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言葉で、人を殺したことがある

「言葉で、人を殺したことがある」

そんな僕は、2018年からライターとして活動している。いまは仕事として、言葉を扱っているから、言葉が相手に与える影響については理解しているつもりだ。でも、ライターになる前は、言葉の持つ鋭さを理解していなかったってのが事実だ。

少し話を過去に戻す。

ライターを職業にする前は、会社員をやりながら、イベントスペース兼バーを運営していた。サブカルやアート、面白いと思ったことをイベント化し、とにかく面白いを生み出すことに必死だった。

毎月のイベントを埋めるために、SNSで告知したり、近隣のバーに顔を出すなどもしていた。お店に立ちながら、日中はコワーキングスペースを運営し、営業の合間にイベントの打ち合わせをする毎日。

最初はお店が盛り上がることが、楽しくてたまらなかった。ところが多忙な日々を過ごせば過ごすほど、疲労も蓄積する。少しずつ食欲もなくなり、それと比例してどんどん体重も落ちていった。どう考えてもオーバーワークで、ぼくだけでは手に負えなくなっていた。疲れがピークに達したときは気絶するようにお店の中で寝てしまうこともあった。

お客さんの中にはイベントを何度も開催してる人もいれば、イベント開催未経験の人もいる。イベントは来た人を楽しまなければならない。とはいえ、集客がうまくいかなければ、どれだけ面白いものを作ったとしても、自己満足で終わってしまう可能性だってある。

そのためイベントの作り方や集客方法を一緒に考えることが多かった。毎日そんな生活を繰り返していれば、疲れも溜まる。そして、疲労がたまると自分にどんどん余裕がなくなり、善悪の判断もうまくできなくなってしまう場合もある。

疲れがピークに達していたときに、ある女性がお店に遊びに来た。どうやら相談に乗ってほしかったらしく、僕はいつも通りお客さんの話を聞くことにした。話を聞いていくうちに、悩みがだんだんと見えてくる。

簡単にまとめると、「好きなことで生きていくを実現したいけど、自分にはできる自信がない」だった。そんな悩みを持つ彼女に僕は「世の中そんなに甘くないですよ」と言い放った。

この言葉を聞いた彼女は、お店に2度と現れなくなった。おそらく彼女は正論を聞きたかったわけではない。話を聞いてもらいたかっただけだ。そして、あわよくばいまの自分を肯定してほしかったのかもしれない。仮説なので正解かどうかはわからないけど、おそらく僕の説は当たっていると思う。
  
いまもちゃんと夢を追っているのだろうか。彼女を傷つけた僕には彼女の動向を知る権利はない。もしも、まだ夢を追っているのであれば、とても嬉しいが、とてもじゃないけどぼくには彼女に合わせる顔がない。

なぜあのとき相手を否定する言葉を投げかけてしまったのだろうか。相手の悩む姿に苛立ちが募っていたのも事実だし、疲労がピークに達していたのも間違いない。でも、どんな理由があろうと、相手を否定することはあってはならないし、彼女の夢を否定したのは事実だ。そして、ぼくが彼女にしでかした行為は、到底許されるものではない。

いまならわかる。当時のぼくは傲慢だった。人の夢を否定できるほど、じふんが大層な人間だと思っていたのかもしれない。人の夢を応援する権利はあったとしても、否定する権利は誰にもない。

言葉は人を生かし、人を殺す可能性を秘めている。相手を言葉で生かすのは難しいけど、相手を言葉で殺すのは簡単にできること。人の心は思っているよりも脆い。そして、言葉で殺そうと思えば、簡単に人の心を殺せてしまう。

相手の可能性を終わらせる行為が、どれほど虚しいことなのかを、当時の僕は理解していなかった。そんなじぶんがいまでは、ライターとして言葉を扱う仕事をしている。過去の贖罪からライターを選んだのだろうか。そうではないと否定したいけど、過去の贖罪から救われるために、文章を書いているのは紛れもなく事実。その証拠に過去の消せない罪は、自分の胸の中にずっと残っている。

相手の欲しい言葉を相手に投げかけるのが1番最適なんだろうけど、その見極めがうまくなるためには、相手のことをよく知る必要がある。相手との対話を繰り返すこと。相手の感情を知ること。その上で相手が欲しいタイミングで、相手のほしい言葉を投げかけることが必要なのかもしれない。

目の前の人に言葉を投げかける前に、いまいちど相手に投げかける言葉について考えてみてほしい。

言葉は簡単に人を殺してしまう。そして、1度なくなった関係性を取り戻すのは簡単なことではない。

今から相手に投げかける言葉は、「目の前の人を殺す言葉」ではありませんか?

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