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夢を持つことが夢だった、あの頃の僕へ。

ドリームテイカーが、羨ましかった。

大人たちはいつも「大きな夢を持ちなさい」と言う。君たちには無限の可能性がある、より高いところを目指せる、志を持って大きな視野で将来を描きなさい、と。

今なら「大きな夢を抱いて成長した結果が今のあなたの姿なんですね、なんて素晴らしい夢を描かれたのでしょう」などと皮肉めいた言葉のひとつやふたつを投げ返すだろうけど、10代のまだ純粋で素朴な僕には無理だった。

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12歳のとき、小学校卒業制作として「全員が将来の夢を語った音源をCDに焼こう」というプロジェクトが立ち上がった。

みんなが「消防士になりたい」「幸せな家庭を築きたい」「経営コンサルタントになりたい(!!)」「ワールドカップに出たい」のようなキラキラした夢を語る一方、僕は語るべき言葉を探して悩んでた。

収録ブースに入ってもその答えは見つからず、僕の口から咄嗟に出てきたのは「夢を持つことが夢です」という、誰の心にも残らないチープな言葉だけだった。

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21歳。大学院進学か就職活動かを決めなければいけない時期になっても、僕は夢を持てていなかった。漠然と「今の延長線上に理想の未来はない」という直感めいた感情だけはあったものの、やりたいことも輪郭が描けないまま、時間だけが過ぎていった。

周りの同級生たちに「将来をどう描いてる?」と聞くと、「◯◯という会社に入りたい」「30歳には年収◯千万円ぐらいの給与をもらいたい」と強い口調で教えてくれた。

それを「うわべだけで本質的な志ではない」と小馬鹿にしていた時期もあったが、心の底ではそんな非本質的な志すらも抱けない自分に対して絶望感すらも感じていた。

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それから月日は流れ、29歳になった。今もなお夢という夢はない。ただ、夢を持たない20代を通してわかったことがある。それは、

壮大な夢や志がなんてなくても
可能性は無限大に広がっている

ということ。夢など持っていなくても、目の前の小さなやりたいことに全力で取り組み、求められていることに120%で応え続け、できることの領域を日々少しずつでも増やしていけば、いつの間にか自分の想像していなかったところまで到達してる。そしてきっと、世の中にはそういう人の方が多い

だから、夢がないことに引け目を感じないでほしい。夢を持っていることが偉いわけでもなければ、夢を持っていないと烙印を押されるわけでもない。

短距離走の得意な人と長距離走の得意な人がいるように、夢(ゴール)を描いてそれに向かって努力することが得意な人もいれば、小さなことを淡々と積み上げていく方が得意は人もいる。ただそれだけのことなんだ。

そして、どちらであろうと、やることは変わらない。日々成長し続けて、毎日自分史上最強を更新していくこと。人生はそれの繰り返しでしかない。


世界は、夢組と叶え組でできている。夢を持つのが苦手な「叶え組」は、人生の後半になればなるほど力を発揮する。だから、慌てず急がず、自分のできることを少しずつでも広げていこう。あの頃へ贈るメッセージ。


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というわけで、今日の記事は以上です。
MARUYAのスタッフたちと人狼ゲームをしたらめちゃくちゃ盛り上がりました。疲れたので(!?)、明日は完全オフ日にします。

では、またあした〜!

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