何故私はコンテンポラリーダンスを踊るのか:中学校・前編
note119日目。
幼少期、小学校とルーツを辿ってきた。
ダンスとの出会いはいろいろあれども、未だこの頃は一端の野球少年であり、丸坊主だった。
中学校3年間もずっと野球をやっていたわけだが……。
中2病を存分に発揮していた中学生時代
世間で言われるところの「中2病」に罹患していた。
結構自分でも今思い出すとイタいやつだったんじゃないかなと思う。
当時、ニコニコ動画とか流行っていた時代だった。今はもうオワコンと化してしまっていたが、youtubeなんて目じゃないくらい流行っていた。
ちょうど自分もネットにハマり始めた時期でもあり、ニコニコ動画を見たりアニメを見たり、ゲームをするのにハマっていた。
しかも中学生ながらにブログとかやっていた。
当時流行っていたアメブロ。アメピグとか自分たちの世代ならやっていたんじゃないだろうか。その流れでブログなんかも始めたりしてた。
BUMPの歌詞の考察をしたりとか……。今でも残っているんだろうか。
問題なのはペンネーム。
卍とかつけるとカッコいいって本気で思っていた。
「卍〇〇卍」みたいな名前。
まじ卍とか今流行ってるけど、今でも卍がなんとなくカッコいいみたいな流れはあるんだな~と思ったのを覚えている。
一番中2病だな~と思うエピソードは、親に黙って夜に家を抜け出して友達の家に泊まりに行ったこと。笑
可愛い部類なのかもしれないけど、実家は他人の家に泊まるのが禁止だったため、相当なことをやったという自覚はある。
普通にバレてたしね。
朝家に帰ったら普通にバレてて、「まあ朝に戻ってきたから許してあげる」と、母親は寛容だった。
末っ子には甘いと言われるのをよく体感できた。笑
またもやよさこい、そして?
肝心のダンスだが、中学の頃の体育祭も、全校でよさこいを踊るというイベントがあった。
たぶん自分が入学した年から毎年踊るようになった気がする……。
自分が入学する以前は相当荒れてた学校だったし、1年生の頃も荒れてた。
授業中に廊下や外をうろつきまわるヤンキー、給食のみかんは壁に投げつけられる、牛乳瓶は3階から落とされる、ガラスに向かって石を投げる、タバコやガムが学校に落ちているetc...
毎週のように臨時の全校集会があったのを今でも覚えている。
なんならとある事件があって全国ニュースになったからな……。
まあそれほどやばい学校だったのだけど、改革の一環としてよさこいを踊らせようということだったのかな。
よさこいのおかげかはわからないが、今ではその中学校は落ち着いた学校になった。改革は成功した。
よさこいの ちからって すげー!
しかもよさこいだけではない。
ニコニコ動画が流行っていた時代、「歌ってみた」や「踊ってみた」も流行っていたわけで、それを見るのにハマっていた。
しかも同じ趣味の友達がいて、「踊ってみた」を真似して振付を覚え、それを動画で撮影しようと画策していた時期がある。
これとか見て本気でカッコいいと思い、練習したな~
今見ると「微妙だな……」と思ってしまったのはあまり大きな声で言えない。
ダンスへの興味は結構高まっていた時期だったのかもしれない。
踊ってみたとか、こういうのをサブカルチャーっていうのかな。
影響はかなり受けたな~
ここまでが大体中学2年生くらいまでの話かな。
1000字を超えてしまったので前編、後編ということにしよう。
まだコンテンポラリーダンスにはたどり着いてはいないが、ようやく次でコンテンポラリーダンスとの出会いが話せそう。
次回はコンテンポラリーダンス(創作ダンス)との出会いについて。
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