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PMF(Product Market Fit)の呪縛

僕はこう見えて、一応ベンチャー企業の社長だ。けど、会社はまだ「イケてない」。そういう風に社会からは評価されてるはずだ。そうでなければ、とっくにVCさんとかの支援を受けて、大きく成長させているはずだからだ。

シードVCさんに会うと、大抵このタイトルにあるPMF(プロダクト・マーケット・フィット)が言及される。「やっぱり、ある程度PMFが見えてきて、その企業の価値が見えるものなので」みたいな感じで。あるいは、事業の「トラクションはどの程度ですか?」とか聞かれる。PMFもトラクションも、要するに、その企業が提供する新しいモノやサービスを欲する人がいて、事業化の可能性が見えてきてるんですよね?と確認したいということだと思う。

ただ、残念ながら僕はそんな事は全く考えていない。というか、ぶっちゃけ、このPMFとかTAM/SAM/SOMとか、そういう考え方が日本でGAFAレベルに成長する企業の種(シード、と彼らは言う)を潰す原因となっているのではないか、ぐらい思っている。VCさんを敵に回すつもりは一切無いけど(下心見え見えで言えばVCさんと仲良くしたいけど)、でも、最近思うのは、VCさん界隈が随分こじんまりしてるな、って事だ。

ただのバカ(夢想家)には投資価値が無い、という理屈は分かる。で、これまでの20年くらいでシリコンバレー界隈で投資の理論がものすごく精緻に作り上げられてるので、日本は完全に周回遅れだけど、それに従おうとしている。つまり、アメリカでのベストプラクティスが教科書みたいになってる。大体、用語が全て英語ベースである時点で、それを証明してる。いつまでも追っかけているマインドだ。

でもさ、過去の成功ロジックに従おうとしてたら、いつまで経っても先頭には立てないよ? 世界で逆転するためのロジックを作ろうとは思わないの? LPさん(VCの作るファンドに投資するお金のいっぱいある偉そうな大企業様)達がいるから、忖度の結果、逸脱した行動はできないの? その投資先のマルチプルや、ファンドとしてのリターンやトラックレコードとかに縛られなければならないの?

最近、世界に「通用する」スタートアップを、みたいな論調やイベントが多いけど、そうじゃなくて、世界を「凌駕する」企業や価値観を創出したいとは思わないの?

僕は、シリコンバレーとは完全に異なる価値観を創出して、その価値観を日本から世界に発信して、世界中にそもそもの資本主義のあり方から問い直したいと思って、今の会社を作った。だから変な会社だ。「みんなで支え合う経済と社会を作ろう」と言うのが会社の標語だ。

「失われた30年」と言う言葉がある。でも、僕は失われたのは30年どころではなく、60年だと思ってる。60年前、つまり高度経済成長が始まった時期だ。当時まだ生まれていない僕が言うのもナンだけど、経済成長とともに、人間は、人間との繋がりよりもお金との繋がりをどんどん求めるようになった。「カネの切れ目が縁の切れ目」と言い、自由主義経済とも言う。僕は子供の時から、この経済成長に違和感を持っていた。

変じゃない? カネって概念は何のためにあるの? 人を競争にさらし、競争に勝てない人は不幸に、勝つ人は幸福になるためのもの? それじゃ、人間はカネのために動かされている。人間の方がカネにコントロールされてる。カネがこの経済の主人公であり、人間は脇役って事になる。実際、経済学は明言しないけど人間が経済合理的に行動する(つまり、カネを目的に動く)ことを前提にしているのが主流の考えだ。

いやいやいやいや。笑っちゃうよ。そんな世界なら、人間は自分で自分たちの首をしめかねない理屈と社会を作ったって訳だ。一体、カネは何のためにあるの?

僕は、経済の主人公は人間であるべきだと思う。経済学の目的は、もっと主体的に人間が幸福になることを追求するためにはカネが果たす役割はどのようなものであるか、を考えるべき学問だと思う。だから人間が、カネに服従する存在であってはならない。

そんなバカなことがあるかって? と言うか、僕がバカなのか? まあ、僕はバカってことで構わないけど、これでも一応、有名私立大学の法学部を卒業して、アメリカの大学院で修士号を取得した人間だ。その人間が、これまで学んだ全てのことを総括して、俯瞰してみたときに思うのが、上に書いた話だ。で、上の主張を実践するために(つまり経済の主人公としての人間の地位を取り戻すために)作ったのが今の会社だ。

僕がまだサラリーマンをやってた頃、特に一部上場企業の某社にいた頃、よく同僚と話をしていた。今の経済っておかしいよね、人間がカネに従属している世界って、どうしてこんな風になったんだろうねって。自分たちの子供にも、そんな哀れな世界観を押し付けなければいけないのかねって。

だから、投資というギスギスしたカネの本質に肉薄したVCの人々はともかく、普通の、一般の人なら僕が言いたい事は理解・共感してもらえると思う。昔から近江商人は「三方よし」(商売のあり方は、自分よし、相手よし、世間よしの3つが揃わないとダメだよ)って言ってたじゃない。最近話題の渋沢栄一だって「論語(道徳)と算盤(経済)」のバランスが必要だと説き、二宮尊徳だって「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」って説いていたじゃない。

VCさん、特にシードVCさんっていうのは、僕の私見だけど、「大きな川の一番最初の小さな源流」だと思っている。「いや、それはエンジェル投資家さんの役割で」って反論する人がいるかも知れないけど、個人投資家が、この国の中でどんだけ規制されているか、また、そういうエンジェル投資家がこの国にどんだけ少ないか、っていうのはプロの皆さんならご存知のはず。だから「(自称/他称)エンジェル投資家」と起業家を「マッチング」するグレーなサービスがはびこっているという状況もご存知のはず。

だから敢えてシードVCさんには言いたい。PMFとかトラクションとかじゃなく、自分が「この人は世界を変えてくれそう」って思える人を基準に考えた方が良いんじゃない? ピュアVCさん、レイターVCさんとはどこが違う、っていうところ、オリジナリティを見つけない? そもそも、LPさんやピュアVC・レイターVCさんは既得権益者だよ? その人達に忖度してたら、世界を変えられる訳がないじゃない。

ま、この話は尽きないので、この辺で。なお、このnoteは、あくまで投資事業界隈について個人的に思っていることを書いただけで、僕が経営している会社に利するために書いたのではないし、会社としての意見表明でもない事は、一応断っておく。

では、また!

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