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バンクーバー留学記#5 〜別れ〜


「日本に帰る」なんて言うと、スタントマンと男は僕に何て言うだろうかと少し不安はあったが、二人は、
「そうか。お前がそう決めたならそれでいい。」
と笑顔で言ってくれた。

「それで、日本に帰って何をやるんだ?また日本で俳優やるのか?」

「何も決めてません。」

「そうか。」

「とりあえず最後にフリッツ行くか。」

フリッツとは、カナダの伝統料理である「プーティーン」のお店である。「プーティン」は、簡単に言うと、ポテトにグレービーソースをかけた食べ物なのだが、これがあまり美味しくない。美味しくないと言うと少し語弊があるかもしれない。僕にとってはあまり美味しくない食べ物なのだ。だがこのフリッツというお店だけは違う。ここのプーティーンはものすごく美味しい。他のお店とは何が違うのかは分からない。でもなぜかこのお店のプーティーンは本当に美味しいのだ。

フリッツは、スタントマンと男に紹介してもらったお店で、ここのプーティーンを食べるときは、必ずお店の横にあるちょっとしたスペースに座って食べるのが、「二人の伝統」なのだと教えてもらった。ちなみにスペースとは路上であり、たくさんの車が行き交う大通り沿いの路上で食べるのだから、通りゆく人間たちは僕らを「変な奴ら」か、「ホームレス」だと思っている。その証拠に、通りがかった人からたまにコインをもらうのだ。あぁ面白い。
スタントマンと男が二人で初めて食べたものが、
ここフリッツのプーティーンだったそうだ。
そのとき、路上に座ることにお互いなんの抵抗もなかったことから仲が一気に縮まったのだと二人は言う。僕も初めて二人にここへ連れられたとき、路上に座ることになんの抵抗も示さなかったから二人と仲良くなれたのかもしれない。後に何人か一緒にここへ来たが、誰一人路上に座る人間はいなかった。
でもそれが普通なのだ。

「始まりもここだったな。」
男はプーティーンを一口食べた後、言った。

「あぁそうだったな、ここで夢の話ししてたもんな。」
スタントマンが一口食べた後に言った。

「でも本当に叶ったな。あの頃言ってたことが。」

「うん。」

「どんなに成功してもここに座ってプーティーン食べようって二人で約束したんだ。」
スタントマンは僕にそう言った。

「素敵ですね。ここを通る人たちはみんな、ここに座っている変な奴らがハリウッドで活躍している人間だなんて思ってないでしょうね。なんか面白いです。」

「それがいいんだよ。俺ら、初めてハリウッドの仕事を手にしたときは浮かれちゃってね。急に大量のお金も手に入ったし、無駄なことに使って派手に遊んでたんだよ。でも色々失敗してね。人間ってちょっと成功するとすぐ浮かれちゃう。その成功を自慢したいし、欲望を満たせるところまで満たしたいし。でもどんなに成功しても初心を忘れた瞬間に終わりだと思う。」

「どのくらいお金手に入ったんですか?」

「コンドミニアムに住んで、車買って、毎日ステーキ食べて、気が向いたら日帰りでロサンゼルス行って、それでも余るから、そのとき知り合った女の子に新発売のi phone とかティファニーとか買ってあげたりしてたかな。それくらい。」

