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難病になって早2ヶ月が過ぎた

僕は9月に「ベーチェット病」という難病になった。「ベーチェット病」という診断を受けた時は、不安しかなかったし、不安で眠れない夜をなんども過ごした。

「ああ一生付き合い続ける必要があるんだな」と諦めにも似た感情が僕を取り巻く。どろどろした醜い感情。「なんで自分が」となんども自分の運命を呪ってみたりもした。

この2ヶ月は想像以上にきつくて、人知れず涙を流したし、出口のないトンネルをぐるぐる彷徨っているような感覚。いろんな人に支えてもらわなければ、多分僕は精神的に病んでたんだろうな。いや、最初の1ヶ月間は病んでたか。笑

でも難病になったことは、自分を振り返る良い機会になった。自己分析を繰り返し、自分に不必要なものを断捨離しようと心に決めた。それが功を奏したのか今は以前よりも、はるかにストレスがなく生活をすることができている。

目が見えないことの恐怖。目が見えないことがあんなにも恐ろしいことだとは思ってもみなかった。当事者になって、目が見えないことが不便だということを知ったし、もう2度とあんな思いをしたくないと強く感じた。

だから今、目が見えることが最大限に感謝をしている。当たり前の生活ができていることは、それだけでありがたいことで、普段の生活に感謝をするようにもなった。

難病の発覚から早2ヶ月が過ぎ、今では仕事をできるぐらいには復活することができている。でもまだ目にもやがかかっていて、コンタクトレンズの装着ができない。

ずっと眼鏡生活をしているんだけど、眼鏡ってかなり不便。レンズが曇るし、邪魔だし、できるならコンタクトを早く着けたい。

今も体調に波があって、神経痛や湿疹、目のもやに悩まされている。この文章を書いている今もすこぶる調子が悪くて、体のあちこちが痛い。きっと低気圧のせいだ。低気圧の日は基本的に調子が悪い。ああもういいからさっさと上がれよ気圧。

今僕と接している人は、一見普通のように見えるかもしれないけど、無理をしてしまっていることもある。辛いのを見せないようにしているのが僕の悪い癖なんだろうな。

以前よりもすぐに疲れてしまうし、睡眠時間を長く確保しなければ、体力も回復しない。なんとも不便な体になったものだ。でもこの体で生きていくしかないから仕方ないよね。

いつになったら普段通りの生活ができるんだろうか。とにかく今は治療に専念するしかない。きちんと病院に行って、ちゃんと治療する。それが今僕にできる最大限のこと。

「難病と一生付き合う」という覚悟が、まだないことだけが悩ましいことだ。頭ではわかってるんだけど、どうやっても心が付いてこない。いつか難病のことを受け入れることができるんだろうか。

ああ、本音言うと受け入れたくないよ。嘘だと言ってなかったことにしてしまいたいんだよ。でもそんな都合のいいように世界は回ってないから、なんとかして受け入れよう。

難病になってもっと自分のやりたいことに素直になろうと思うようになった。だから今以上に僕は自分のやりたいことに挑戦してみようと思う。

死んだら骨しか残らない。だからこそ生きた証を残していきたい。記憶に残らなくてもいいとか嘘。記憶に焼き付けてしまいたい。

欲望のままに生きる。それは難しいことだけど、実践できたらきっと後悔なく死んでいくことができる。

人生は思っているよりも短いから、できるだけやりたいことをやって死んでいこう。




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