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栞(しおり)をはさんでいくように写真を撮っていきたい

写真を撮るとき、どのようなことを考えながら写真を撮っていますか。

私も様々な気持ちから写真を撮っているのですが、写真を撮るうえでのひとつのテーマとして、
「栞(しおり)をはさんでいくように写真を撮っていきたい」という思いで写真を撮っています。

以前、「何のために写真を撮っているのか」というタイトルで、自分が写真を撮る理由について考えてみました。

そこで私は、「かけがえのない瞬間を記録するために写真を撮る」と一旦結論づけました。

そしてこの記事の最後に「私はこれからも写真を撮るという営みを通じて、日常の美しい場面や楽しい瞬間に栞(しおり)をはさんでいくように、大切な記憶を記録として残して、後で自分で見返したり、周りの人と共有したりしていきたいと思います。」と写真への思いを記しました。

写真を撮る行為に対して、「栞をはさむ」というイメージを着想することになったきっかけは、ある小説の一場面を読んだときです。

「最近、思うのだ。茶の湯は時の栞だとな」 「時の栞」
 呟くと、新五郎は深く頷いた。
「無常たる時は頭上を通り過ぎてゆき、人は一生の殆どを忘れる生き物……それを忘れぬよう心に留める栞になるとな」
「そういえば、まだ私が習い始めの頃、茶碗を割ってしまい、武野様が絶叫なさった」
「それよ、それ。会話までは明確に思い出せずとも、笑い、泣き、怒り、楽しかったことは残る。たとえ一期一会だとしてもな」
 別にそうでなくとも、誰しも人には忘れ得ない瞬間というものがある。茶の湯はそれを人の手で演出する。九兵衛はそう理解した。

今村翔吾「じんかん」

それは「じんかん」という、戦国時代の武将・松永久秀の生涯を通じて人の生やこの世について描いた小説で、九兵衛(のちの久秀)が、茶道の師匠・新五郎から、茶の湯は時の栞だと教えられるシーンです。

そこで感じたのは、戦国時代という度重なる戦で明日の暮らしもわからない日々においても、茶の湯を通じて、一期一会の瞬間や人との出会いを心に留めておきたいと人々は願っているのだということを。

また戦国時代とは今この瞬間に対するかけがえのなさや未来に対する不透明さの質は違うかもしれませんが、大量の情報に囲まれ、予測不可能なことがいつ起きるかわからない現代においても、その願いは、強く望まれるのではないか。

そして現代においては、写真を撮るということが一期一会の瞬間を心に留めておくことのできる栞のひとつではないかと。

栞というのは、読んだ本にはさんでおくと、後からでもすぐにその場所を参照することができます。同じように、日々思いがけなく流れていく毎日のなかで、写真を撮ることで、後からその瞬間を思い出したり、それを他の人と共有したりするきっかけにすることができます。


以前、一人旅で行ったロンドンの思い出を書きました。

10年前の旅を振り返るなかで、写真で記録する大切さを改めて感じました。

また写真や文章で記録する大切さを改めて感じました。10年以上も前のことにもかかわらず、写真を撮り、日記に残していることによって、こうして思い出を物語ることができるとともに、記録を振り返ることで、当時のことをはっきりと思い出すことができるからです。そのような過去の記憶は、今でも自分の心を豊かにしてくれます。


つまり自分にとって写真とは、過去の記憶を振り返る未来の自分に届けるためにやっているのかもしれません。写真を見返した自分がこの写真を撮ってよかったと思うような写真を撮ることができれば嬉しいです。それがひいては、自分の周りにいた人たちや、全くの他人でも自分と同じ境遇や思いの人にも伝われば、更に嬉しいと思います。

時折、写真を撮っていると、何を目的にやっているのかや自分の写真を見た人にどのように思ってほしいのかわからなくなり、漠然と撮ってしまうことがあります。

そういったときでも、こうして考えたことが、自分が写真を撮る上でのひとつの始発点にしていきたいです。


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