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ストレートフォトグラフィと、写真の撮り方の変遷について

写真を撮影するときのスタイルについて書いてみよう。と言っても自分が知る範囲だけでのことで、そう難しい話ではない。

写真は長らくフィルムで撮るものであり、カメラはファインダーを覗いて撮るものだった。一眼レフ、レンジファインダー機、中判ではそれに加えて二眼レフ、大判のビューカメラ。レフレックスでもビューファインダーでも、そしてピントグラスであっても、光学的に眼前に像を見せるシステムが当たり前だった。

デジタルカメラとスマートフォンの登場で、それは大きく変化した。デジタル一眼レフはフィルム一眼レフのシステムを踏襲していた。しかしコンパクトデジタルカメラやスマートフォンでは、レンズの背面にある液晶画面を見ながら撮る。これが特に写真を趣味としない一般の人の間では普通になった。

私は頑固で保守的な人間なので、それらの導入は大幅に遅れた。いやスマホに至っては未だに所有していない。iPad miniはだいぶ前から愛用しているので、スマホの必要性を感じないのだ。


スマホが出始めの頃の忘れられない出来事がふたつある。

たぶん2000年代の中頃から終わりにかけてだったと思う。2000年頃を境に従来の紙媒体の仕事は減りつつあり、ネットの広告がらみが多くなっていて、その撮影は久しぶりに報道っぽい仕事だった。カメラはニコンのデジタル一眼レフ。浅草でのパレードだかカーニバルだか、そんなイベントの撮影だった。

大勢の人たちが沿道に詰め掛けていて、我々報道関係者はカメラマン用に区切られた場所にいた。パレードは右から左へ移動してゆく。私は一番右端の最前列に陣取り脚立を据えた。これが間違いの元だった。

パレードが始まると、隣に詰めかけた一般の人たちが、右手を目一杯に伸ばして写真を撮り始めたのだ。カメラを右に振ってワイドでも撮ろうとしていた私は慌てた。苦労して合間と隙間を縫って撮影したのだった。


ふたつめは長年やっていた舞台写真の仕事である。ステージで行われる演目の記録撮影だ。我々スチールは客席中央のやや後方。最前列のお客さんの頭が被らない、それでいて舞台の床面が見えすぎない位置にカメラを据える。ビデオの業者は我々の頭とカメラが被らない、その少し上の席から録画する。

しかしスマホの時代になると、自分の知り合いの時だけ最前列に移動して、しかもラストの決めポーズの瞬間に、ピョコーンとスマホを頭上に掲げて撮影する人が増えた。後頭部をスリッパで張り倒したい衝動にかられたが、あとの祭りでどうしようもない。司会者に頼んで繰り返し「頭よりも高い位置にスマホやカメラを上げないでください」とアナウンスしてもらうしか方法がなかった。

誰でも簡単に写真が撮れるというのは素晴らしいことだが、大変な時代が来たと感じた。仕事を脅かす云々ではなく、我々が撮りにくい場面が増えてゆく。


そして一眼レフというシステムが新しく開発されなくなり、時代はミラーレスへと移行する。私は一眼レフを使い続けてきたが、一方でSNSやチャットなども始めて、iPad miniで写真を撮ることに抵抗がなくなっていった。あんなに忌み嫌っていた、手を伸ばして撮影するスタイルである。

フィルムでの撮影も続けてきたし、フィルムカメラとフィルムの持つ良さは捨てがたいのだが、ことカラーリバーサルに関しては価格が高騰して、あきらめるときが来た。モノクロはペンタックスK-3ⅢMの登場で助けられた。ではカラー撮影はどうするのか?については、このnoteに何回かに渡って記した。

詳細はそちらを読んでほしいが、ざっといきさつを書くと、iPad miniの延長と考えるので、背面液晶を見て撮るスタイルで良い。電子ビューファインダーは大嫌いなので不要。そして10年前の中古の富士フイルムX-M1を導入した。レンズは27mmと18mmだが、ほとんど41mm相当の27mmしか使っていない。


今日ここで書きたいのは「ストレートフォトグラフィ」とは何かである。私は、特に写真を趣味としない出会う人から、「写真を上手く撮るコツ」について聞かれることが多い。そんな時に相手に言うのは、だいたい次のような内容である。

いきなりファインダーや液晶で見るな。肉眼でよく見ろ。自分のカメラのレンズの画角は把握しておけ。まずは被写体と正対しろ。崩すのは後からだ。眼の位置が決まったらそこにレンズを持ってこい。スマホのレンズは液晶の中心じゃないから気をつけろ。ここまで繰り返し練習してスピードアップをはかれ。構えたらすぐにシャッターを押せ。構図をいじるな。立ち位置を変えるな。撮ってすぐに再生するな。撮り直すな。再生はその場を離れてからだ。(そうして撮った写真が良くなければ、あなたにセンスがないだけのことだ。あきらめろ。)

さすがにカッコ内は口にしないが、そのくらいの気持ちで伝えている。それが出来てきた人に対しては、「写真の広角とか望遠とかって、遠い近い小さい大きいじゃないよ。角度と物の重なりだよ」と教える。写真の構図のコツって実はそれだけなのだ。もちろん光や露出の問題はあるけど、それは技術を覚えるだけである。そして今のカメラは最初からそれをクリアしている。

もちろんこれは長年かかって培ったものであり、今でも自分自身に対して課していることである。主にスナップ撮影の話だが、しかし広告でも上手いカメラマンは絶対に早い。そして迷いがない。信頼できるカメラマンは大抵どこか豪放な雰囲気をまとっているが、それはポーズや作ったものではなく、迷いのない内面から醸し出てくるものだと思っている。


さて「ストレートフォトグラフィ」とは。スティーグリッツがどうとか話し出すと難しくなるし、あの当時の絵画と写真の話になってしまう。私がここで言いたいのは単純に「いじくりまわすな」ということである。それは後処理がどうのではない。あくまで「撮るときの態度」なのだ。

「写真はカメラを構える前に決まっている」のが理想だ。フィルムカメラの時代はそれが当たり前に出来ていた。主要被写体の前に邪魔な柵などがあっても、そのままポンと撮る。それが写真の強さになった。

写真01
写真02

さてようやくX-M1の話になる。このカメラの背面液晶は可動式だ。これまでに持っているニコンD500でも動くのだが、一眼レフなので使ったことはなかった。しかしX-M1では積極的に使っている。建物などの撮影で、出来るだけ上すぼまりにしないためにカメラを高く掲げるとき(写真01)。低い位置にある被写体を撮るとき(写真02)。特に写真01はファインダーを覗くタイプでは脚立がないと不可能だし、写真02は腰痛の引き金となる中腰を回避できるので有難い。

ここでストレートフォトグラフィとは何かの話に戻る。仕事では脚立を使ったり地面に這いつくばることもある。しかし自分の存在を賭けての撮影では、作品は自分の視点の延長であるべきであり、眼の位置以外から撮るのは邪道ではないのか。このところずっと自問自答している。まぁこんなことは一流の写真家は胸にしまっているのだろう。出来た写真が良ければそれが全てなのだが、どうしてもフィルムカメラで撮影しているときの自分のストイックさが、頭の中に理想としてあるので悩んでしまうのだ。


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