見出し画像

見るのが100倍オモロくなる西洋美術史 PART-11【盛期ルネサンス美術】1500年~1530年

容姿端麗、運動能力抜群、人類史上最高とも言われる頭脳を持ち、かつ人類史上最高のアーティストのひとりであった完璧主義者——マンガでもあり得ないようなそんなパーフェクヒューマンがかつて存在したといわれています。その名はレオナルド・ダ・ヴィンチ。

  *

孤独を愛し、物欲はなく、身なりにも無頓着、人にどう思われようが知ったことではない。陰鬱な人嫌いで質素な生活を送る気難しい男。ただその彼は神のごとき御業をもった芸術家であり、その名声と作品群は生前から現代にいたるまで計り知れない影響を与えてきたといわれています。その名はミケランジェロ。

  *

この美しい青年は、ハイセンスなファッションに身を包み、洗練された身のこなしは優雅そのもの、さらに彼はきわめて礼儀正しく穏やかでかつ社交的な性格、誰からも愛されたといわれます。のみならず彼は真の天才画家であり、建築家として後世まで崇められました。その名はラファエロ・サンティ。

  *

今回は美術の歴史で最も有名な時代のひとつ、盛期ルネサンスの三大巨匠について主に話していきます。


盛期ルネサンス

ダヴィデ像/ミケランジェロ作 1504

1500年~1530年のわずか30年間がルネサンス期の全盛期で「盛期ルネサンス」とよばれます。この30年は美術史上でも最も重要な時期のひとつとみなされ、特にレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠はだれもが知っている芸術家でしょう。

それ以外にも多くの凄まじい才能を持った芸術家が次々と現れました。彼らは初期ルネサンスが求めた古典古代の復興をはるかに超えて、芸術家としての自覚に目覚めます。彼らの創り上げた世界は、人間の創造する限界点に到達したとさえ思われるほど完成の域をきわめたものでした。

1800年代の半ばまで、この時期の芸術を最高のものとして絶対視する見方が続いたのです。


レオナルド・ダ・ヴィンチの科学的技法

レオナルドの肖像画

レオナルド・ダ・ヴィンチはおそらく世界でもっとも有名な画家として知られているのではないでしょうか。そして間違いなく彼の代表作のひとつ『モナ・リザ』は世界一有名な絵画作品でしょう。

モナ・リザ 1503- 1505/1507

貴族や教皇など特別な地位ではない人物が描かれ始めたのもこの頃からでした。空想的な背景にイスに座った貴婦人が描かれたこの絵画にかんしては様々な研究がなされています。

この絵画の構図はシンプルでバランスがよく奥行き感の出せる三角構図で描かれています。重ねられた腕のところが三角形の底辺になっていますね。

特に特徴的なのはレオナルドのいう「ものに輪郭線は存在しない」という問題を解決するため、たいへん薄く溶いた絵具を何度もなんども塗り直して、ぼかしをつくるというスフマートという技法がみられることです。

スフマートとは「煙のような」という意味をもっており、人物の頬や背景につかわれています。

これにより、大気中にある光の屈折によって、遠くにある物ほど青みがかったり霞んだりしたように見えるほか、輪郭線が曖昧になる性質を作品に落とし込んで遠近感を表現しているのです。これを空気遠近法と呼びます。


最後の晩餐 1495~1498

『最後の晩餐』もレオナルドの代表作としてしられていますね。この作品では一点透視図法をつかって絵が立体的に描かれており、壁やテーブルなどすべての線はもちろんのこと、配色、人物の目線などもすべてがキリストの顔に向かっています。この統一的画面構成もこの作品の傑出したところです。

また人物もたくみに表現されており、特に手の動きでそれぞれの人物の心情を表しています。

レオナルドは極めて科学的なアプローチで芸術作品を創作した作家でした。しかも時代を先どりするようなサイエンティストとしての目線と超人的な腕を持ったアーティストであったことが、レオナルドを唯一無二の存在たらしめているといえるでしょう。


神のごときミケランジェロ

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラが描いたミケランジェロの肖像画


万能の人、といえば多くの人がレオナルドを思い浮かべると思いますが、ミケランジェロもまた万能の人でした。ミケランジェロは彫刻家、画家、建築家、詩人として卓越した才能を発揮し、生前から現在にいたるまで多くの芸術家に多大な影響を与え続けています。

父からの金銭的要求やパトロンとの意思の衝突に悩まされつつも、ミケランジェロは休むことなく第一級の制作活動続け、これまで職人とみなされていた彫刻や画家の活動を芸術家という地位に押し上げることに貢献したのです。

最後の審判  1541 - 1547


1400年代末にはフランス軍が侵入し、初期ルネサンス発祥の地フィレンツェは混乱し芸術の舞台はローマへと移ります。ローマ再建をもくろんでいた教皇ユリウス二世によってミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画の制作を命じられました。

乗り気ではなかったものの、彫刻家であるとともに、建築家、画家も兼ねてミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画を完成させます。

