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恋愛はイノベーション【Last Night オンラインバーvol.11】

ポップアップCafeBarDonna

昨夜、急遽オンラインCafeBarDonnaを開店した。オープンの3時間前の告知だ。2、3人集まればいいと思っていたところ、僕を含めて13人のメンバーが集まった。

【Members】

それぞれが話す量のバランスを調整しようとすれば、この店は5、6人が最大だ。数が増えれば、話の質もライトになる。そのことをわかっていながらも、今回は手を挙げてくれた全員を迎え入れた。ポップアップストアのようなイメージで、その場で組み立てて、役割を果たせば解体する。そんな気軽さと賑わいを試してみたかった。

時間は22時30分。いつもより深い時間帯ということもあり、テーマを「恋と愛」にしてみた。シェイクスピア、源氏物語、いやさ、万葉集から幾星霜。その頃から語り継がれてきた人類の普遍的なテーマである。この場には、週末恋愛小説家の池松潤さんがいるし、チョコレートへの偏愛が代名詞でもある仰かおるさんもいる。様々な世代間の「恋愛」について聴いてみたかった。

「恋」と「愛」

まずは「恋」と「愛」の定義をしよう。例えば、タバコを吸った時に感じる心地良さに惹かれることは「恋」であり、医者に「これを吸うと病気になりますよ」と言われても止めずに吸い続けることができることが「愛」である。ランボルギーニのビジュアルや性能に惹かれるのは「恋」であり、燃費が悪い上にすぐに壊れることさえもひっくるめて好きでいられることが「愛」である。

つまり、ポジティブな面に盲目的に心が奪われている状態が「恋」で、ネガティブな面が見えはじめても尚、それを包み包んでしまえる好意が「愛」。これは僕の個人的な「恋」と「愛」の定義。それぞれに定義を考えるだけでもおもしろい。

「恋」は頭がクラッシュした状態だと思う。普段ならロジカルに考えて「右」を選べるのに、恋の只中にいると「左」を選んでしまう。思考だけでは折り合いのつかない想い。情念があふれて論理が破綻する。その様子を傍で見て、僕たちは「人間らしさ」を感じる。そう、人間は、未完成であるからおもしろいのだ。恋をすることで、僕たちは自分が未完成であることを実感する。

「常識を覆す選択をする」という意味では、「天才」と「恋愛」はイノベーティブな感度を持ち合わせているのかもしれない。

五感

僕たちは、「恋」をしながらも「愛」を大切にしたいと想いながら生きている。上質な漆塗りの器のように、何度も「恋」を重ねながら、堅実な「愛」を生み出したい。

かおるさんのチョコレート・レビューはそれに近い。彼女はチョコレートに「恋」をしながら、同時に大きな「愛」で包んでいる。ある種の理想型である。かおるさんは「チョコレートの世界観を愛している」と言った。それを言語化して、誰かに伝える時に恋の独自性を垣間見る。かおるさんは、チョコレートを音楽を聴いたり、絵画を観たりすることと同じ「体験」だと語った。それはパッケージをはがす音からはじまり、色味、香り、感触、パキっと割れた音、テクスチャー、風味。その体験による高揚感は臨場感を伴って言葉に落とし込まれていく。

五感で味わったインパクト(感動)の記憶を、言葉に収斂させることで、質量を高める。これは「恋愛」のドキドキに似ている。カカオと恋は僕たちに多幸感をもたらす。

「創作」と「リアル」の狭間で

「恋愛」はプライベートなものであるから、それを世の中に公開することは難しい。「創作小説」であっても、そこにリアリティがなければおもしろくない。リアリティをイマジネーションだけで補うことは至難の業である。表現の細部に、その人の美意識や哲学は現れる。読者はそれを見逃すことはない。

そういう意味では「恋愛小説」には臨場感は欠かせない。優秀な小説家は、自身の体験からそのエッセンスを抜き出して、登場人物へと反映させていく。小説における登場人物は、その全てが作家のペルソナであると言っても過言ではない。

