【後編】バブル崩壊からパンデミック時代を生きる老舗旅館の15代目のこれまでとこれから
こんにちは。おかげさまでこのマガジンも後編へ。
理由なき封建主義が地域を停滞させる
様々なイベントを立て続けに開催して温泉街や行政との関わりが増えてきました。それに伴い気になり始めたのが「年功序列」「先輩後輩関係」。小学校、中学校や部活の先輩後輩の関係性がそのまま大人になり"おじいちゃん"になっても続いている地域は絶望しか感じません。年上なだけで偉くはないしマウンティングされる理由はない。
もちろん人生の先輩として敬うことは必要です。しかし、仕事や町の事業に置いてそれぞれの会社や家族の代表として社会に出ている場合は年齢や性別関係なく横並びであるべきでないか。年功序列、学生時代から続く関係性でマウンティングする、マウンティングされる「理由なき封建主義」的文化に私は今でも疑問を持っています。刷り込まれた年功序列文化は軍隊のように同じ方向を向いて突き進んだ高度経済成長時代ではうまく作用したのかもしれないけど、かつて"Japan as No.1"と言われた日本経済は気が付けばアメリカの若い起業家たち(GAFAM)に完全に席巻された。年功序列のトップダウン型の限界は日本の企業だけでなく地域においても当てはまるのかもしれない。
年取っているからダメ、若いから良いではない。年齢関係なく、それぞれ横並びの立場で双方向にコミュニケーションを取れる能力と練習が足りていない。私自身も含めて。
ビートルズになりたい
私が今までやってきたこと、これからやりたいことは多分・・
理由なき封建主義的社会をビートルズ的なやり方で変えていきたい
これに尽きるかも知れない。
ここでいう「ビートルズ的」とは仲間と楽しみながらにこれまでの常識を変えていくこと。「楽しい」は停滞した雰囲気を変えるには最適な武器だと信じています。実際にビートルズは暴力ではなく歌で社会の一部を変えることができました。
実はスリッパ温泉卓球もゲリラ的に「楽しい」を武器にこれまでの多額の予算をかけてやってきた町のイベントへのカウンターパンチでもあったのです。
外の血をいれる
時代を2013年に戻します。
その時期から市外の面白いことやっている方々に会いに行ったりお声掛け頂いたりする機会が出てきました。
2013年9月に佐賀市にあるシアターシエマで行われた「C-revoミーティング」に参加し、この時に出会ったのがOpenAの馬場さん。東京R不動産は東京に住んでいた時からウェブ見ていてその方が佐賀出身と知り驚きました。懇親会で仲良くなり、それから嬉野に関わってくれるようになって「賑わいラボ」という年齢や業種を問わない「町のアイディアソン」の時間を作りました。
賑わいラボでも色々やりましたが、主に公共空間を面白く使っていこうということで、橋の上をBARにしたり、温泉公園をハンモック公園にしたりと様々な実験を繰り返していきました。
その後、嬉野温泉商店街にある交流センターのリノベーションをOpenAが手掛けハード面だけなくソフト面で人とモノをつなげる人材が必要だということで嬉野に移住してきたのが鈴木暁子という"究極のお節介お姉さん"でした。
鈴木さんは嬉野交流センターの店長として嬉野に移住。プロジェクトのために何回か来る人ではなく住みながら「外の血」として嬉野内で駆け巡りネイティブ嬉野民ではできない動きを色々と起こしてくれました。その功績は多々ありますが、大きく花開いた一つが「嬉野茶時」です。
知っているようで知らない世界
嬉野には旅館や茶畑など素晴らしい人や場所たくさんあるのに住んでいる私たちがお互いを「知っているようで知らない」ことがもったいないとよく鈴木さんは言っていました。
素敵な旅館の近くに住んでいるのに入ったことがない。素晴らしい茶畑の景色があるのに旅館で働いている人たちが知らないし道も分からない。ゲストを連れて自分のテリトリー以外の地元をアテンドもできない。
