速度標語、発想標語の話
今日は速度標語と発想標語の話です。速度標語というのは、例えばAllgero、Andanteなど楽曲の大まかなテンポを伝える言葉たちで、発想標語というのは、例えばCantabile、Appasionatoなど楽曲の雰囲気、表現の仕方を示す言葉たちのことです。
これらの言葉はイタリア語から来ています。大体の作曲家はこれらの言葉を用いていますが、作曲者の自国の言葉を使っている場合もあります。例えばベートーヴェン、シューマン、ブルックナー、マーラーなどの作曲家はこれらの言葉に加えて、ドイツ語で指示を書いています。ドビュッシー、ラヴェルなどはAllegroなどの言葉を使うときもありますが、大体はフランス語で書いてある場合が多いです。
今回はイタリア語における速度標語と発想標語に重きを置いて話しますが、一般的に使われている意味と、実際の意味が異なっている言葉が、実は意外と多いのです。そこで、よく使われる言葉をピックアップしてこのお話を進めていこうかなと思います。
1 Largo、Lento、Adagio、は何が違うの?
遅いテンポを示す言葉としてよく使われるのがLargo、Lento、Adagioの3つが挙げられます。この中で、実は言葉通り「遅く」という意味を持つものは1つしかないのです。
それはどれなのか?
答えはLentoです。
この言葉のみが「遅く」という意味を持っているのです。
では残り2つの意味はなんのでしょうか?
オンライン辞書であるCambridge Dictionaryによると、
Largoは
幅広い(wide)
広い(broad)
ゆったりとした(loose)
などの意味を持ち、
Adagioは動詞のAdagiareからきており、
丁寧に敷く(to lay down with care)
という意味を持ちます。
この3つの単語はクラシック音楽においては「ゆったりとしたテンポで」という意味でまとめられていますが、実はこんなにも違いがあります。これらを頭に入れておけば、曲の解釈を更に深く踏み込んだ状態にすることができるかもしれません。
ちなみに、これに似たような言葉でLarghetto、Adagiettoというのがあります。これらは指小辞という接尾語が付いています。指小辞というのは名詞や形容詞にくっついて、「小さい」「かわいらしい」などの意味を付け加えることができるものです。つまりLarghettoは直訳すれば「小さいラルゴ」ということになるので、ラルゴよりかは速いテンポがとられます。同様に、Adagiettoもアダージョよりも速いテンポが設定されます。
イタリア語において指小辞は-etto,-etta,-inoがあり、先ほどの2つの言葉以外にも
Andantino
Allegretto
などが挙げられますね。
上はアンダンテより速く、下はアレグロより遅くという意味です。
小さい交響曲のことをSinfoniettaといいますが、これもイタリア語で交響曲の意味を持つSinfoniaに指小辞-ettaが付いた言葉になっています。
2 AndanteとModerato
Andanteは動詞のAndareが基になっています。意味は
行く(to go)
動く(to move)
といった意味を持っています。これも「歩くようなテンポ」でという意味からは少し違うような気がしますね。動いている動作は示しているものの、「歩く」という状態は含んでいないのですね。
Moderatoに関しては英語でも❝moderate❞という言葉があるように、「中ぐらいの」という意味をそのまま持っています。
3 Allegro、Vivace、Presto
Allegroは音楽においては「速く」という意味で伝えられていますが、元々は「速く」という意味を持っていません。元々の意味は
陽気な(cheerful)
歓喜(mirthful)
喜ばしい(joyous)
といった意味を持ちます。
Vivace、Prestoにおいては本来の意味も前者は「活発に」、後者は「急速に」となっています。
Cambridge Dictionaryで見てみると、
Vivaceは
生き生きと(lively)
動的な(dynamic)
エネルギッシュに(energetic)
Prestoは
急速に(quickly)
すぐに(soon)
短く(shortly)
といった意味を持っているようです。
4 似ている単語
似ている単語として、よく使われるのが
Ritardando
と
Rallentando
がありますね。
Ritardandoは動詞のRitardareから来ており、意味はそのまま
遅れている(to be late/delayed)
となっています。
一方、Rallentandoは動詞のRallentareから来ており、意味は
遅くする(to slow down)
減らす(to reduce)
などの意味を持っています。
Ritardandoは語源がラテン語のretardoで、この言葉は❝re❞と❝tardus❞という2つの言葉を組み合わせたものです。❝tardus❞は遅いという意味です。
Rallentandoは語源が❝ra❞と❝allentare❞という2つの言葉を組み合わせたものです。更に❝allentare❞は❝a❞と❝lento❞と❝are❞の3つを組み合わせた言葉です。見てわかるように遅いの意味を持つ❝lento❞が含まれていますね。❝allentare❞自身の意味は緩めるという意味です。
微妙なニュアンスの違いのレベルですが、これらを頭に入れておけば解釈も変わるかもしれませんね。
他にも
DecrescendoとDiminuendoも同じようなことが言えます。ここでは省きますが、興味がある方は是非調べてみてください。
5 時代によって意味が違う?
現在ではアレグロよりヴィヴァーチェの方が速いテンポをとっていることは皆さんもご存じの通りだと思います。しかし、このヴィヴァーチェは時代によってはアレグロより遅いものと認識されていたようです。
セバスティアン・ドゥ・ブロッサール(1655~1730)という人物が書いた音楽辞典(1703)には以下のように書かれています。
訳すとこのようになります。
意味自体はそれほど変わりはありませんが、テンポの速さはラルゴとアレグロの中間であり、アレグロ寄りの速さとなっています。この音楽辞典が書かれた1703年のあたりでは、ヴィヴァーチェはアレグロより遅いという認識だったのです。
この音楽辞典が作られた53年後、レオポルト・モーツァルト(1719~1787)は息子ヴォルフガンク(1756~1791)が生まれた1756年に『ヴァイオリン奏法』という本を書いています。そこでいくつかの速度標語、発想標語について言及しています。
この本でヴィヴァーチェについてはこのように述べています。
1756年になってもヴィヴァーチェは「早いか遅いかの中間」と記されており、この頃でもまだアレグロより速くはなかったようです。
変化の兆しがあったのはジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)が1767年に書き上げた音楽辞典にヴィヴァーチェはこう説明されています。
ここで「素早く」という言葉が出てきます。この頃からヴィヴァーチェという言葉に変化があったような動きがみられています。
このように現在の意味とは異なった意味で使われていた時代が存在しています。その当時の作品を演奏するうえで重要な参考資料となるでしょう。これらにより解釈をより深めることができます。
これと同じようにアンダンテに関しても時代によって異なる解釈をされています。
このように3人のアンダンテにおけるそれぞれの解説は異なっています。これは時代によってアンダンテの意味が移り変わっていくのを読み取ることができます。
今回紹介したように、時代によって現在使われている意味とは全く違う意味であった場合があります。しかし、これらを調べることによって、その時代の作品を演奏する際に解釈において重要な参考資料となります。興味ある方は是非それぞれ調べてみてください。
レオポルト・モーツァルトの『ヴァイオリン奏法』は日本語訳もあるので、興味ある方は購入してみてください。
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