メンバーの中でも「家族など近しい人に見られるから」という理由で書けないと言う人もいた。そんな中、verdeさんの表現がおもしろかった。verdeさんは十日間に渡り『コルトレーンの囁き』という恋愛小説を連載した。もちろんフィクションだ。

彼女は「重要なことは感情を記憶することだ」と言った。実際の体験を物語に落とし込むのではなく、体験した時の感情を表現の中に反映させていく。ストーリーはイマジネーションで形になる。そこに記憶に刻まれたリアルな感情を落とし込むことで、臨場感が生まれる。それは、物語に生命を吹き込む行為である。

10日間連載したその小説は、読者のコメントを参考にしながら翌日のストーリーへと活かしていったという。さながら、テレビドラマのシナリオライターだ。読者のリアクションを受けながら物語の続きを考える。読み手だけでなく、書き手もドキドキしながら創作に臨むことができる。そういう在り方もおもしろい。

恋愛とアート

恋はアートに近い。ロジックを超える。「天才」と呼ばれた数学者の岡潔が俳句を好み、情緒を重んじたように。ロジックは積み上がていく作業だが、アートはワープする感覚に近い。山口周さんの著書で「エリートビジネスマンがアートを学んでいる」という話が印象的だった。

Shionさんはエンジニアだ。noteでは、IT関連やシステムのことを書いている。同時に、趣味でピアノを演奏していて、ロジカルな思考と瑞々しい感性は両輪で推進力を高める。もちろん音楽は数学的な美しさが内包されているのではあるが、言語化できない「情緒」という感覚をワープさせる力は偉大である。個人的に、ロジックとアートを行き来するような文章を読んでほしいと思った。

「恋」をエンターテインメント化する

仲さんと奥さまの馴れ初めの話が素敵だった。これは実際にご自身がnoteで書くかもしれないのでここでは多くを語らない。ただ、仲さんが「この人と結婚する」と感じたポイントが映像的で美しかった。仲さんの豊かな描写力で僕たち読み手の脳内に鮮やかな映像を流してほしい。「#100日後に結婚するフクロウ」というタグだけ先につけておく。(追記:この夜の翌日、仲さんは恋愛小説を書いた

sivさんは「過去の恋愛経験がこれから書く良い材料になった」と言っていた。本当にそうだと思った。僕たちはあらゆる体験を物語に昇華させることができる。自分の体験だけでなく、誰かが書いた文章を読んだり、話を聴いたり、映画を観たりして他者の人生を追体験できる。そこに想像力を掛け合わせれば、物語をエンターテインできる。甘い恋も苦い恋も、僕たちはそれをドラマに仕立てて「感情の揺らぎ」をシェアできるのだ。

感受性の装置

僕たちは「色っぽさ」にキュンとするし、「素朴さ」にキュンとする。「誠実さ」にキュンとするし、「危うさ」にキュンとするわけだ。年がら年中キュンキュンできる。

ただ一つ言えることは、瑞々しい感受性でなければ、キュンとするものは書けないだろう。よく笑い、よく怒り、よく悲しみ、よく感動する。心の表情が豊かな人こそ、良き恋愛小説家なのではないだろうか。幸せも不幸せも、あらゆる経験を、物語の糧にできる。


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当然のことながら、十三人分の話を全てここで紹介できるはずもなく。今回は、特に印象的なシーンを集めました(素敵なお話たくさんありました)。ポップアップCafeBarDonnaも良いですね。たまに、オープンしてみようと思います。だけどやっぱり、僕は少人数でエスプレッソのような濃厚なお話をする方が好きかも。

また、お会いしましょう。


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【おすすめ記事】

ひらやまさんの体験、そして収斂された言葉へ、茨木のりこの詩が重なっていく。この時、僕は詩の力を知る。言葉が心を救うことを知る。詩人の言葉、そして、ひらやまさんの言葉から。抱えたものの大きさに押しつぶされそうになった時、このnoteを読んでほしい。「救われる」体験をした人は強くなれる。




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