そんな話をしながら私と引き合わせてくれたのが和多屋別荘3代目の小原嘉元さん。それまで何度かお話ししたことある程度でしたが、鈴木さんを含む3人で定例会(嘉元さんの地元に対するリハビリ会)を始めたことで異業種の人たちとの関わりが生まれたり、嬉野の未来を考え合うようになりました。
小原嘉元さんのこれまでのお話は以下の記事をご覧ください。
嬉野茶時のはじまり
嬉野茶時の始まりのきっかけは2016年に有田焼400周年事業の一環で同じ窯業圏である肥前吉田焼のPRする案件があり市役所職員が嘉元さんに相談したところから始まりました。初回メンバーの選定はもちろん鈴木暁子さん。
そうやって始まったのが「うれしの晩夏」というイベントです。
嬉野の3大産業である「宿」「お茶」「焼物」をこれまでにない解釈で表現しようという思いで始まったこのイベント。5月から動き出し8月の終わりまでみんなの頭で考え動き、自分たち自身もプロジェクトに陶酔しました。これまでにないものが始まるワクワク感は今でも忘れることができません。
うれしの晩夏は3つのイベントで構成しました。
嬉野晩餐会
最終日の昼と夜に開催される1日限定の「嬉野晩餐会」
嬉野出身の鮨職人「木島英太朗」の鮨をメインとした食事
器は肥前吉田焼224の「辻諭」
お茶は孤高の茶農家「松尾俊一」
会場となるのは和多屋別荘、日本伝統建築の空間「洗心の間」
嬉野茶寮
茶生産者による喫茶&BARとして企画したの嬉野茶寮。土づくりから茶の栽培、収穫して製茶するこれまでの生産行動以上に、ゲストと対話し茶をサーブし提供するまで一貫して茶生産者が行うことがコンセプト。期間中は1日に25席が6回転するほどの盛況ぶりでした。
吉田焼ミュージアム
「吉田焼ミュージアム」は舞台となる旅館内に特別開設する吉田焼を使用したアート空間。ディレクションは自身の旅館を舞台に数々のアート空間を創造してきた和多屋別荘の小原嘉元。400年を越える肥前吉田焼の歴史・文化を紹介。
「うれしの晩夏」は1回限りのイベントとして開催しましたが、予想以上の反響と我々自身もこのイベントは続けたいという思いになりました。
そして、我々はイベントだけなく嬉野の3大産業を次世代へ繋げる「嬉野茶時」としてプロジェクトを続け、さらには「Tea Tourism」というプロジェクトに発展していきます。
Tea Tourism
嬉野には歴史伝統文化である3つの産業があります。嬉野茶時のTea Tourismはその原点を見つめ直し、普遍的価値を再編集しようというプロジェクト。
嬉野温泉は肥前国風土記(713年)に記載があり1300年以上この地に日本三大美肌の湯と称される質の高い温泉が湧き出ています。
嬉野茶は中国から茶の栽培が伝わって500年以上、嬉野市の山間部を中心に質の高いお茶が栽培され続けています。
肥前吉田焼は広義で言うと有田焼と同じ窯業圏としての歴史を辿っており400年以上の歴史があります。
この何百年も続く文化が今でも同じ町の中で脈々と続いています。これだけ長い時間軸を耐え人々に必要されてきたものが近くにあることを誇り、もっと私たちは寄り添うべきではないか。他所で流行っているもの新しいものを持ってくるのではなくこの3つの文化を見つめ直し次世代へ繋げることをミッションとしています。
Tea Tourismのコンテンツを少しご紹介しましょう。
茶空間体験
嬉野は盆地であり温泉街から車で15分ほどで素晴らしい景色の茶畑があります。茶畑の中に現在3カ所の野外茶空間を作っており、そこで茶農家によるティーセレモニーを体験できるコンテンツが「Tea Experience(茶空間体験)」。
嬉野の風土、景色を体で感じ、この土地で生まれたお茶を飲む。さらにはお茶を栽培する茶師とお客様が会話をしながらお茶や嬉野のことを学べる時間です。
The Tea Salon
旅館に設えたティーサロン空間にて、茶農家人生を語りながら、
