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この愛は全部、紛い物だった

「ねえ、私たち別れよっか」

おい、沙紀ちゃんよ、ちょっと待て。一体なんの冗談なんだ。一旦冷静になろう。そうか、今日はエイプリルフールだ。嘘をついているのかもしれない。とりあえず本当かどうかを確認しよう。

「え、急にどうしたの?あ、わかった。今日がエイプリルフールだから嘘をついてるんだろ?」

「今日がエイプリフールなんてことすっかり忘れてたよ。嘘じゃないし、この気持ちは本当だよ」

もうわけがわからない。新年早々俺は恋人に別れを告げられている。俺のなにがダメだったんだろうか。昨日も同じベッドで一緒に寝ていたし、思い当たる節なんていくらでもあるけれど、それが別れに直結するとは思えない。

後悔なんていくらでもあるし、元の関係性に戻りたいという気持ちだってある。ちょっと待てよ。なんの冗談だ。エイプリルフールにこの冗談はきつすぎる。エイプリルフールの嘘は午後になれば、真実を打ち明けるルールだ。夢なら早く醒めてくれ!

エイプリルフールの朝に俺たちは別れ話をしていた。そして、お互いに仕事があったため、話の途中で別々に家を出た。とりあえず俺たちの別れ話は、帰宅後に再び再開される。

彼女の本音が嘘であってほしい。新卒社員が入社するというめでたい日に俺は正直気が気でなかった。なぜか新卒社員の教育係となった俺は、新卒社員に向けて、偉そうに社会人たるもののなんちゃらを説いていた。

新卒社員もこの目の前に現れた偉そうな先輩が、まさか出勤前に別れ話をされているとは想像すらもしていないだろう。3月は別れ、4月は出会いがセオリーなのに、俺と沙紀は4月に別れを選ぼうとしている。

めでたい場に限らず、社長の話はいつも長い。茶番に付き合い続けなければならない新卒社員は、つまらない話をありがたく頂戴しているフリをしている。新卒社員は上司に目を付けられると厄介だから、真剣な眼差しをこちらに寄越す。

キラキラした目に、体裁化された格好。どれもがモブなように思えて、そんなじぶんも数年前までは、会社に希望を抱いていたモブの1人だった。淡い希望は簡単に泡となって消え、いまでは決められた時間に出社し、アフターファイブと休日のために仕事をするようになった希望も夢もないただのサラリーマンになった。

沙紀とは合コンで出会った。最初は無愛想なイメージを抱いていて、つまらなさそうにテーブルの端っこでカシスオレンジを飲んでいたことをいまでもよく覚えている。

そんな俺も合コンには興味がなく、テーブルの端っこでレモンサワーを飲んでいた。「趣味はなんなんですか?」と興味もないことを必死に聞いて、場を盛り上げる男子たち。少しでもいい印象を抱かれたいと必死にじぶんをアピールする女子たち。

そんな滑稽な構図があまりにもつまらなかったから1次会で俺は帰ることにした。沙紀も男子と女子の探り合いに疲れたのか、1次会で帰るようだ。

「さっきの合コン、めちゃくちゃつまんなかったよね。まだ飲み足りないんだけれど、よかったら1杯だけ付き合ってくんない?」

「本当につまんなかったなぁ。男女の探り合いって疲れるよね。終電までまだ時間あるし、どこか別のお店で飲み直すのもありだね」

2軒目はイタリアンバルみたいなお店に入った。1次会と同じくカシスオレンジを注文する彼女。どうやらお酒が苦手らしい。お酒を飲んで、すぐに顔が赤くなる彼女に、いとも簡単に惹かれている俺がいた。

。好きな音楽、好きなスポーツ。インドア派であること。休日はNetflixで映画を見るなど、俺たちはつくづく気が合った。

そして、数回デートを繰り返し、エイプリルフールの夜に付き合った。交際を申し込んだときは、彼女の返答が嘘なんじゃないかと疑ってしまったけれど、どうやら真実のようだ。そして、付き合ってからすぐに同棲を開始し、大阪市内のとあるマンションに住むことになった。

2人の生活は順調だった。とにかく気が合う。好きな食べ物も同じだし、時間感覚も似ている。早寝早起きをして、早朝に散歩に出かけることが日課になった。春夏秋はたまに夜も散歩をした。冬は寒さに打ち勝てず、ほとんど散歩には行かなかった。

朝に散歩をしない代わりに、仕事終わりに夜の公園を散歩することにした。まるで高校生みたいな恋愛。自販機までの短い距離のお散歩を「デート」と呼ぶ彼女の感覚が好きで仕方なかったし、こんな楽しい今が永遠に続いてほしい。些細でたしかな幸せを願いながら毎日同じベッドで眠りについていた。

幸せな生活は1年で、いとも簡単に崩れ去る。幸せが崩壊する予兆はなかったはずだ。いや、俺が気づいてないだけで、彼女はずっと俺に、SOSを発していたのかもしれない。それに気づけなかった俺に原因がある。でも、彼女はなぜ直接話をしてくれなかったんだろうか。

2人できちんと話し合いをしていれば、2人の関係がエイプリルフールの嘘のようにはならなかったかもしれない。たらればを考えたところで、彼女の結論はもはや覆らないのがオチだ。彼女は出会ったときからずっとじぶんの意見を曲げない女性で、そこにぐっと引き寄せられたのがこの俺だ。

別れは突然やってくる。でも、ちょっと待てよ。この関係は最初からエイプリルフールだったんじゃないか。もしも事実だとしたら悪い冗談すぎる。最初からこの関係は嘘で、嘘を証明するために、1年の月日を費やしたということになってしまう。

1年がかりのエイプリルフールプロジェクト。企画者は沙紀で、それに乗っかったのがこの俺だ。そして、このプロジェクトは、1年がたったちょうど今日という日に完遂されようとしている。

いや、違う。たしかに2人の愛は本物だった。愛は紛い物ではなかったし、2人が過ごした時間にも嘘はなかったはずだ。彼女と感覚が合うという俺の勘違いが沙紀を苦しめていた。沙紀は俺に合わせていただけで、振り回されることに疲れてしまった。だから、エイプリルフールのこの日にお別れを選んだ、ただそれだけのお話。

エイプリルフールにお付き合いを開始した2人は、付き合った事実すらも嘘だと勘違いしていた。夢なら醒めないでほしいと願っていたが、どうやらこの関係性は真実のままだった。そして、俺たちはエイプリルフールの嘘をちゃんと嘘だと証明した。

ほら、やっぱり俺たちの関係はエイプリルフールのただの嘘に過ぎなかったんだ。君と俺がお互いにつきあった嘘が現実化され、またエイプリルフールに嘘に戻っただけ。

今夜、俺たちはきっとお別れをする。ちなみにこれは、エイプリルフールのために用意された俺たち2人のプロジェクトだ。悪い夢ならどうか今すぐ覚めてほしい。仕事を終え、2人が帰る家へと足を運ぶ。

このお話がどうか嘘でありますように。

流れもしない星にそっと願いを込めた。


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