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日日是好日
日日是好日
そんな言葉があるらしい。
そんなタイトルの映画があるらしい。
今日そんなことを言われた。
映画の存在は知らなかったので今度見てみたいと思うが、言葉としては聞いたことがあった。偶然今自分が読んでいる途中の本とも重なる部分があるので、今日は「日日是好日」を深掘っていきたい。
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日日是好日。
これは禅の言葉で「にちにちこれこうにち」と読むのが正式な読み方らしい。
素直に日本語に訳すと「毎日が良い日だ」という意味。しかしこの「毎日が良い日だ」にも様々な解釈があると思う。
・毎日が良い日となるように努力するべきだという教えの解釈
・良いこと悪いことという判断から離れて、今この時を生きることが好日につながるのだという解釈
・好悪の判断をせずにあるがままを良しとして受け入れるべきなのだという解釈
一つの言葉に対してこんなにも解釈ができるのも面白い。
この中で私が大事にしたい解釈としては、今この時を生きるということ。
つまりは今この時を五感で感じること、ただそこにいることで、そこにいてもいいと思える境地に達することだと考える。
晴れの日もあれば雨の日もある。晴れは晴れで良さがあるし、雨は雨で良さがある。もちろんその裏には悪さもあるんだけど、悪さに焦点を当ててもその悪さがなくなるわけじゃない。
だったらある現状の中でどう楽しむか。そういったところか。
そんな中で、私が最近読んでいる本にこんなことが書かれていた。
「日々上機嫌でいること。それが運を引き寄せるアンテナになる。」
運を捕まえるアンテナは人それぞれ持っているという。
そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になる。
しかし機嫌が悪い人は、最高の運気がやってきている場にいても、それに気づかないでイライラして、早くその場を立ち去りたいということばかり考えてしまう。アンテナは働かない。
そしてこうも書かれていた。
「基本姿勢が不機嫌な人に、毎日の人生で起こる幸せの種を見つけることなんてできない」
確かにな、と思う。物理的にも。
不機嫌になるとどうしても下を向いてしまったり、目の前しか見えなくなってしまったりする。視野が狭くなると運気が転がっていても見つけられない。
しかも心の余裕もない。運が入ってくるスペースがない。
そういった中で余裕をもたらしてくれる考えが「日日是好日」なんじゃないのかな、って。
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成功もあれば失敗もある。
出会いもあれば別れもある。
ラッキーと思うこともあれば理不尽を感じることもある。
そのすべてに折り合いをつけられるほど自分は器用な人間じゃない。似たような感覚の人もいるんじゃないだろうか。
だけどなるようにしかならないし、良くも悪くも何とかなった結果が目の前で起こっている現状なのかもしれない。
めちゃくちゃ悔しいし、「どうして」と思うことも時にはある。だけど「日日是好日」。それがベストな選択だった。お互いにとってのいい結果だった。それを受け止めていかに進むか。
過去を嘆くよりも今を受け入れて、今を強く進む。そして楽しく生きる。それしか、いやそれこそが「今」を生きている私たちが取り組むべきことなんだと感じた。ちょっと強がりかもしれないが。
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最後に。
「日日是好日」であるためには”上機嫌”であることが大切だと定義した。
そのうえで上機嫌でいるというのは、楽しいことを期待するのではなく、起こることを楽しむと決めるということなのかもと思っている。
周りが与えてくれた解釈で生きるのではなく、自分が目の前のことに対してどういった解釈を与えるか。
そう思えば1日1日を、一瞬一瞬を、”今この時を五感で感じること、ただそこにいることで、そこにいてもいいと思える境地に達すること”に費やせるようになる気がする。
日日是好日マスターになれる気がする。
どんな辛いことも辛さを受け入れながら前を向いていきたいし、ハッピーなことは誰よりもハッピーに感じたい。
そのためにも上機嫌でいることを意識し、日日是好日マスターに私はなる。
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