この地を訪れたゲストとともに、お茶と時間を愉しむTea Salon。
担当の茶師が当日のお茶とお菓子を考えて構成。じっくりとお茶のことを知りたい方に人気のコンテンツです。
その他にもレンタサイクル「茶輪」やティーバトラー「茶泊」など嬉野に来ないと体験できないコンテンツを進めています。
農業×観光
Tea Tourismは観光の柱として側面だけでなく地域課題の解決する意義も含んでいます。茶葉の市場価格は年々下降しており、市場に出すだけでは赤字になる茶農家が増えてきているそうです。農繁期以外は別の仕事をしたり家族が別の仕事をしているから何とか生活できるという話を聞いています。
本来茶農家は茶を育てて茶葉を作ることでマネタイズしてきましたが、Tea Tourismという形で農業と観光を組み合わせ宿や茶畑を舞台に空間と時間をマネタイズすることが出来る。そこがTea Tourismの革新性の一つです。
またこれまでのお茶イベントとは一線を画し、デザインや見せ方などをこだわり抜き、安売りせずお茶の価値をあげることを大切にしています。
茶生産者が農繁期以外もお茶のことで収入が得れることで「お茶農家の減少」や「耕作放棄茶園(景観や害獣の問題)」「景観の保全」など地域課題の解決の一端になれるのではないだろうかと考えています。
また嬉野茶時をきっかけに嬉野に移住し茶農家として独立する人材も現れています。
パンデミック到来
旅館も嬉野茶時も順調に進んでいたが2020年初頭より日本国内でも新型コロナウィルスの広がり、観光サービス業はそのあおりを最前線に受けその影響は今でも続いています。そんな中でも思考を止めたくないという思いでPodcast「嬉野談話室」をスタート。
市内外問わず様々な方々と対話形式でそれぞれのナラティブを語り合う番組。ZOOMなどオンラインでのコミュニケーションがデフォルトとなり時間を作って現地に足を運ばずとも色々な方と知り合えたり知識の交換ができるようになったことはコロナのおかげと言っていいでしょう。
宿を「消費する活動」から「生産する活動」へ
どのような職業も時代の変遷の中で変化していきます。嬉野温泉街も長崎街道の宿場町として生まれ戦後までは5室〜15室程度の今でいうゲストハウスのような規模の旅館ばかりだったものが高度経済成長とともに旅館も大型化。温泉街も男性客が喜ぶ歓楽街となり一時栄えましたがバブル崩壊、リーマンショックと大きな経済危機が訪れ、80軒以上あった宿は今や31軒。これは人の欲望に翻弄され消費された結果だと私は感じます。
歓楽的な欲望だけでなく個人旅行の時代に移り変わっても「露天風呂」や「客室露天」など時代のニーズに対応し続け多額の借金、投資をし続けている。その結果、地域に根差した資本が小さい家族経営の旅館は淘汰され資本力がある全国チェーンや外資系ホテルブランドが増えていきます。
ゲストのニーズに対応していくことはとても大事なこと。 当然、宿としてやるべきこと。
しかし、人の欲望は終わりがない。欲望を消費する、消費されるだけでない関係性を作っていく必要があるのではないかと考えています。
暮らし観光
佐賀県がOpenAの馬場さんと始めた「さがごこち」というプロジェクトが書籍化することになり写真家のMOTOKOさんとの交流が始まった。
「佐賀の日常にある、本当の魅力をさがして」というコンセプトで今まであまり切り取られてこなかった「日常」の魅力のガイドブック。物見遊山や名物というわけでもない、日常の営みを写真で再発見できる本です。
MOTOKOさんが提唱されている「暮らし観光」とは従来型の均一で表層的、消費的な観光ではなく地域の暮らしや人と出会うことで愛着と関係性を持ってもらえるような観光に変えようというものです。
均一から多様へ
