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補筆の試み

クラシック音楽界においては未完成作品を補筆する試みが行われています。

大体は作曲者死去により未完で作品が遺された場合が多く、シューベルト(1797~1828)のように途中で放棄してしまった作品も補筆を試みる場合があります。

この補筆した作品において一般的に成功したと認められているのは、モーツァルト(1756~1791)の『レクイエム』だと思います。

この作品はモーツァルト生涯最後に取り組んだ作品であり、1791年12月5日にこの世を去るまで作曲が続けられましたが、残念ながら完成することはできませんでした。

この作品は1曲目の入祭唱(Introitus)『レクイエム・エルテナム』のみがモーツァルト自身によってオーケストレーションまで施され、その後の曲は旋律と和声のみで、オーケストラはほとんど空白の状態で楽譜が遺されました。

モーツァルトの手で遺された部分のみを演奏した音源

 モーツァルトの死後、残された妻のコンスタンツェ(1762~1842)は収入を得るためにこの作品の完成を目指しました。最終的にはジュースマイアー(1766~1803)という人物に補筆を委ね、完成させることができました。

ジュースマイアーによる補筆完成版

完成当初からモーツァルト的ではないという批判もありましたが、モーツァルトのレクイエムを演奏する際はこの版による演奏が多いです。

旋律と和声のみのいわば虫食いの状態で遺されたこの作品を完成させ、人気作品に仕立てたことは評価されるべきだと思います。

※この作品はディエス・イレ(Dies iræ)(7:08~)という曲がよく知られています。
聞いたことがある方も多いでしょう。

このように補筆が成功した例もありますし、もちろん失敗とは言いませんがあまり世間に広がらなかった補筆もあります。

ブルックナー(1824~1896)の最後の作品である交響曲第9番ニ短調は第3楽章までが完全に遺され、第4楽章はソナタ形式再現部の第3主題部で筆が止まりました。再現部第3主題部まで来ていたということは、70~80%ぐらいは完成していたということです。

この作品は第4楽章の補筆が何度も行われていますが、どの版も先程のレクイエムのような知名度を持たずに終わってしまったというイメージが私の中であります。

現在でも完成した第3楽章までで演奏ストップすることがほとんどです。第4楽章まで演奏することは稀なのではないでしょうか。

またシューベルト未完成交響曲D759を補筆したものもあります。

第3楽章はオーケストラスコアのほんの一部と、ピアノスケッチが遺されているだけで第4楽章は一般的には手がかりがないということで認識されています。

一説では劇付随音楽『ロザムンデ』D797の間奏曲第1番がこの交響曲のフィナーレであると主張している者もいるみたいです。

根拠としては調性が同じロ短調、楽器編成が同じことを挙げているみたいですが真相はいまだ不明です。

第3楽章のスケルツォ主題は個人的には好きなのですが、展開が少し弱い気がします。悪く言ってしまえばスケルツォの部分はこの主題を転調しながら何度も執拗に演奏しているだけなので、音楽的な構成としてはあまり出来は良くない気がします。

やはりこの補筆も一般的に演奏されるまでの知名度をほこっておらず、現在でも第2楽章までの演奏がほとんどでしょう。
もしこの作品が第3、4楽章を含むもので遺されていたら今とは違う評価だったかもしれません。

ある程度の成功を収めた補筆作品として、ボロディン(1833~1887)のオペラ『イーゴリ公』(ダッタン人の踊りが有名)、マーラー(1860~1911)交響曲第10番嬰へ長調プッチーニ(1858~1924)のオペラ『トゥーランドット』などが有名でしょう。

イーゴリ公より『ダッタン人の踊り』

トゥーランドットより『誰も寝てはならぬ』

有名な旋律は1:07~から
トリノオリンピックで荒川静香さんが金メダルを獲得した時の曲ですね。

交響曲第10番嬰へ長調

マーラーのこの作品は第1楽章がほぼ清浄の状態で遺され、残りはスケッチで遺された状態でした。

第1楽章は補筆しなくても一応演奏はできるということで、国際グスタフ・マーラー協会が出版した全集は交響曲第10番に関しては第1楽章のみを収録しています。

補筆版ではデリック・クック(1919~1976)によるものが一般的に認知され、未完で遺されたこの作品を世に知らしめたことは大きな功績であると私は思っています。

個人的にこの作品がマーラーの手ですべて完成させられていたら、間違いなく傑作として遺るだろうなと思いました。彼の死によって完成させられることができなかったのは非常に残念です。

このように補筆が試みられている作品にはある程度成功したものと、世間一般に広がらなかったものもあり明と暗がはっきりしてしまうものもあります。

いずれブルックナーやシューベルトの補筆完成版が世に受け入れられる日が来ることがあるのでしょうか。

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