ココではイニシャルも伏せることとする)は、特に、受け入れがたかった。

あの人に関しては、”浅ましさ”、よりも、”醜悪さ”、と言っても、まだ足りないかもしれない。それぐらい、僕の脳裏にこびり付いているのだ。後輩にムチャ振りをかまして悦に入る、一挙手一投足が。

僕は、その冬合宿を終えた後、サークルから、徐々にフェードアウトしていくことになる。これもまた、多くの人とは正反対の行動、と言えるのかもしれない。

気を遣う先輩が居なくなったことで顔を出す頻度が増えた、であれば、良くある話のようにも思える。しかし、気を遣う先輩が居なくなったことで立ち居振る舞いが変わった同じ代のメンバーに辟易として顔を出す頻度が減った、という話は、滅多に聞かないはずだ。

だが、僕はそんな感覚に囚われて、サークルが行われている体育館へと足を向かうのが重たくなり、今日はやめておこう、と引き返すようになった、それは、紛う方無き事実なのである。

僕は、大学3年になる頃には、すっかりと幽霊部員化してしまっていた。当然、大学3年の夏合宿、サークル活動の大団円とも言える行事にも、参加しなかった。

我ながら皮肉な話だと思うけれど、合宿には大学1年の頃から参加し続けていたにもかかわらず、「見送る側」から「見送られる側」になる、最後の合宿のみ、参加をしなかったわけだ。

「終わり良ければ全て良し」という言葉がある。

それになぞらえば、これほどまでに「終わり悪ければ全て悪し」という状況は他にあるだろうか。いや、無い。いや、実際問題、探せば枚挙にいとまがないんだろうな、と頭の中では容易に想像が及ぶのだが、少なくとも、僕の経験則に限れば、無い。それはハッキリと断言出来よう。


問題は、それだけでは無かった。

僕は、同じサークルの、一つ下の世代に当たるMと、恋仲の関係だった。

彼女とは、同じ広島東洋カープファンという間柄から、知り合って間もなく意気投合し、下宿先の家と家の距離が徒歩5分程度で行き来出来ることも手伝い、僕が猛アタックを仕掛け、2年の5月頃には、Mから見れば、1年の5月頃には、キスもハグも済ませた関係となっていた。

「キスもハグも済んでいた」と書いたのには理由がある。

Mは、高校時代にお付き合いしていた人と遠距離恋愛の関係になっているにもかかわらず、僕は構わず、いやむしろ、禁忌の恋愛に、よりいっそう熱情的になり、最終的に、ベッドに倒れこむような形で、熱い抱擁と熱い接吻を交わし、事実上の略奪愛を成就させたという、褒められたものではない馴れ初め話があるのだけれど、それはまた、別のお話・・・。

注釈

だが、そんな幸せは、そう長くも続かなかった。

「私は切磋琢磨し合える人とお付き合いしたい」

大学2年の夏合宿を間近に控えたタイミングで、突然、Mにそう告げられた。ストレートに「別れましょう」と言われたわけでは無かったが、事実上の失恋と言えよう。

いや、単にフラれるよりも、もっと心のダメージが大きい。なぜなら「切磋球し合える人とお付き合いしたい」というのは、言い換えれば「アナタとは切磋琢磨し合えない」という意味になるからだ。

そう告げられた時、僕は、心の中で「何もこんな時に・・・。」と感じたことを、今でもハッキリと覚えているのだが、今振り返れば、Mの中では、夏合宿を行なう前にケジメをつけておきたい、そんな想いがあったのだろうと、彼女の心情を察することは出来る。

しかし、当時の僕は、今よりもっと未熟な人間で、自分のことしか考えられなかった。当然、夏合宿を楽しむ余裕なんて無かった。集団で行動する際はみんなと歩調を合わせていたが、各々が自由に動く時間になると、一人になれる空間を見つけては、沈思黙考に耽っていた。

あれは確か、お昼休みのご飯休憩の時間帯、僕は、支給されたお弁当をあっという間に平らげて、誰も居なかった体育館の2階へと上がり、寝転んで、顔にタオルをかぶせて、いつもの如く、考え事をしていた時のこと。

”切磋琢磨し合える人とお付き合いしたい”

ずうっと、この言葉が、僕の頭の中で、グルグルと駆け巡っていた。

「(恋人はそういう関係性なのだろうか?)」
「(切磋琢磨と言えばライバル関係では?)」

「(お互いに弱みを見せられる相手が理想では?)」
「(弱みを見せ合える相手が居るのが強みでは?)」
「(『価値観の相違』であれば止むを得ないか?)」

「(ただ、今回の件で、確かなことは・・・)」
「(僕が、切磋琢磨に足る人物ではないこと)」
「(そう判断を下されたのが、何より、辛い)」

僕は、飽きもせず、何度も何度も、同じテーマで思い煩っては、明確な結論が導けるはずもなく、種々雑多な問題(夏合宿にまつわる諸々のこと)によって消え失せたかと思えば、Mのことが視界に入ると、あっという間にフラッシュバックし、再び思い煩う・・・。2年の夏合宿は、そんなことを繰り返していた記憶しかない。

僕にとっては、Mが、いつもと何ら変わりない様子だったこともまた、心のダメージを増大させた要因だったと思われる。

夏合宿では、いくつかのチームに分かれて、リーグ形式で対戦を行なうシステムが採用されていたのだが、そのチームは、男女混合で編成されることになっていた。

つまり、Mと同じチームになる可能性もあるし、たとえ別のチームだったとしても、必ず、僕が所属するチームとMが所属するチームとで、対戦が行われることになるわけだ。

結果、僕とMは別のチームになるわけだが、当然、対戦の機会はおとずれる。必然的に、僕の意識は、Mに向かいやすくなる。とはいえ、試合に集中することもまた大切・・・。

僕は、努めて平静を装うとしていたが、どうしても、Mに注意が引き付けれれてしまうことが、度々あった。ちょっと説明しづらいのだけれど、「ナイッシュー!」だとか「リバウンド-!」などといった掛け声一つに、いちいち敏感に反応してしまう自分に、自ら嫌気がさしていた感覚は、今もまだ残っている。

しかし、Mは、僕が注意深く観察していた限りでは、普段と全く同じだったのだ。まぁ、試合に集中しているのだから当たり前、と言えばそうなのかもしれないが。

例えば、マンツーマンでディフェンスをする際、僕のマークマンにMが付くことになっても、ディフェンスが甘くなる感じも無ければ、逆に、プレスを掛けて来る感じも無かった。やはり、いつも通り、だったわけだ。

※話の流れでポンポンとバスケ用語を出してしまったのだが、良く分からない方は読み飛ばしてもらって結構。凄くざっくりと言えば、僕を意識して避ける感じも無いし、僕を意識して跳ね除ける感じも無い、それが僕にとっては心のダメージを増幅させる要因になった、ということを言っている。

▼ チャプター②「青春と恋愛」END


【あとがき】

僕の話の広げ方が下手で、時系列が前後してしまい、読みづらい箇所が多々あったかもしれない。釈明にもならないだろうが、夢の内容に沿って書いたらこうなっちゃった、ということを、正直に打ち明けておく。申し訳ない。

以上、2つの問題が重なったことで、僕は、サークル活動を1年次から精力的に行なっていたにもかかわらず、自分たちの代になったタイミングでフェードアウトしていって、3年の夏合宿の頃には幽霊部員化していた、という、何とも特異な、それでいて、何とも物悲しい、大学生活を送ることになったわけだ。

なお、後日談的に書き記しておくと、Mは、その後「私がいくら頑張っても追いつけない自慢の人」という、新しい恋人と付き合うことになる。

なぜそんなことを知っているのかと言えば、当時、Twitterに、2ショット写真を添えて、そんな文言のツイートを載せていたからだ。

その当時の僕もまた、新しい恋人とお付き合いしていたのもあって、やっぱり恋人に求めるものが根本的に違ったんだなぁ、などと思いながら、末永くお幸せに、と、混じり気の無い祝福の言葉を、心の中で呟いて、そっと閉じた記憶がある。

だが、それとは別の感情がフツフツと沸き立つことが、僕にはある。

これは、Mに限った話ではなく、僕がお付き合いした歴代の恋人全員に言えることなのだが、

”今付き合っていれば、また違った恋愛になっていたのかな?”

一人酒を嗜んでいる時、そんな「もしも」に、想いを巡らせる瞬間が、僕にはあるのだ。

昔の頃を懐かしんでは、別れのキッカケの一要因になったであろう出来事を思い返し、今の僕だったら、あの時のトラブルはもっと上手く処することが出来たはずだ、などと、ブツブツ独り言ちては、昔の恋人への想いを募らせる・・・。

そして最後には、今もどこかで元気に暮らしているのかなぁ、笑顔の絶えない人生を送っているといいなぁ、と、哀愁の念が最高潮まで高まったタイミングで、酔い潰れて、眠りこけるのであった・・・。


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