これまでの観光は戦後に広告代理店や旅行代理店が生み出した均一的なイメージやパッケージツアーが主流で、そこでは豪華料理、絶景、名所、ラグジュアリーなど非日常を消費しにいくものがほとんどでした。そのトレンドを追うことが近道でありその結果、全国の旅館ホテルの多くが旅行会社が売りやすい同じような料理、同じような部屋になりました。均一化、没個性。町も都会に憧れチェーン店立ち並び全国に同じような街が出来上がりました。
そして、バブルがはじけて景気の低迷や人口減少などで観光業は徐々に衰退。
そこで彗星のように現れた希望がインバウンドでした。
しかし、ゴールデンルートといわる大観光地は「オーバーツーリズム」が問題となり、観光と市民の暮らしが衝突。観光客のための町、観光客のための名物に。
嬉野でも本来市民が普通に食べていた名物の温泉湯どうふを地元の子供たちが食べたことがないという状況も出てきています。
オーバーツーリズムは世界的な問題でもあります。そんな中でコペンハーゲンは2017年、観光の終焉を宣言しました。コミュニティーディナーやスモールビジネスの応援など「観光から関係へ」というビジョンを進めている。
・観光客として扱われたい観光客は激減した
・観光客は一時的な市民として接するべき、コミュニティに貢献できるはずであり、それがきっと魅力になる
・コペンハーゲン市民の生活こそが観光資源
・リトルマーメイドはなにも気持ち的なつながりを生まないが、市民は生んでいる
・マスメディアでキャッチコピーを届けることより、市民ひとりひとりからストーリーが伝わっていくことが大切
・ひとりひとりの体験が伝わっていくことがコペンハーゲンのブランディングの成功指標となる
小豆島は観光を入り口に多くのゲストが移住者。こちらも「観光から関係へ」。写真家MOTOKOさんが携わった「小豆島カメラ」は住民自らが島の暮らしを発信することでシビックプライドを形成し同時に小豆島にくる観光客の視点を変え結果多くの移住者を生むことになりました。
インターネットがない時代はマスメディアから受ける情報が大きな影響を与えてきましたが、インターネットやSNSが主流となり個人個人が繋がること見つけることができるようになり旅も価値観も少しずつ多様化している。
脱均一、観光から関係へ、消費から生産へ。
昭和平成と時代の波に流され続けた嬉野温泉はこれからどうしていかねばならないのか。
消費地から生産地へ
2020年4月、和多屋別荘の空き部屋が東京のウェブ制作会社のサテライトオフィスとしてスタート。新型コロナの流行とともにリモートワークが進んだ状況でオープンしたので大きな話題を生みましたが、これは以前から進んでいたプロジェクト。嬉野茶時の活動の中で知り合った本田社長が嬉野温泉を気に入り「こんなところで仕事ができたら最高だ」という思いから和多屋別荘の小原さんと共同で進めたものです。まさに1人の経営者との関係の中から生まれたオフィスとスタッフの移住が実現し、宿が消費ではなく生産をする場になりました。
和多屋別荘サテライトオフィス
リバーサイドハウス
大村屋では宿の川向こうにあった元造船会社の保養施設を5年前に取得。私はここを市民と観光客が気軽に交流できる場所にしたいと思っていました。
2020年9月より玄関先にコーヒースタンド「おひるね諸島」がオープン。
営むのは東京藝大出身の2人。イラストレーターの大門光さんとうつわ作家の中村将志さんです。
大門さんが4年前に佐賀県の地域おこし協力隊として嬉野に来たのがご縁。協力隊時代からリバーサイドハウスでアート展示をやったり夏休みの子供向けのワークショップをしたり大村屋の中で展示をしてくれたりして仲良くなりました。
そんな2人が協力隊の任期が終わっても嬉野に残りたいリバーサイドハウスに住みながらゲストハウスをしたいという相談を受けて「ぜひここの面白い場所にしよう」ということになったのが2020年の始めです。
しかし、いきなりは宿泊業は難しいのではということになりコーヒースタンドと展示と本のお店をすることになりました。その辺の経緯は以下のリンクをご覧ください!
