見出し画像

旅をするにあたって一番大事なことはお金ではない。〜イスタンブールからドゥブロブニクへ〜

僕よりもお金を持っている人は、この地球上にどのくらいいるのだろうか。多分60億人くらいいると思う。でも旅をするにあたって一番必要なものは、お金ではない、健康だ。

僕たちが生きるこの21世紀は、大移動時代になった。それは、LCCというものが誕生し、今までお金持ちしか行くことができなかった海の向こうに安価で誰でも行けるようになったからだ。
僕は今クロアチアのドゥブロヴニクにいて、これからイタリアのローマに行くのだが、飛行機のチケットは片道4000円だ。スカイスキャナーを見てみると、別日だと最安値は1480円だった。旅をすることに、お金は言い訳にはならない。旅をするにあたって一番大事なことは健康であるということであり、健康でなければ、美味しいものも美味しいと思えないし、楽しいことも楽しむことができない。そして健康はお金では買えないものだ。


ドゥブロヴニク旧市街の風景

僕はまだ四半世紀と少ししか生きていない。だから自分がどういう人間なのか、まだ分からない。平凡な生き物かもしれないし、もしかすると珍獣かもしれない。珍獣が自分のことを珍獣だと理解することがとても難しいように、僕が自分でどんな人間なのかを理解するのは、なかなか難しい。
でも最近になって、少しだけ自分の特徴が分かったような気がする。僕という人間は、少しだけ多動症なのかもしれない。


僕はじっとしながら歯を磨くことができない。歯を磨き始めると、頭はすぐ違う世界へ行ってしまう。ときには何かを思いつき、歯ブラシを持ったまま全然違うことを始めてしまうこともある。それに、1週間以上同じ場所にいることが苦痛に感じる。

現代社会では、そういう人間が馴染める場所はほとんどない。僕は10代の頃から、自分と社会のギャップに悩んできた。僕が高校生になったとき、社会で生きていく為に必要な力というようなものを、先生から色々と教えられた。でも僕はその教えが、現代社会の奴隷育成プログラムのようにしか思えてならなかった。

なぜ年上の人間が偉いのか、なぜ先生の言うことが正解なのか、なぜ毎日同じ場所に通わなければならないのか、なぜ就職しないといけないのか、なぜ楽しそうにしていたら怒られるのか、僕には全く理解ができなかった。
そうは言っても、僕にはそれに対抗するほどの力や知識を持っていたわけでもなく、唯一できることは、周りの人間とは違う道に進むことだけだった。正解は分からないけれど、自分が嫌だと思うことだけは分かっていたということだ。

友人らが大学を卒業し就職し始めた頃、僕は生まれ育った場所へ戻り、中学生や高校生の頃の友人らと再会した。そこで僕が、高校を卒業してからどういう生活をしているのかを話すと、友人らこんなことを言われた。

「お前が40歳とか50歳になったとき、俺らは今の会社で部長クラスになっていると思う。そうなったら収入の格差がお前と俺らには多分あって、そのせいで一緒に遊べなくなるかもしれない。」

その友人らが今どうなったかを言う。全員、就職した会社を辞めた。まぁ僕はそうなることを分かっていたのだが。


時代は変わってゆく。僕たち人間も変わっていかなければならない。
僕が学生だった頃に比べると、僕みたいな人間が楽しく生きていくことが少しずつ簡単になってきたと思う。でもまだ、僕は自分と社会との違いに苦しんでいる。旅を終えた後、どういう生き方をしようかと毎日考える。もっと社会に適合できる人間だったら楽だったのになぁと思うこともたまにあるが、そんなことを思ったところで何の意味もない。僕はそういうことができないようにプログラムされた人間だからだ。でも僕がこの地球に生まれたことには、何かしらの意味があると、僕は思っている。人ができることは僕にはできないけれど、人ができないことは、僕にはできるかもしれない。

そんなことを考えていると、一つ分かったことがある。僕がなぜ旅をするのか。それは、この得体の知れない自分という人間が、一体どういう生き物なのかを知るためだ。

旅をしていると心が動く瞬間がたくさんある。心が動くその瞬間こそ、自分を知るためのチャンスだ。自分は何に感動するのか、自分は何が嫌いなのか。

ドゥブロヴニクはとても綺麗な街だ。この街の悲しい歴史があったからこそ、今のドゥブロヴニクがあるんだなと思う。そんなドゥブロヴニクでは、たくさんの欧米人らがバケーションを楽しんでいる。みんなとても楽しそうで、その姿を見ているだけで幸せな気分になれる。




そんなドゥブロヴニクの旧市街を眺めながら、僕は一人静かな夜道を歩き、ホテルへ向かっていた。途中、僕の頭上から小さな声が聞こえた。声が聞こえた方向を見ると、男性と女性が椅子に向かい合いながら座り、ワイングラスを片手に静かに会話をしている。僕はその光景を見たとき、この街で過ごした時間の中で、一番心が動いたことに気がついた。ドゥブロヴニクの綺麗な街のおしゃれなレストランで楽しく過ごすのもいいけれど、僕はこういう静かな過ごし方を求めているのかもしれない。でも僕は、それとは対極にある生活をしている。困ったものだなぁ。

自分は何者なのか、自分はどんな生き物なのか、旅をすればするほど分からなくなってきた。それでも僕はまだ旅を続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?