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まず演じるよりはじめよ

「先ず隗より始めよ」


国語の授業で漢文を習っていたことを久しく感じる。
漢文ってその文章を通じて「1つの教え」があるから、
難しいなりにも面白かったことをよく覚えている。

とは言っても、「じゃあどんな教えがあったのか」と聞かれると覚えていないもので(笑)テストのための勉強をしていたんだなと今になり反省している。

ただそんな記憶力でもハッキリと覚えているのが、冒頭で挙げた
「先ず隗より始めよ」だ。

こちらの出典は『戦国策』というもの。
「隗」というのは、中国の戦国時代の人物のことを指し、

どうすれば賢者を招くことができるか、と燕の昭王に問われた時、隗(郭隗)が「まず私のような凡人を優遇することから始めてください。そうすれば優秀な人材が集まってくるでしょう」と言ったことに由来する

と言われている。

それをもって何を意味するかというと、
遠大な事業や計画を始める時にはまずは手近なところから始めるとよい。また、物事は言い出した者から始めよ
という意味を持つ。

今にも通ずる、すごくタメになる言葉だ。

これと似た部分でちょっと派生させて私が考えるのが、タイトルに載せた
「まず演じるより始めよ」だ。

多くの人には自分が理想とする姿があると思う。
理想的な立ち居振る舞いや理想的な言葉選び、言葉遣いなど。
それが憧れからくるものもあれば反面教師からくるものもあるかもしれない。

ただ多くの人は理想は掲げるだけで終わってしまう。
理想と現実のギャップを痛感するから。

でもそもそも考えてみてほしい。

理想と現実でギャップがある時点で、理想を掲げている「だけ」では何も解決しないということを。そもそも差があるんだから、待っていてもその差って埋まっていかない。自分から埋めにいかないと。

最初から”本当”じゃなくてもいい。
”演じる”ことから始めてみればいいじゃない、と。

「自分」としてやるとどこか恥ずかしかったり、難しかったりすることも、「自分以外の誰か」を下ろしてその役になり切ることで案外出来たりする。

「ショートコント、○○!」とつぶやくように。


しかもこれは不思議なもので、演じ続けるとやがれそれは”本当”になっていく。体が、頭が覚えていく。

理想を実現したいのであれば、まず演じるより始めよ。
自分なりの現代の教えだ。


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