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やっぱりうまく笑えない

花は散り際が1番美しい。花は咲いた瞬間に1番値打ちが付くものだ。花が咲くまでの苦労を、裏側をきっと誰も知らない。だから、咲けなかった花には一切価値がつかずなかったことにされる。本当に咲けなかった花に価値はないのだろうか。無論、そんなことはないと、答えたいところだけれど、誰にも見向きもされない花など一銭の価値もないのだろう。

かおりの恋人の透はよくモテる男だった。いつも周りに女性がいて、恋人が途絶えたこともない。浮気は当たり前。「浮気はモテる男性の特権だ」とか調子のいいことを言って、前に付き合っていた彼女に殴られたらしいけれど、当然の仕打ちを受けたまでだ。

そんな碌でもない男が大事にした女性がかおりである。大学を卒業してからも交際は続き、社会人を含めると、交際はもう4年になる。透と僕は高校時代からの友人で、かおりは僕の大学の友人だった。僕と透が一緒に遊んでいるところに来たのがかおりで、透は彼女に一目惚れをした。

大抵の人は一目惚れに理想を抱いているけれど、一目惚れの真相は相手を性的対象として見たという瞬間のことだ。よくも一目惚れなどと綺麗な言葉にしてみせたものだ。その点だけは一目惚れという言葉を考えた人に敬意を表したい。

以前、透にかおりのどこが好きなのかを聞いたところ、何の躊躇いもなく「顔」と返ってきた。続けて、「内面も大事だとか人は言うけれど、それは外見がクリアしてからの問題だろ?他人によく思われたいのか知らないけれど、俺は素直に外見が好きって言ってる奴の方にが好感を持てるな」と返ってきた。

透の言葉は紛れもなく事実である。外見のハードルを超えてからやっと内面を見てもらえる。要はその最低基準のハードルを超えない限りは、内面すらも見てもらえないということだ。学生時代で内面をよく知っている人なら話は別かもしれないけれど、社会人になってから出会う人の客観的評価はまず顔から下される。悲しい現実だけれど、これが抗えない現実ってやつなんだろう。

***

「ごめん、いまいける?」

仕事を終えて、会社の上り階段でほっと一息をついているときにかおりから電話が入った。

「どうしたの?」
「もう透とダメかもしれない」
「それ何回も聞いたよ』
「そうだよね。ごめん。でも、今回は本当にダメっぽくて」

彼女の電話はいつも唐突だった。電話の内容は決まって隆の話題。浮気されたとか記念日や誕生日プレゼントは何がいいとかそういう類の話ばかりだ。かおりが好きだった僕からすれば、好きな男の話をされるのは気が良くない。それでも彼女の話を聞き続けるのは、きっと彼女と触れ合う時間を求めていたからなんだろう。

かおりと透の話ならいくらでも知っている。人前で弱音を吐かない隆がかおりの前で弱音を吐くこと。透がカラオケに行ったときに必ずクリープハイプの“愛す”を歌うこと。好きな人がかわいすぎてぶすと呼ぶのが隆っぽくていい。そのほかにも夏の花火大会で二人で金魚すくいに本気になっていること。お花が好きなかおりが自分の好きな花を隆に教えていること。スターチスの花言葉が「変わらぬ心」であること。

かおりは電話の奥で静かに嗚咽を漏らしていた。別れを受け入れるその事実が悲しくて仕方ないんだろう。

「ごめんね。あんなやつに泣かされるなんてまっぴらごめんなんだけどね」
「ううん。悲しいときは泣いたらいいよ。愚痴とか弱音ならいくらでも聞くしさ」
「隆くんはいつも優しいよね。なんで恋人できないのかほんと不思議」

かおりのことが好きだからだよと言えたならどれほど楽だっただろうか。こちらの気も知らないで、土足で他人の心を平気で踏みにじるそんなかおりが憎くて、でも、好きで、その気持ちは揺るぎようのない事実だった。

