夢のないことがコンプレックスだった僕に「夢」ができた(かもしれない)
昔から、それこそ小学生の頃から「夢のないこと」がコンプレックスだった。もうすぐ丸2年が経つ毎日投稿の中でも、何度も「夢を持たなくても素晴らしい人生は送れる」という自分に向けてのメッセージ記事を書き残してきた。(気になる方は下記のリンク集を参考にしてみてほしい)
≫ 「夢」がないことの、なにがわるい。
≫ 続・「夢」がないことの、なにがわるい。
≫ 夢を持つことが夢だった、あの頃の僕へ。
≫ 人生に「目的」なんていらない。
≫ 夢を持つことより、もっと大事なことがある。
≫ 将来どうなりたいとか、無い。
そんな僕に、30歳を目前に「夢」ができた。いや、まだ「出来た」と断定するのには勇気がいる。それを「夢」と言い切るには、まだ自分の中で確信が足りない。いいや、正確に言おう。直感では確信を持ってるけれど、論理的に説明に足る状況まで腹落ちしていない状態である。
そもそも、夢という表現が正しくない可能性もある。長期的な目標や人生で遂げたい志というべきかもしれない。それでも30歳を迎える前にこの感情に気づけたことが何よりも嬉しい。
数ヶ月前から「やりたいこと」を考え続けてきた。思うがままに自分の幸福を目指して生きてきた20代の終わりに、これから迎える30代・40代で「何を軸にして生きるのか」を自問自答し続けた。自己理解のワークを続け、自己分析を繰り返し、旅に出ることで大局を見ながら内省する時間を強制的につくった。
その中で見えてきた、一筋の光である。
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1,700字
オープンな無料記事では書けないような毒吐く姿も見えるかも・・・?(わかんないけどね)
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