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私とhip-hop①

 「あんたなんか産まなきゃよかった、こんな家生まれなきゃよかった。」
 私が今までの人生で一番響いたリリック。ZORNの「家庭の事情」の中の一節。


 私の人生は暴力の色をしていました。毎日毎日暴言を吐きあっていた母親と父親は、小学一年生の私の目にはとても冷めた目で映っていました。「普通の子どもの目にはこれがトラウマとして映るのだな。」と、第三者目線から、視聴者の様な顔をして見ていた当時の私は、まさか自分がその作品の登場人物になるなど、思いもしなかったのです。


 ある日、父親もいない家の中で宿題をしていたら、母親から急に「パパとママどっちがいい?」と聞かれたあの瞬間が、今でも脳裏にこびりついています。MONO消しゴムなんかでは到底消しきれないあの記憶。子どもながらに、「あぁ、そういうことか。」と気づいたのを覚えています。
 「若干父親の方好きだけど、正直どっちも好きじゃないな」なんて思っていたけれど、そんなこと言ったらぶっ殺される気がして、私は小学生の無力さ故、「ママ」と思ってもない嘘をつきました。その後数日も経たない内に、夜中急に母親に連れられ、車に押し込められ、小2で祖父母の家に連れて行かれて、親父と会わなくなって、一瞬だけ戻ったけど、また離れて、その後は一切会うこともなく、気づいたら母親と父親は離婚をしていて、気づいたら、地獄は始まっていました。

 高校生までは、あの時親父についていっていたら、というたらればが脳内にずっとありましたが、そんなものは大学生になる直前に完全に消え失せることになりました。
 あの幼子の頃の私の決断が、どう転んでも地獄に落ちるだけのものだったと知って、私は心の中で、クソガキの頃の私を抱きしめました。ヴィンスモーク家は殺してやりたい。
 その話はまた後でさせてもらいます。


 親父というクソ塗れのハゲタコみたいで心の底から殺したいという存在でも、母親のストッパーとしての機能を果していたのは事実でした。その存在がいなくなってから、あの暴走機関車は唸りだし、子どもを燃料として無尽蔵に消費して、走り出しました。私の人生は墨汁みたいな黒で塗りたくられていきました。


 バックスバニーとトムとジェリーはおふざけを止めるかもしれないお話。アラスターはお酒を飲みながらゆっくり聞いてくれそうなお話。


 サンタのお話。地獄で生まれたガキの話。今も蝕むトラウマのお話。でも、そんなものも今の私と他の人からしたら笑い話。

 だから、文章にしようと思いました。

 大した話でもないので、暇つぶし程度に読んでくれれば幸いです。嫌になったら閉じて、Youtubeでもtiktokでも開いて、記憶の中から無かったことにして下さい。
 そんなもんです。それでも読んでくれた人がいたら私は嬉しいかもしれないです。


 愛してるぜメーン。

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