それはこれまでのキリスト像とは異なった筋骨たくましいイエスが象徴するように、筋肉質の人体表現、人物のダイナミックな動き、目の覚めるような色彩感覚などこれまでにない独創性がほとばしる圧倒的な出来栄えでした。

古代彫刻から学んだミケランジェロは、均整と調和を主眼とした古典主義芸術を完成の域に高めるだけでなく、ヘレニズム的な(ギリシア彫刻の理想化された肉体美)を絵画に落とし込んだのです。

若くしてすでに至高の技を手にしていたミケランジェロは、『サン・ピエトロのピエタ』で洗練と精緻の極みを見せます。この作品はミケランジェロが弱冠24歳のときに完成させたとされる作品です。しかし『サン・ピエトロのピエタ』はルネサンスの理想の結晶と呼ばれ、史上最も美しい彫刻作品とさえ言われています。

これが大理石から掘って作られたとは、到底人間のなせる技とは思えません。

サン・ピエトロのピエタ 1498 - 1500


ミケランジェロは生前から偉人として崇拝されていました。しかし彼は万能の人であったにもかかわらず、本心では彫刻のみにこだわりつづけ、石に閉じ込められた神の意志を、彫刻の技術をつかって解放(創造)することを自身の使命だと考えていたのです。

調和と総合力のラファエロ

自画像(ラファエロ) 1506

ラファエロはレオナルドやミケランジェロを始め、多く影響を受けそれを自分のものにする吸収力に極めて長けた作家でした。しかも彼は単なる模倣にとどまらず、それを自分の表現として昇華していったところに芸術家としての偉大さがあります。

アテネの学堂 1509-1510

ラファエロの代表作『アテネの学堂』をみると、画面全体の非常に均整の取れた構図は先に挙げたレオナルドの『最後の晩餐』の影響を、また動きのある人物たちの力強い表現はミケランジェロの影響をうかがわせます。

この作品はルネサンスの追求した古典的精神をみごとに創造した絵画だといえるでしょう。

また、『アテネの学堂』はソクラテスやプラトン、アリストテレスなど古代の学者を描いたものですが、画面中央の赤い衣をまとった人物(プラトン)のモデルがレオナルド、画面下の頬杖をついている人物(ヘラクレイトス)のモデルがミケランジェロといわれていることは有名ですね。

小椅子の聖母 1513-1514


またラファエロは聖母の画家ともよばれていました。

清らかで甘美な表現がラファエロ作品の大きな特徴で、これは師のペルジーノから学んだといわれています。他にも同時代のティッツァーノなど多くの画家からの技法を吸収し、より高次元の表現をうみだしているところにラファエロの並外れた才能を垣間見ることができるでしょう。

  *

ラファエロはナイトの爵位も所有しており、宮殿のような住居にすんでいました。さらには上流階級との社交術にも長けており、美男の彼は大変女性にモテました。

にもかかわらずラファエロが生涯結婚しなかったのは、カトリックの枢機卿になるという野望を抱いていたからという説があり、ローマ教皇からもラファエロにたいして枢機卿にするという匂わせがあったといわれています。

  *

芸術家としてのラファエロの最大の特徴は、様々な作家の技術を自分のものとし、すべてを調和総合させた点にあるといえるでしょう。彼は古典主義的な理想美を完成させ、その作品はアカデミック美術における教育の礎となりました。

感覚で描くヴェネツィア派

羊飼いの礼拝/ジョルジョーネ作 1505


1500年代後半から1600年にかけて港町のヴェネツィアから画面の色で詩的な雰囲気をまとった絵画を描くヴェネツィア派が生まれます。

レオナルドやミケランジェロ、ラファエロなどのフィレンツェ派と異なりデッサンを重視せず、華麗な色彩で感覚的な表現をおもんじたのがヴェネツィア派でした。

代表的な画家としてジョルジョーネやティッツァーノなどがあげられます。

ウルビーノのヴィーナス/ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 1538頃


後世への影響

レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿から


現在では、今回とりあげた画家としてもっとも有名な人物はレオナルド・ダ・ヴィンチかと思います。しかし、実際のところレオナルドは長らく忘れ去られた人物でした。

ミケランジェロは生前から神のような存在として見なされており、死後もその後に続くマニエリスムやバロックに影響を及ぼし、ラファエロもまたミケランジェロほどではなかったにせよ古典美術の理想の作品を描いた画家として大変な影響力を与え続けてきたのです。

レオナルドの評価が高まったのは彼の手稿が広く知られることになった1800年以降からで、その多才ぶりと謎の多い人物像から急速に神格化されていきました。

しかし、いずれにせよレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ、この三代巨匠の存在が、西洋美術史を語るうえで欠かせないことは間違いないでしょう。


※参考文献:西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)/鑑賞のための西洋美術史入門(リトルキュレーターシリーズ)/Wikipedia

※タイトル画像はミケランジェロ作『アダムの創造』(1511年頃)

最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございました!