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作曲家の最後の作品

今回は作曲家の最後の作品を紹介します。最後の作品、となると作曲家それぞれの作曲技法が成熟しきったころに書かれているので、作曲家の個性が十分に感じられることができます。ここでは明確に最後の作品であるという事実があるものだけを取り上げます。では、早速見ていきましょう。

1 モーツァルト

モーツァルト(1756~1791)の最後の作品となったのが、あのレクイエムです。これはモーツァルト自身の手では完成できず1791年12月5日にこの世を去りました。残された草稿を基に、弟子のジュースマイヤー(1766~1803)が補筆完成しました。大体の演奏ではこのジュースマイヤー版が用いられます。弟子による補筆完成作品といえどもこの作品は3大レクイエムのひとつとしての知名度を誇り、他のヴェルディ(1813~1901)フォーレ(1845~1924)の作品と共に親しまれています。

この作品は使用される楽器が独特で、木管楽器がファゴット、バセットホルンのみで、金管楽器もホルンが用いられず、トランペット、トロンボーンを使用しているという点です。明るい音色の楽器であるフルートやオーボエを使用せずにくすんだ音色のバセットホルン(クラリネット属の楽器)を用いています。残りの楽器は混声4部合唱ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱ティンパニ弦楽器です。モーツァルトが完成させることができたのは1:19~からの第1曲目「永遠の安息を(Reqiuem aeternam)」のみでした。そのあとは主旋律や和声などを書き記しただけとなります。モーツァルトが書き残したのは第8曲目「涙の日(Lacrymosa)」の22:49~23:33の部分です。この部分が絶筆とされています。といっても順番に作曲されていたわけではないので、これ以降もいくつかの曲の主旋律、和声はモーツァルトのものによります。

モーツァルト自身が記した部分だけを演奏したものもありますので、参考程度に聞いてみてください。

2 ベートーヴェン

ベートーヴェン(1770~1827)は交響曲第9番を作曲した後は弦楽四重奏曲に関心が移り、後期弦楽四重奏曲と呼ばれる大作を幾つも遺しました。12番から16番まで弦楽四重奏曲が後期の弦楽四重奏曲となります。そんな中で最後に作曲したのが弦楽四重奏曲第13番の終楽章といわれています。これはもともと弦楽四重奏曲第13番の終楽章には大フーガと呼ばれているものが置かれていましたが、大フーガが難解な曲というのもあり、出版に当たりフィナーレを書き直しました。この書き直したフィナーレがベートーヴェン最後の作品と呼ばれています。

そして大フーガは切り取られ独立した作品として出版されました。

まとまった作品としては弦楽四重奏曲第16番が完成された最後の作品となります。

他にも10番目の交響曲の構想も練っていたそうですが、完成することなく1827年3月26日に亡くなりました。

3 ショパン

ショパン(1810~1849)の最後の作品とされているのがマズルカヘ短調Op68‐4です。ショパンは1846年~1848年頃に舟歌Op60幻想ポロネーズOp613つのワルツOp64(有名な子犬のワルツを含む)、チェロソナタOp65などを作曲して以降は作曲活動が低調になっていきます。自身の病気、当時付き合っていたジョルジュ・サンド(1804~1876)との別れなど、肉体的にも、精神的にも疲労していたのです。イギリスへ演奏旅行なども行いましたが、かえって体調を悪化させてしまい、そして1849年10月17日にこの世を去ります。そしてこのマズルカは死の年である1849年に書かれたとされており、清浄譜ではなくスケッチの段階であったため、トリオの部分が解読困難となっていました。なので遺作として出版された際はトリオの部分が省略されていましたが、現在ではトリオの部分も復元されています。

ヘ短調ではありますが、冒頭の左手の和音は半音ずつ下がっていき調性がかなりぼかされています。曲には活力が無く、諦めのような感情が含まれているような気がします。最後の作品がショパンの故郷、ポーランドの舞曲であるマズルカであるのも、何かの因縁でしょうか。

4 ブルックナー

ブルックナー(1824~1896)の最後の作品となったのが、交響曲第9番です。この作品の作曲をしている途中で、彼は旧作の改訂を始めます。しかし当時のブルックナーの病状が悪化し、完成できないことを予期したのか、未完成の場合は最後にテ・デウムを演奏するようにと指示します。そして、最期までこの作品と向き合っていましたが、ついに完成することはなく1896年10月11日にこの世を去りました。現在では完成した第3楽章までが演奏されます。第4楽章の補筆もありますが、後述するマーラーの交響曲第10番に比べたら、補筆込みの演奏は少なく第3楽章までの演奏が多いような気がします。第9番という番号付け、調性もニ短調を選択しており、ベートーヴェンの第九を意識していたのかもしれません。ブルックナーの交響曲は大規模な作品がほとんどで、この作品も未完成ながら演奏時間約1時間かかる大作です。

