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amazarashi“僕が死のうと思ったのは”は絶望の中に見えた微かな希望だった

20歳になって生きる意味が見つからなかったらもう死んでしまおう。

淡々と流れる日常に意味を感じなくなった僕は、いつもそんなことばかり考えていた。

19歳といえば、モラトリアム期の渦中にいた。それは誰もが通る道なのかもしれない。

簡単に「死にたい」と口走っていた当時をいま振り返ると、「若い」の一言で片付けられる。でも、それは乗り越えたからに過ぎない。

「何者かになりたい」

では、その何者とは一体なんなのだろうか?

何者の明確な基準が見つからないままずっと生きていた。そんな気持ちとは裏腹に、何もしなくても勝手に過ぎていく日々。何者かになる努力をせずに、指を咥えて突っ立っているだけ。そんな人間が何者かになれるはずなどない。

19歳は教員になるために教育学部に入った年だ。それなのにもっと大きなことがしたいと教員になる夢をあっさり諦めた。テレビで活躍するような人や起業家に夢焦がれ、自分の夢を簡単に諦めた。本来夢とはそんなに簡単に諦められるものではない。夢を叶えるではなく、僕が欲しかったのは、教員というステータスだった。

何者かになりたいともがく僕を横目に、大学の友人たちが教員を目指すために必死に勉強に励んでいる。明確な夢を持つ彼らの姿を見ては、自分には目標がないと劣等感を感じていた。

僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから

僕が死のうと思ったのは、自分が満たされていないと感じたからなのかもしれない。満たされたいと願う。でも、何をもってして満たされたと言えるのだろうか。それすらもわからない。だから、何者かになりたかった。

今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど

明日を変えるために、今日を変える。それは必要以上に勇気と体力を要するものだ。どちらかが欠けてしまった途端に、何も変わらなかった昨日の自分になる。変わりたいとは思いつつも肝心の変わり方がわからない。どこを向くのが正解で、どこを向くのが不正解か。1度きりの人生で失敗したくないからこそ、明確な正解が欲しかった。

でも、世の中で活躍している人は必ず失敗している。日の目を浴びている人はいつだって成功ばかりが取り上げられ、その裏に数え切れないほどの失敗や苦悩があることを語らない。そんな当たり前の事実すらも知らなかった19歳。それでも何者かになることが自分の生きる意味になると信じていた。

僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り

本当に死にたいと思っているときは、靴紐が解けるみたいな単純なことでも簡単に死にたくなる。本当は死ぬ気など更々ない。生きる意味がないから死にたいと言っていただけだ。死んでしまうと楽になるかもしれないけれど、明日がないと明白になるその事実がただ怖かった。だから、死ねなかった。それなのに、いとも簡単に死にたいと簡単に口走っていた19歳。

人に頼れずに、自分一人で全部解決しようとする。それは一度できた繋がりが壊れてしまうことを恐れていたためだ。裏切られるぐらいなら最初から期待しない方がいい。期待しなければ傷つかないかもしれないけれど、人との繋がりが希薄な人生は虚しいだけだった。

20代後半に差し掛かり、何かを変えるために文章を仕事にした。胸を張って言えるほどの実績はまだないけれど、文章で生活ができるだけの地盤はちゃんと整えてきたつもりだ。

何者かになるのではなく、自分自身の看板を背負っていくと決めたのが27歳。難病になった28歳。2度も手術入院した29歳。うまくいくことばかりではない。ずっと「まさか」に振り回されてきた20代。それでも周りの人に助けられていまがある。

たくさんの人のおかげで、昔よりも遥かに生きやすくなった。一人じゃないと実感できるこの世界が好きになった。そして、そんな自分のこれからに期待している自分がいる。

あなたのような人が生きてる 世界を少し好きになったよ

あなたがいて本当に良かった。それだけが人生の救いだ。

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