「透が別れるときなんて言ったと思う?お前よりいい女なんていくらでもいるって言ってきたの!本当に最低じゃない」
「それは確かに最低だ。透は浮気者だし、すぐに調子に乗るし、かおりのことだって大事にできなかった。彼氏失格だよ」
「傷ついちゃうなぁ。私が好きだった人をボロカスに言われるのはやっぱり嫌だな」
「ごめん。つい勢いで言いたいこと全部言ってしまって…」
「ふふふ、冗談よ。もうあんな奴のために泣いてやらないの。涙がもったいないし、これからは楽しいことをたくさん考えることにするね。ありがとう、じゃあおやすみ」

***

かおりが透と別れた次の日からかおりと毎日連絡を取るようになった。喫茶店に行って世間話をしたり、行きたいところリストを作ったり、かおりが好きな植物園にも行った。とにかくかおりの気持ちを最優先に、彼女の要望をどんどん叶えていった。僕といるときのかおりの笑顔はいつもぎこちなかった。失恋のショックからまだ立ち直れていないんだろう。それを見守るように、自分の思いだけはばれないように彼女の行く末をただ見守った。

かおりは「もう透以上の人は現れない」とよく口にしていた。それだけ本気で透を愛していたんだろう。一方、透は「女なんていくらでもいる」と口にしていた。これが振った側と振られた側の違いなのだ。フラれた側はいつだって不利な状況に陥り。振った側は余裕の笑みを浮かべる。それがいつしか逆転する場合もあれば。そのままズルズルいく結末をこれまでに何度も見てきた。二人がどちらの道を選ぶかはわからない。でも、かおりが僕のものになればいいと望んでいたのは事実だ。

ある日、かおりが好きな植物園に行った。僕は植物には疎いけれど、かおりのありがたい解説のおかげでいろんな花の名前を知った。その中で1番印象に残った花がスターチスである。

スターチスは多年草ではあるけれど、短命であるが故に一年草としてよく扱われるのだ。花言葉が「変わらぬ心」であることが実にユニークで奥ゆかしい。さらにスターチスは花持ちがよいため、ドライフラワーにも良くなっている。もしかすると、スターチスの花言葉が「変わらぬ心」と呼ばれる所以はここにあるのかもしれない。

スターチスを指差して、「これ透に教えた花なんだ。以前透がドライフラワーにしてプレゼントしてくれたんだけれど、彼との思い出を整理したときに捨てちゃったの。多分透はいつまでもスターチスを見るたびに私のことを思い出してしまうんだろうな」とぎこちない笑顔で言った。

花に全く興味がない透が初めて覚えた花言葉がスターチスの「変わらぬ心」だ。きっと彼はスターチスが咲く5〜7月にスターチスを見るたびに、かおりとの思い出を思い出してしまうんだろう。要は恋の呪縛ってやつだ。別れたあとも綺麗な思い出として残り続けるなんてまっぴらごめんである。

「そのぎこちない笑顔やめなよ。無理に笑おうとしなくていいし、泣きたいときはめいっぱい泣けばいいんだよ。僕が側にずっといるから嫌な気持ちとか全部言いながら泣けばいいじゃん」
「笑おうとすればするほど、やっぱりうまく笑えなくてさ。じゃあお言葉に甘えて泣いてもいいかな。でも、ここは公共の施設だから海か山に行きたいな」

すぐさま僕は車を走らせ。かおりを夜の海へ連れ出した。

「大好きだったのになぁ。もうほんと私みたいないい人は絶対に現れないんだからね「と言って彼女は大粒の涙を流した。潮風に乗ってその涙は遥か遠くへと消え去ってしまう。

そして、続けざまに透の嫌なところを言い放つ。

「この浮気者め!服のセンスも悪いし、お調子者だし、塩と砂糖をしょっちゅう間違えるし、そういうところほんと直したほうがいいぞ!ばか!!」

その後も1時間ほどかおりは泣き続けた。

「泣いたらすっきりした。隆君ありがとう。もう大丈夫だから」

小刻みに震える肩を強く抱きしめた。その日の夜、僕たちは恋人になった。あまりにもあっさり進みすぎて困惑を隠せなかったけれど、どうやらうまくいく恋というやつはとんとん拍子で進むらしい。かおりの心境がどう変化したのかはわからない。でも、僕の願いが叶った。それだけは紛れもなく事実である。

