「自信」って結局なんなのか
もっと自信をもって。
自信満々だね。
自信ある立ち居振る舞いをする。
「自信」ってなんだろう。
ふとそう思うことがあった。
自信とは堂々としている姿なのか。余裕がある感じなのか。
イマイチ考えたことがなかったが、今自分に立ちはだかっている壁として「もっと自信あるような雰囲気にした方がいい」というものがある。
確かにそうだ。
自信なさそうにしている人の行動や発言は、どこか相手は不安に感じる。
「本当にこの人に任せていいのかな?」
「信用できるのかな?」
それが積み重なっていくと、次第に信頼されなくなり、自ずとチャンスは減っていくように思える。だったら自信ある様子でいることで、「この人になら任せられる」そう思われた方がいい。
でも自信があるように見せるって勇気がいることだと思う。責任がいることだと思う。
じゃあ「自信」ってどうしたら身につくのか。
そこのあたりの言語化は、正直まだまだ足りていない。
元歌舞伎町No.1ホストであり、経営者としてもご活躍されているローランドさんが自身の著書でこのように語っている。
「人を魅力的にさせる最も大切なツール。それは自信だ」
自信のあるフリでいい、それを頑張ってやってみる。
じゃあ「自信のあるフリ」ってなんなのか。これもまた難しい部分。
偉そうにすることではないし、知ったかぶりをすることでもない。
しかしただ「自信のあるフリ」とだけ言うと、そうなりかねないのも注意点。
○○のフリ、という言葉で一つ話を展開したい。
私の好きな言葉の一つにこんなものがある。
演じ続ければ、やがてそれは本質になる
こ
れは良くも悪くもだと思っている。
しかし「良い」方の部分として活かせれば最高だ。
まずはなりたい自分を想像する。
自分はどういう風になりたいのか。それは性格、行動、立ち居振る舞い、習慣などなど。
そしてなりたい対象を徹底的に分析する。
このときロールモデルとなるものがあればわかりやすいのかもしれない。
「TTP」+S
徹底的にパクる。まずはこれに尽きる。そこに加えて「S」。「進化させる」。
パクるだけではそのロールモデルを超えることは出来ない。一歩でもその先へ行く。
はじめは演じることからでいい。その理想になり切って演じる。自分の身体に染み込ませる。
何も出来ていない状態の自分から何かを生み出すって容易なことではない。
だけど真似ならだれでも出来る。
真似て真似て真似て。無意識になるまで徹底して真似て。
最初は今までの自分と違うことによるギャップで気持ち悪さがあるかもしれない。でもそんなことは気にしない。むしろ大袈裟すぎるくらいがちょうどいい気がする。
そうすることで、かつて「○○のフリ」だったものから「フリ」がとれて自身の本質になる。
そこまで継続してやり切れるか、の話でもあるが。
話を「自信」に戻す。
自信のあるフリ、出来ればいいのだがこれも簡単ではないのが現実。
それくらい人の心は難しい。
潜在的なもので操ることは簡単ではないし、無理に自信を持とうと気負いすぎることで、もしそれが出来なかった時に「なんで自分は出来ないんだ」と負の連鎖を巻き起こしかねない一面もある。
そんな時は、その現状を受け止めることから始めればいい気がしている。
受け止めた上で、じゃあどう見せれば自信があるように見えるかに視点を変える。
メンタル面を変えるのは簡単ではないかもしれないが、しぐさは今この瞬間から変えられる。
しぐさを変える、徹底的に真似をする、まずは演じてみる。
その一歩目って、「発言」な気がする。
言い切る、ダラダラ伸ばさない、語尾を下げない、などなど。
自信がないと、文章に「。」がつかず文を続けてしまう。
「・・・で、・・・で、・・・だから・・・」
のように。そして語尾もしぼんでいって、何を言っているかわからないということになりかねない。
意識的にまずは言い切る。
「・・・です。・・・だから、・・・だと思います。」
のように。そうすれば聴く側もすんなりと言葉が入ってくる。
そうやってまずは言葉から変えていく。
自信があるように見せる。
過去の自分の記事を借りるとするならば、自信を持っている「分人」を自分に降ろすといった感じか。それも本当の自分の一人だ。それがやがて自分の多くを占める分人に出来るようにすればいいだけ。
自信って結局自分次第。
それはつまり自分次第で変えられること。だからこそ、チャンスは目の前にある。
そう思えば、なんだかいけそうな気がする。
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