「楽しそうですね。」

「正直言うと、今こうやってここに座ってプーティーン食べてるほうが俺は楽しいかな。まぁ結局俺はそういう人間なのかもしれないな。」

「またここで、この三人でフリッツのプーティーン食べたいです。」

「いつかできるよ。」

「そのときは僕も、「こんな路上で座って食べてるけど、日本だと本当はすごいんだぞ」って思ってたいです。」

「絶対になれるよ。」

僕は最後の一口を食べ終えた。
男は、僕たち二人の会話を黙って遠くを見つめながら聞いていた。

日本に帰国する前日、僕はスタントマンの家でホームパーティーを開くことにした。そこにはバンクーバーで出会った全ての人に来てもらいたかった。だから僕は連絡先を知っているほぼ全員を招待した。結果、
そのパーティーには20人以上ものバンクーバーで知り合った人たちが来てくれて、「僕はこんなにもたくさんの人間と知り合っていたのだな」と少し驚いた。
ホームパーティーの準備は、スタントマンや男、そしてスタントマンの家に最近よく遊びに来ていた、スタントマンがイングリッシュベイでナンパした女の子とその友達に手伝ってもらい、無事開催することができた。語学学校の友達やラーメン屋のバイト仲間もたくさん来てくれて、たくさんの話しをした。僕はこういったたくさん人が集まる場所があまり好きではなかったから、パーティーなんてものに参加し始めたのは、バンクーバーに来てからだった。
「海外生活は、週末になったらホームパーティーに行って過ごす」と事前に聞かされてはいたが、それは
本当にその通りで、誰かが何かしらのパーティーを開き、そんなパーティーに毎週のように誘われ、僕も誘われたうちの2回に1回くらいは参加するようにしていた。でも参加していつも思うことは、「刹那的でどこか寂しい」という気持ちだった。だからこそ、パーティーを開くのであれば、来てくれた人達にそんな思いをさせたくないと思って、色々と工夫をしてみたつもりのパーティーだった。結果はどうだったかは分からないが、パーティーが終わった後、片付けを手伝ってくれたスタントマンや女の子が、「いいパーティーだったね。」と言ってくれたことが、僕は何よりも嬉しかった。僕はこのパーティーを開いたことで気づいたことがある。それは、
「みんな日々苦しみ、何かを変えようと必死に生きている」ということだった。苦しいのは自分だけじゃない。みんな何かに苦しみ、その苦しみから少しの間だけでも解放してくれる何かを常に求めている。苦しみだけだと生きていけない。その苦しみを開放してくれる何かがあるからこそ、そこに希望を持ち、苦しいことに耐えることができる。それは何かを創ることかもしれない。人と会って話すことかもしれない。遊ぶことかもしれない。人によってそれは違う。僕は、
「夢に向かって何かをしなければならない」
とだけ思って、今まで生きてきた。そしてそのせいで苦しんだ。でも、「目の前にいる人達を楽しませることも楽しいもんだな」と、この日思った。今まで遠い遠いどこかばかりを見ていて、足元にあるものを全く見ようとしていなかった。こんなにも個性豊かで面白い人たちが僕の目の前にいたことに全く気づいていなかった。こんなにもたくさんの人が僕のことを受け入れてくれていたのだ。そんな人たちがすぐ目の前にいたのに、僕は自分の心ばかりに目を向けて、そして自分の世界だけで落ち込み、苦しみ、それがこの世の全てだと思い込んでいた。世界にはたくさんの人がいて、その人たちと関わり、ともに楽しみ、苦しみ、分かち合うことが人生を楽しむことなのではないだろうか。夢を持って、夢に向かうことが悪いわけではない。その道のりにはたくさんの、綺麗な芝生が生えた場所があるのだ。そして自分の歩みを助けてくれる枝もあれば、冷たくて美味しい湧水もある。それを無視する人生は、豊かな人生とは言えない。これからも苦しい日々が続くだろう。海外に行けば幸せになれるなんて大間違いだ。どこに住んだって同じなのだ。夢の楽園なんてものはこの世に存在しない。どこへ行こうが、何をしようが、結局全てup to you なのだ。面白い人生、楽しい人生、後悔しない人生は自分で創るしかない。
Do something amazing everyday.
何かをすることで毎日が楽しくなる。今自分ができること、目の前にいる誰かを助けてあげること、そして目の前にいる人間と分かち合うこと、これがもしかすると幸せな人生であり、僕が求めている生き方なのかもしれない。

パーティーが終わった後、スタントマンの家のベランダで僕は一人、トニックウォーターを飲みながら、そう思った。


バンクーバー国際空港までは、スタントマンが愛車の黄色のミニクーパーで送ってくれた。後ろには男が乗っている。僕のバンクーバー生活はこの二人から始まり、この二人で終わるのだ。スタントマンは僕に、
「何か聞きたい曲はある?」と聞いた。
僕は、
「Summer でお願いします。」と言った。
ピアノの音ともに、あの日のイングリッシュベイでの記憶が蘇る。僕がバンクーバーで一番愛した綺麗な夕日が蘇る。僕はこのとき、ここを去ることに何の後悔もしていなかった。自分が決めたことだから後悔はしない。やるべきことは前に進むことであり、自分の決断を良い決断だったと思える未来を歩むことだけだった。毎日見ていたバンクーバーの景色が急に愛おしく感じる。次いつここに戻ってくるかも分からないし、もう一生戻ってこないのかもしれない。そう思うと、急に愛おしくなるのも仕方がないことなのかもしれない。

車の中で僕たちはほとんど会話をすることはなかった。僕は、この二人と別れることがとても寂しかった。こんなにも新しい世界を見せてくれた人間は未だかつて出会ったことがなかった。今でも、いつでも、あの日スタントマンと出会った記憶を思い出すことができる。後ろに座っている男と出会った日のことも鮮明に覚えている。人間の記憶というのは、何か衝撃的なものを見たときから始まるらしい。僕の記憶が始まったのは、4歳の頃、保育園での昼食の時間に、自分の食べ方が他の子よりも汚いことを気づき、恥ずかしいと思った頃からだ。この二人と出会ったときの記憶はそれに近いものがある。一生忘れることはない。
なぜなら、この二人と出会った瞬間から新しい自分が生まれて、ここから全てが始まろうとしているからだ。それはなぜそう思うのかと聞かれても、
そう思うからとしか答えられない。