花は散り際が1番美しい。花は咲いた瞬間に1番値打ちが付くものだ。花が咲くまでの苦労を、裏側をきっと誰も知らない。だから、咲けなかった花には一切価値がつかずなかったことにされる。本当に咲けなかった花に価値はないのだろうか。無論、そんなことはないと、答えたいところが、誰にも見向きされない花など一銭の価値もないのだろう。

幸運にも僕とかおりの花は咲いた。この花が咲き続けるために僕にできることは一体何なんだろうか。寄り添うこと。我慢しないこと。認め合うこと。それぐらいでいいのであれば、僕は悪になろうと彼女の味方であり続けるつもりだ。

これは後日談なんだけれど、透から「もう一度やり直したい」と連絡があったらしい。かおりはこの申し出を一瞬で断り、彼らの関係は過去になった。

***

私は透がいなくても生きられる事実を知った。好きだった気持ちが透明になって、二人で築き上げた砂の城は簡単に崩れ去った。それが嬉しくて、悲しくてやっぱりうまく笑えない。別れ間際にこれが最後とあなたが私にキスをした。男ってやつはいつも別れかたが下手だ。自分から振ったくせに最後までやさしくして綺麗な終わりを迎えたいのだろうか。区切りといえば区切りかもしれないけれど、区切りの最後のやさしさほど悲しいものはない。

別れはマイナスではなく、元に戻っただけ。少しの間は別れのショックを引き摺るのかもしれないけれど、それもいつかは時間が解決してくれる。その証拠に私にはすでに新しい恋人ができた。

***

さて、かの川端康成は『掌の小説』という小説集の『化粧の天使達』の一節に、『別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます』と記した。思い出すのは花だけではない。一緒に行った思い出の場所や家の中で歌った思い出のラブソング、夏の花火大会での出来事も一生胸の中に残り続けるのだ。それに二人の思い出を思い出すのはいつもふとした瞬間だから失恋など経験したくないと嫌が応なく思わされる。

そもそも最初から別れを想定して、お付き合いを始める人間などどこにもいない。誰もが一生を添い遂げるために愛を誓い、その愛を守り抜くために、寄り添い合う。その狭間の中で噛み合っていたはずの歯車がぎしぎしと鈍い音を立て始めるのだ。それが別れの予兆であり、どちらかは気づいているのに、どちらか片方は気づかない。

困ったことに小さな違和感に気づいていた方は、「きっと大丈夫」と小さな違和感に気づかないふりをするのだ。小さな違和感がやがて確信に変わった瞬間にはもう時すでに遅し。そこから関係性をやり直すのは至難の技で、確信に変わった瞬間にはもうすでに片方の恋は卒業を迎えているのだ。

今回の場合は透が違和感に気づき、かおりが違和感に気づかなかった。それを放置した結果。最終的に別れに繋がった。至極簡単にできる分析だ。でも、立場はゆるりと逆転を迎えた。それが僕とかおりの新しい恋だ。

失恋の直後は、女性の方が醜い存在になる。涙を流し切った瞬間に心は枯れる。以後。何を見ても、何をしても涙が出ない。泣こうと思えば泣けるのかもしれないけれど、体が心がもはや涙を流す術を忘れてしまったのだ。

一方、男性は失恋直後は醜くくならない。少しずつ時間をかけて思い出が綺麗になるそのさまを見ながら男性は醜くなっていく。女性のメンヘラよりも男性のメンヘラの方が厄介である。男性は「他にいい人なんていくらでもいる」と最初は強がってみせる。それが時間が経つに連れて、「やっぱり亜あの人じゃなきゃだめだった」となるのだ。

一方、女性は「私にはこの人しかいない」と錯覚しながら恋に落ちて、失恋した途端に「お互いにこの人以上の人はもう現れない」と絶望する。それが心に平穏を取り戻すに連れて、「お互いにこの人じゃなくていい」と悟るのである。女性の練愛は上書き保存、男性の恋愛は永久保存と言われる所以はここにあるのだろう。

かおりの透への気持ちは徐々に透明になった。透のかおりへの思いは透明から色をつけたけれど、透明なままにされてしまった。この恋の勝者を挙げるとするならば。やっぱりかおりなんだろう。


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