5 チャイコフスキー

チャイコフスキー(1840~1893)の最後の作品となったのが、交響曲第6番です。『悲愴』と題されたこの作品は終楽章が緩徐楽章という当時としては独創的な構成を持っています。終わり方があまりにも暗く終わってしまうので、初演時の評判はよくありませんでしたがチャイコフスキーはこの作品に揺るぎない自信を持っていました。しかしこの作品の初演のわずか9日後、チャイコフスキーは1893年11月6日に亡くなってしまいました。結果的にチャイコフスキー最後の作品となってしまいましたが、現在ではチャイコフスキーの作品全体の中でも人気のある作品となっています。

6 マーラー

マーラー(1860~1911)の最後の作品は交響曲第10番です。交響曲第9番完成後、第10番の作曲に取り掛かりましたが、死の前年で放置され、その後は演奏活動にいそしみます。しかし、その後体調を悪化させ再び交響曲第10番に取り掛かることはなく1911年5月18日に亡くなりました。亡くなった時点で交響曲第10番は第1楽章はオーケストレーションに薄い部分はあるものの、なんとか完成までたどり着いており、残りの楽章は一部がオーケストレーションが施され、その他は4段譜表、5段譜表によるスケッチで残されました。現在ではなんとか完成されている第1楽章のみの演奏や、デリック・クック(1919~1976)による補筆完成版が演奏されます。個人的にはこの作品がマーラーの手によって完成されていたら、間違いなく名作になっていたと思います。5楽章構成で両端楽章は緩徐楽章、2楽章、4楽章にはスケルツォを配置し、3楽章にはプルガトリオ(煉獄)と題された短い楽章を置いています。補筆完成版は演奏時間約80分です。

7 ドビュッシー

ドビュッシー(1862~1918)の最後の作品がヴァイオリンソナタです。晩年ドビュッシーは様々な楽器を用いて6つのソナタを作ることを考えていました。しかし、完成できたのが3作品でその内の1つでもあるこのヴァイオリンソナタがドビュッシーの完成された最後の作品となりました。当時癌に侵されていたドビュッシーは死の前年1917年になんとかこの作品を完成、自らの手で初演することまではできましたが、これが公に姿を現した最後の機会となり、1918年3月25日にこの世を去ります。ソナタ作品としては演奏時間15分と短めではありますが、ドビュッシーの作曲技法がこれでもかとつぎ込まれている作品だと思います。

8 ラヴェル

ラヴェル(1875~1937)は1917年、母親の死をきっかけに創作意欲が極端に低下します。その後は数作しか遺しませんでしたが、ボレロ、ラ・ヴァルス、ピアノ協奏曲(左手、ト長調の2作品)など現在でもよく演奏されるものばかりです。そんな中、彼の最後の作品となったのがドゥルネシア姫に心寄せるドン・キホーテという3曲から成る連作歌曲です。『ドン・キホーテ』という映画のために作られた作品ですが、この作品を最後にラヴェルは脳疾患により新たに作曲することができなくなり、1937年12月28日に亡くなりました。3曲通しても6~7分ぐらいの短い曲集で、オーケストラ伴奏版、ピアノ伴奏版のどちらも遺されています。バリトン独唱です。

ピアノ伴奏版

オーケストラ伴奏版

9 バルトーク

ハンガリーの作曲家バルトーク(1881~1945)が最後に手掛けていたのが、ピアノ協奏曲第3番ヴィオラ協奏曲です。ヴィオラ協奏曲は草稿の段階で終わってしまい、ピアノ協奏曲第3番は残り数小節というところで作業が中断してしまい、1945年9月26日にこの世を去ります。未完成で終わってしまった作品ですが、自身の手で完成できなかった部分も指示を残していたそうで、シェルイ(1901~1978)によって補筆完成されました。このピアノ協奏曲第3番は前の1番、2番に比べて和声がわかりやすく作曲されています。しかし、バルトークのピアノ協奏曲は演奏に関しては高い技術が求められており、この作品も例外ではありません。

10 プロコフィエフ

プロコフィエフ(1891~1953)の最後の作品となったのが、ピアノソナタ第5番の改訂版です。プロコフィエフは過去作を改作し、完成した場合は新しく作品番号をつけていました。このピアノソナタ第5番の他にも交響曲第4番やチェロ協奏曲も改作されたときに新たな作品番号が振られています。しかし、完全な新作として最後に完成されたのが死の前年に作られた交響曲第7番です。尖った響きの多い作風のプロコフィエフですが、この作品ではあまり複雑な和声を用いられず、明快な旋律とわかりやすい和声が特徴です。本当に1950年代の作品なのかと疑うくらい綺麗な作品です。個人的には第3楽章がオススメです。この作品の後も、チェロ小協奏曲、ピアノソナタ第10番、交響曲第2番の改訂なども考えていたようですが、どれも実現することはなく、1953年3月5日、あのスターリンと同じ日にこの世を去ります。

11 終わりに

今回紹介したのはほんの一部ですが、作曲家最後の作品というのは、作曲家の作曲技法が成熟しきった頃に作られていますから、作曲家の個性を強く感じられます。他の作曲家の作品も気になった方は調べてみてください。

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