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ビター・シガレット

「御社を志望した理由は・・・」

夏のじめじめした暑さに、スーツは似合わない。どうせならTシャツと短パンもしくは赤いワンピースを着て、大学生最後の夏を謳歌したいものだ。そんな気持ちとは裏腹に、今日も私はスーツを着て、企業面接に臨んでいる。

いざ本番になるとなんども練習した面接の成果を発揮できず、緊張のあまり言葉が出てこなくなってしまう。自己PRや志望動機、企業を調べるために費やしたあの時間がすべて水の泡になる。今日もまた面接がうまくいかなかった。失敗を嘆いている間に、iPhoneに1週間前に受けた企業からお祈りメールが届いていた。

ほとんどのお祈りメールはテンプレだ。まるで私のことなんて何も見ちゃいない。一人ひとり丁寧にメールを打つ時間はないのかもしれないけれど、こちらがかなりの時間を費やしたその仕打ちがこれかと考えると無性に腹が立つのだ。

オフィス街には連日、真っ黒なスーツを着た同士がたくさんいる。みんな仲間なのかもしれないし、ライバルなのかもしれない。はっきり言って仲間とは思えないけれど、ここではあえて同士と表現したい。

黒いスーツだらけのオフィス街。カフェに入っても、黒いスーツを着た人たちが談笑している。

「私は内定を2つもらった」

「俺は3社内定をもらったよ」

ああ、なんだよ。気持ちを落ち着かせるために、カフェに入ったのに、ライバルたちがいると、心が落ち着かないし、そんな自慢話は他所でやってほしい。

春から解禁された就職活動。オフラインの面接もあれば、リモートで面接を受ける場合もある。リモート面接は、面接官の感情の機微を捉えられないため、いつまでたっても慣れない。いつになったら内定をもらえるのだろうか。不安と焦りばかりが胸を締め付ける。

就職活動を必死にやっているのに、私は内定をもらえないまま、夏を迎えていた。

「はあ、いつになったら内定をもらえるんだろうか」

街にずらっと並ぶ居酒屋で、くたくたになった体を癒すために、ハイボールをぐっと喉に流し込む。

「有希ももう社会人になってしまうのか」

「厳密に言えば、まだ1年あるけどね。でも、内定をもらえないと、社会人にはなれないんだよな」

2つ上の浩二とは大学で出会った。浩二はサークルの先輩で、今は社会人として会社で働いている。同じ大学生だった頃は、毎日ぐらいの勢いで一緒にいたのだけれど、社会人になってから会う頻度は減ってしまった。

彼に惹かれた理由は、共通点がたくさんあったことだ。映画や小説、音楽など同じ趣味を持っていた2人は、新作の作品が出るたびに、感想を言い合っていた。

でも、会社員になってからの浩二は、すごく疲れた顔をすることが多くなった。今日も2人でご飯を食べた後に、締め切り間近の原稿を書くらしい。社会人ってやつは、想像以上に大変なものなのかもしれないと、浩二の疲れた顔を見ている私は社会人にあまり希望を見出せなかった。

タバコには縁がなかったはずなのに、上司との付き合いとか言って、浩二はタバコを吸うようになった。ちなみに銘柄は外国の愛煙家が「日本のたばこ」だとよく言っていることで有名なハイライトだ。私にはたばこの良さがわからないし、きっとこの先も吸うことはないだろう。

「歯には常に気を使っていたい」とか言いながら、少しばかり歯茎が黄ばんでいるようにも見える。

居酒屋でハイボールを数杯飲み、終電でいつものように浩二の部屋へと足を運ぶ。その後はシャワーを浴び、私は彼に抱かれる。その度に私は「ずっと一緒」という言葉を彼に投げ掛けている。そして、事が済むたびに、浩二はベランダでたばこを吸う。朝目が覚めたときにはもう浩二は隣にいなくて、「起きた?鍵ちゃんと閉めといて。またね」とだけLINEが届いている。

浩二は「さよなら」でなく、「またね」をよく使う。その理由は「さよなら」は2度と会えなくなる可能性があるためだ。「またね」なら次があるから安心するらしい。きっと願掛けみたいなものだろう。だから、私も浩二に対してだけは、「さよなら」ではなく、「またね」と伝えていた。

浩二から愛を感じなくなったのは、彼が社会人になってからだ。会社員と学生の恋は、すれ違いが出てきやすい。学生が会社員の苦しみがわかるわけないし、それはごく当たり前のことなんだと思う。でも、浩二からすればわかってほしいと願うのも無理はない。私が就活生じゃなければ、彼を理解してあげられたのかもしれないけれど、じぶんに余裕がないのに、他人を理解するなんて、私には到底無理な話だ。

付き合いたての頃は、私に「好き」とか「可愛い」という言葉を毎日言ってくれていたのに、社会人になってからはそんな言葉は一切聞かなくなった。忙しさのあまりじぶんに余裕がなくなったのかもしれない。いや、私に対する思いが変わったのかもしれない。ネガティブに考えれば、考えるほど、不安は募るだけだった。

ワンパターンのデートに、愛があるかどうかは些か疑問である。デートとも呼べないデートを繰り返しているうちに、私は浩二に興味を抱けなくなってしまったのだ。就活がうまくいかないことからの焦りもあったし、私に対して楽観的な浩二を見ていると、大切にされているという実感を抱けなくなった。

ちなみに完全に心が離れていると気づいたのは、朝、目が覚めたときに、浩二が隣にいなくても平気だと思ったことがきっかけだ。星の数ほど男も女もいる中で、たった1人を選んだ運命だと思えた恋も、運命だと思えなくなる日はやってくる。

恋愛が終わるのは、どちらかが相手を許せなくなって終わるパターンばかりだ。ひとつ掛け違えたボタンは、もう2度と元には戻らない。それが恋愛のセオリーであり、大概のカップルがその壁を乗り越えられずに、終わりを迎える。

「ずっと一緒」と彼に投げ掛けた私は、その約束を守れずに彼に「さよなら」を告げる。彼についた嘘。守れなかった約束。約束を破ってばかりの私は、この先ずっと誰のことも愛せないのかもしれない。

浩二は「さよなら」のときに、涙を一切見せず、終始笑顔だった。あれは強がりだったのだろうか。そういえは昔浩二が「もし2人がお別れをするときは、絶対に笑顔でお別れしよう」と言っていた。

浩二は最後まで私との約束を守ろうとしてくれていた。それなのに私は浩二との約束を破ってばかりだ。どうしようもない女とは正に私みたいな女を言うんだろう。

これは別れたあとに、共通の知人から聞いた話だけれど、浩二がたばこを吸い始めた本当のきっかけは、たばこのにおいでじぶんを思い出してくれればいいという願いだった。

川端康成の「別れる男に、花をひとつ教えておきなさい。花は毎年咲きます」みたいな感じだろうか。そう考えると、浩二はなんて女々しい男なんだろうか。でも、好きだった。それだけは嘘じゃない。約束は守れなかったけれど、あのとき確かにそこに愛はあったはずだ。

今日もまた企業面接だった。あいも変わらず私は面接練習の成果を発揮できずにいる。結果は散々でまたきっとお祈りメールが届くはずだ。

誰もいない喫煙所にて、彼が吸っていたたばこに火を点ける。

たばこの煙が目に染みる。やっぱりたばこなんて吸うもんじゃない。

このたばこと同様に、浩二を好きになることは2度とない。

でも、たばこのにおいがするたびに、きっと彼とのほろ苦い思い出をいつまでも思い出してしまうんだろう。

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