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じぶんのために書けばいい

先日、友人と毎日更新の話題になったときに、「どうやったら継続できるか」と尋ねられた。いまは誰かの役に立つを目標としているが、まずは毎日更新を継続するために「じぶんのために書く」からはじめた。

「じぶんのために書く」はライターとして、失格なのかもしれない。もちろんクライアントさんとお仕事をするときは、「誰かの役に立つ」を意識して書いているし、それが実現できているとおもいたい。

文章を書く上で、「誰かに読まれたい」「誰かの役に立つ文章を書きたい」という気持ちは大事だし、それがすべてと言っても過言ではない。「誰かの役に立つ」は面白いでもいいし、知識の提供や救いの手を差し伸べるでもいい。誰かの感情をプラスに揺さぶることが、商業的な書き手としての使命であり、生き残るための生存戦略でもある。

誰の役にも立たない文章は、誰からも必要とされない。書き手として結果を残している人は、読者の需要をしっかり押さえているから生き残っている。文章を書く行為が、自己満足でいいのであれば、誰にも見せない日記帳に書き貯めればいい。

でもnoteは、あくまでじぶんのために書いてきた。この行為が誰かの役に立っているかどうかはわからないが、それはどうでもいい。僕がじぶんのために書いてきた理由は、「毎日更新を継続する」が目標だったためだ。

どんな目標を立てるかでやり方は変わるものだ。「誰かの役に立つ」文章を書こうとすると、リサーチや言い回しの調整など工数が増える。1つの原稿を仕上げるために、まとまった時間が必要だし、そうなってしまうと、本業に支障をきたすことが目に見えていた。

noteのために、本業のライティングが疎かになっては本末転倒だ。仕事やプライベートの合間で文章を書く必要がある。1日の限られた時間内に毎日継続するためには、工夫が必要で、要領を掴むまでにある程度時間を要するものだ。

だから、まずは「じぶんのために書く」と決めた。じぶんの考えを文章化するときに、かっこつける必要はない。文章が拙い、表現方法がつまらない。それが今の現在地である。反省材料にして、いい文章を書く糧にすればいい。

じぶんのために書く行為が、毎日更新の習慣化の成功につながった。そして、考える習慣が身につき、ネタを仕込むために、あらゆる視点から物事を見る癖も身についた。いまでは30分程度で、1記事を書けるようになった。慣れてしまえば、こっちのものである。でも、エッセイはある程度まとまった時間が必要だから、エッセイを書くときは、時間に余裕があるときと決めている。

じぶんのために書く行為は、じぶんを知る行為にもなり得る。それは新しい顔かもしれないし、ずっと胸の内に秘めていた本来の顔かもしれない。1度書いたものを後で見返せば、過去を省みる材料にもなるし、よりよい未来を作るための判断材料になり得る可能性もある。

人によって継続の秘訣はちがうし、この方法が再現性のあるものかどうかは正直わからない。でも、もし毎日更新をはじめたい方がいれば、「じぶんのために書く」をおすすめしたい。

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