バンクーバー国際空港に到着した僕は、足早にチェックインカウンターに向かった。機械でチェックインを済ませ、僕はスタントマンと男が座るテーブルに向かった。まだ少し時間はある。最後に何か話そうと椅子に座ったが、車の中からほとんど話していなかった僕たちは、このテーブルに座っても同じだった。

僕は3日前に男と二人で、ソルトスプリング島という、バンクーバーから船で1時間ほどの場所にある島へ旅に出かけていた。その島では独自の通貨が存在していて、その通貨の100ドル札はなんと日本人なのだ。
そんな日本人にも馴染みがある不思議な島への旅は、「人間の優しさ」と「日常のささやかな幸せ」を学ぶことができた貴重な旅になった。その旅の途中で、男が僕に買ってくれた一冊のノートがある。そのノートは文庫本と同じ大きさの、木目のような表紙デザインで、中身は真っ白な、作り手のこだわりがしっかりと詰まったノートだった。男は僕に、
「このノートに、これから出会う人間に一言ずつ書いてもらいな。」と言い、そのノートを僕に渡してくれた。僕はこの二人と別れるときに、このノートに一言ずつ書いてもらおうと思っていた。そしてそのノートを机の上に開き、
「ここに一言ずつ書いてもらえますか?」と二人に言った。

まず男がそのノートのなぜか一番後ろに何かを書き、その後スタントマンが一番手前に何かを書いた。僕はその場ではあえて書いた内容を見ないようにした。
「そろそろ行きます。」と僕は言い、手荷物を持って立ち上がった。
「元気でな。」と男は言った。
スタントマンは、
「まぁまた会えるよ。いつでも帰ってきていいからね。」と言った。
僕は色々な気持ちを抑え、
「ありがとうございます。」とだけ言い、それ以降
振り返らず、ゲートの中へと入っていった。

機体は急加速し、バンクーバー国際空港から離陸した。少し高度を上げたところで、飛行機が迂回をする。その瞬間、僕の目の前には、バンクーバーの街が広がっている。
この街で僕は何ができただろうか。正直言って何もできていない。本当に何もできていない。僕は実力不足だった。大きな夢を抱き、自分なら必ず出来ると思っていた。でも現実は甘くなかった。僕よりもっともっと努力している人間たちがたくさんいた。
「自分は人とは違っていて、特別な人間なんだ。」
誰もがこんなふうに思っていたことが、一度はあるのではないだろうか。
僕もそんな人間の一人だった。でもそれは、ある意味では正解で、ある意味では不正解だ。人間は一人一人違う。そういう意味では他の人間とは違う、特別な存在なのだ。でも特別な才能や運を持った、他の人間とは違う人間なんて存在しない。もしかすると地球にはそういう人間もいるのかもしれない。でも自分自身に対しては、そう思わないほうがいい。自分の人生は、自分の行動で創りあげるもの。人間は誰かを助け、誰かに助けられ生きていく。だから、ときには誰かの力に助けられる瞬間がある。でもそこには、「自分の人生は必ず自分で創る」という気持ちがなければならない。その気持ちが人を動かし、この世の全てを動かす。僕はバンクーバーで出会った人間を見て、そう確信した。日本に帰ったら、またゼロから自分で新しい人生を創りあげよう。実力不足だったなら実力をつければいい。何も決まってないなら何でも決めればいい。誰もいないなら誰かを助ければいい。スタントマンや男のようにはなれないかもしれない。でも、それがたとえどんなに小さなことだったとしても、自分ができることをやればいい。いや、そうやって一歩ずつ小さく歩いていくしかない。その小さな一歩が、
もしかすると遠い遥か彼方にある大きな何かを見ることができる場所に辿りつけるかもしれない。そう信じて、小さく一歩ずつ歩いていこう。「夢を諦めた男」「挫折した男」と日本に帰ったら呼ばれるかもしれない。それでもいい。僕は気にしない。ここで夢を諦めたこと、ここで挫折したことをサクセスストーリーの始まりにすればいい。まだ何も終わっていない。
これから全てが始まるのだ。

機体が安定し、シートベルト着用のサインが消えた。僕はノートを取り出した。そのノートの最初と最後のページにはこう書いてあった。


「まぁコーヒーでも飲みなよ。だいじょうぶ、明るい未来にかんぱい。」

「Remember 安定→自分を安く定める りょうまは自分を安く定めるな。」


Ryoma


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