リバーサイドハウスは元保養所だったこともあり2階に7部屋、1階には広間、談話室、お風呂3つ、食堂、キッチン、中庭があります。
現在は玄関先でコーヒースタンドと大門さんのデザインオフィス、元風呂場は中村さんのアトリエになっています。ここで多くの作品が生まれています。
今後はコワーキングスペースを作ったり、もっと色々な人が関われる場所にしていきたいと思っています。「自分も何かやってみたい!」と思った人は一度遊びにいらしてください。
暮らし観光
写真家MOTOKOさんが提唱する「暮らし観光」。それは地元の人が集う商店街や喫茶店など地域に根付いた場所でその町の暮らしを体感し、顔の見える交流を楽しむ旅の形です。今、全国のゲストハウスを中心に観光客と地域をつなげる動きが出てきています。
神奈川県の真鶴町でゲストハウス「真鶴出版」はチェックイン後にオーナーと一緒に町歩きをして町の人や暮らしを見て回ります。そうすることで観光客がその町に愛着を持ち、観光を入り口に移住に繋がる動きも出てきている。
愛知県岡崎市にできたマイクロホテル「ANGLE」では入り口をバーカウンターにし宿泊客だけなく地元の人たちの憩いの場として解放。またゲストに町の美味しいお店やスポットを紹介し「町の日常にゲストが滲んでいく」ように誘っている。
嬉野温泉では「ひさご旅館」さんのコンセプトは“暮らしているように泊まる宿”。チームUreshinoで一緒にスリッパ温泉卓球をやってきた仲間でもあります。こちらには濃い関係性のリピーターが沢山いらっしゃってコロナ禍でも持続可能な運営をされています。嬉野で暮らし観光の最先端の宿です。
他にも紹介したい宿、ゲストハウスはありますがいずれも規模は小さいですがゲストとの交流は濃厚。濃い関係性がさらに折り重なり大きな波になっています。
元々ゲストハウスの規模だった嬉野温泉の旅館が経済を優先し大型してしまったことで失ったものがそこにはあるような気がしています。とはいえ、今の借入金では規模も小さくすることはできない。
大村屋なりの暮らし観光はどんなことができるだろう。
そういう思いで始めたのがnote連載の暮らし観光案内所です。
嬉野温泉の人や日常、暮らしの面白さを紹介する連載です。大手観光ガイドブックでは知ることができない人や物語を月に1回更新しています。
2020年暮れにはGoogle Japanさんの「#近所は宇宙だ」という企画で嬉野を紹介する動画も撮影しました。
Googleほどの大企業もスーパースターではなく小さなローカルを見つめ始めている。価値観は多様であり都会がすごくて田舎がダサいわけでない。「都市高地方低」「地方はダサい」という均一化時代の呪縛から解き放つには暮らし観光をきっかけに観光客が市民と交流し褒めたり褒められたりすることでシビックプライドを形成することが大事だと思います。
最後に
全3回にわたり私がUターンし事業継承してから12年を振り返りました。自分でも色々なことをやってきたなぁと驚いているのと同時に家族やスタッフの理解があったおかげだと感謝しています。
しかし、自分の力不足やまだまだやるべきことが沢山ある。振り返って一番思うことは旅館で働くことは地域課題の解決の一端をになっているということです。
このnoteを読んで共感してくださった方で大村屋で働いてみたい、嬉野に関わりたいと思った方は温泉がてらにお越しになって気軽に声かけてください。
一緒に面白い地域、暮らしを作っていきましょう。
〜次の12年へ続く〜